2017年4月 のアーカイブ

360   働き方改革について (3)

2017年4月5日 水曜日

日本は、急激な少子高齢化で生産年齢人口が大幅に減り、日本中で深刻な人手不足状態に陥っている。女性の社会進出、外国人材の登用、高齢者の社会復帰など、いくつかの対策と合わせて、いよいよ移民の推進まで議論が進んできた。ただ、移民政策については、もしやるのであれば中途半端にせず、移民の子孫まで日本社会にスムーズに同化できることを真剣に考えないと欧州が悩んでいる深刻な問題に日本も直面することになる。しかし、本当に、この日本の人手不足は、いつまでも続くのだろうか?

日本より高い失業率で悩んでいる、欧州を始めとする世界各国は、むしろ人工知能によって奪われる職業が、どこまで拡大するかを恐れている。1970年、私は富士通で人工知能の研究者としてスタートした。以来、20年間、文字認識、音声認識、画像認識の研究開発に従事してきたが、希望と挫折を繰り返しながら、1990年、遂に、人工知能は自分の定年まで花開くことはないと、研究者を断念し、ビジネスマンへの転身を図ることにした。その判断は全くの正解で、私が富士通を退職する2010年まで人工知能は全く役立たずの学問であった。

しかし、私が富士通を退職した2年後、2012年に突然、人工知能のビッグバンが起きた。人間の脳と同じ原理で動作する深層学習(ディープラーニング)が、人工知能の研究開発に大きな革命を起こしたのだ。人工知能の研究者だった経験から言えば、この度の革命は、私たちが長年求めてきたことを見事に解決してくれている。おそらく、私たちの想像以上に、この人工知能は私たちの仕事を奪っていく。今、人工知能は、将棋や碁の世界で注目を浴びているが、そんなことはどうでも良い。また、人工知能が人間にどこまで近づくかという高尚な議論もどうでも良い。もっと、深刻な話は、普通の人が生活のために普通に仕事をしていることが、どこまで人工知能で代替できるかということなのだ。

2011年2月17日、それはIBMの人工知能マシン「ワトソン」がアメリカのクイズ王二人を完膚なきまでに破った翌日に発行された、ウォールストリートジャーナル紙に掲載された記事は衝撃的だった。産業革命で発明されたオートメーションは、多くのブルーカラーの職を奪った。このたび開発された人工知能は高学歴のホワイトカラーの職を奪う。今後は、ブルーカラー、ホワイトカラーという職業分類は意味がなくなり、クリエーター(創造する人)とサーバー(決められたことをする人)に分けられる。今まで、尊敬されてきた職業である、医師、教師、弁護士、会計士、証券トレーダーなどの職業は絶滅危惧種となるであろう。もちろん、このWSJの記事は多少の誇張があるとは言え、かなり本質を語っている。

そして、この6年前の予測は、現在、かなりの分野で現実のものとなっている。例えば、証券トレーダーは、もはや、殆どの取引が人工知能によるものとなっており、証券市場は素人が勝負して儲かる領域ではない。市販の会計ソフトにも人工知能は組み入れられており、簿記の知識がない素人でも仕訳業務はソフトが勝手にやってくれる。アメリカの検察は、日本のようにダンボール箱など持参せず、USBメモリーだけ持って行き容疑者のサーバー情報を吸い上げる。事務所に持ち帰って人工知能に調べさせると、およそ20分もあれば不正を見抜くという。これまでの検察官の仕事も激減することになる。

ルール通りにきちんと仕事をする定常業務に関しては、もはや人手は要らない。決められた事を毎日きちんとしていた人々は、ある日、突然仕事を失うことになる。そうなれば、人手不足どころか、今の働き手の多くは失業する。そして、こうした時代は間違いなく近日中に到来する。そうだとすれば、他社と競って、より多くの人材を採用している場合ではない。今の社員たちを、そうした人工知能の時代にも有用なクリエーター(創造する人)へと転換すべく、すぐにも教育をしていかないと社内失業者で溢れることになる。

今、盛んに議論されている、人手不足を解消するための、見せかけの「働き方改革」は、こうした時代には見事に破綻する。もはや、人手はあまり尽くしているからだ。むしろ、社会は、どのように、余剰労働力を人工知能がなしえない創造的な仕事に従事させるかという問題に直面する。これこそが、本来の「働き方改革」である。私たちは、こうした近未来を見据えた「働き方改革」の議論を早急にしていく必要があるだろう。

359 働き方改革について (2)

2017年4月5日 水曜日

日本の労働生産性が、アメリカに対して、どうして、それほど劣っているのか? 要は、日本の労働者は役に立たない仕事を沢山させられているわけだが、その点について、1998年から3年間、米国子会社再建のためにアメリカで働いた経験から幾つか述べて見たい。私も、正直、アメリカでは、こんなに働き方が違うのかと驚いた。帰国後、その体験を自らは実践しながら、周囲にも何度か提案したが、残念ながら、なかなか簡単に受け入れられるものではなかった。やはり、会社の風土を根本的に変えるには、何代にも渡って海外駐在経験者がTOPを勤めることが必要だと思われる。

まず、最初にあげたい問題は、会議に関わることである。日本では、朝から晩まで会議や会議の準備で多忙を極めている人が居るらしいが、こんな会社の業績が良いわけがない。アメリカは、広大な国土で東海岸と西海岸では時差で3時間、飛行機で5時間も離れているし、殆どの企業はグローバル展開しているので、経営陣が皆、同じ部屋に集まって会議をするなど年に1回あるかどうかである。従って、殆どの会議は電話会議で、自宅やホテル、空港内のロビーなど、あらゆる場所から参加するメンバーも多数いる。

資料は事前にメールで配布されており、要点をキーワードで述べたパワポ資料と、ぎっしり数字が詰まったエクセル資料だけである。ワード資料はないので、資料の棒読みという日本特有のバカな習慣はない。殆どの議論は数字中心に行われるが、電話会議で数字が空中を飛び交うのは大変な緊張を要する。アメリカの役員会議は説明時間が2割、議論の時間が8割なのに、日本の役員会議は説明時間が8割以上、議論は2割以下である。そして、日本の役員会議では、事前に根回しが済んで居るので、上程議案が否決されることは殆どない。

こうしてスムーズに進行する日本の役員会議のバックグラウンドで、どれだけの多くの人が、どれほど多くの時間を資料作成と根回しに費やしているかは計り知れない。こうした作業こそ、会社の業績を向上させることに寄与することは全くない。この会議こそが会社人生だと思っていたら、それは大きな勘違いである。その会議で決まった最も重要なことは、次回の開催期日だけだったという話は笑って済ませるものではない。

次に日本企業の大きな課題は「不採算事業の継続」である。まだ始めたばかりの新規事業が赤字なのは仕方がない。しかし、何十年もやってきた事業の採算が難しくなってきたら、もはや撤退の決断が迫られている。多くの日本企業のトップは「赤字になったのは努力が足りないからだ」と部下にハッパをかける。結果として、その部門は長時間労働になるが、現場では、もはや、その事業の先がないことがよくわかっているので士気は一向に上がらない。そんな状況で、製品トラブルは増えるし、事故も起きる。確かに、日本企業のトップは雇用の継続という責任を負っているが、担当者にしてみれば、もっと将来性のある部門に早く転籍させて欲しいと願っている。こうした負の労働が、日本の労働生産性を著しく引き下げている。

次に、私がアメリカで感じたのは、管理職の当事者能力である。アメリカのVP(事業部長)は、部下を同伴しない1:1の会談で私が何を質問しても即座に答えられた。一方、日本では、部下に全て一任する丸投げの管理職の方が偉いと思われている節がある。役員会議でも、必ず部下を同席させて、「詳細説明は部下よりさせます」と言う。私は「なぜ、お前が自分でできないの?」と喉元まで出て堪えている。アメリカの管理職の当事者能力の高さは、いつ部下に辞められるかわからないからだ。「いや、部下に全て任せていたので、部下が辞めた後は何もわかりません」では、その管理職はクビである。このため、部下を自分の代わりに説明させるような、そんな、つまらない仕事をさせることはない。

さらに、最近、日本企業の労働生産性を押し下げている要因としてあげられるのは、オーバー・コンプライアンスである。企業人として、法に準拠するのは当然のことであるが、社員に絶対に過ちを犯させないという日本企業の父性主義は、あまりに、やりすぎである。例えば、グーグルは社員に対して「邪悪なことはするな!」という、たった1行のグーグル憲章でコンプライアンスを規定している。「何が邪悪なのか?」に対しては「それは自分の頭で考えろ!あとは貴方の自己責任だ」というわけである。こうしたコンプライアンス遵守の問題で、多くの社員が多くの時間をかけて会議に明け暮れても、それは何の業績にも寄与しない。

さて、小売・サービス業の労働生産性で、日本はアメリカの3分の一というのも大変気になる話である。ここで、日本の観光政策に関してユニークな理論を展開しているデービッド・アトキンソン氏は、著書「新・観光立国論」で面白いことを述べている。日本は、余りにサービス過剰で、それは顧客の評価に役立っていないというのである。例えば、世界一の観光都市であるパリでは、市民に「おもてなし精神」など全くないという。最近、日本でも、旅慣れた観光客はビジネスホテルに泊まってグルメレストランにお金を使って旅を堪能する。旅行客にとって日本旅館の「おもてなし」は時として鬱陶しいのである。顧客に受けない「おもてなし」で社員を働かせるのは考え直したほうが良い。

そして、一番気になるのは、日本のIT業界の労働生産性がアメリカの5分の一と言う点である。これこそが、日本とアメリカの最も働き方の違いから起きていることに注目したい。日本のソフトウエア開発では、最も優秀なエンジニアがプログラムを書くことは殆どなく、もっぱら仕様書だけを書いている。その仕様書を外部に発注して、必ずしも能力が高いとは言えないエンジニアが実際のプログラムを書くことが多い。一方、アメリカでは、スーパー・プログラマーと呼ばれる高給取りのエンジニアが自ら驚くほどのスピードでプログラムを書いている。

つまり、プログラムを書くと言う仕事の評価が日本とアメリカでは全く違うのだ。例えば、GoogleやFacebookの創業者たちは、起業した時からプログラムは全て自分で書いている。そう、今の日本のベンチャー起業家たちも、全く同じかもしれない。だいたい仕様書を書く段階で、実際に現場で起きる矛盾など想定できるはずがない。だから、プログラム作成段階で、必ず仕様書レベルに揺り戻しが起きるし、一方、実際のプログラムが仕様書通りに作られているかどうかは仕様書を書いた本人でもわからないことが多い。つまり、仕様書を書く人とプログラムを書く人が異なると言うことは、結果的に労働生産性を大きく毀損することになる。

このように、日本とアメリカの労働生産性比較から「働き方改革」の議論を始めることには大きな意義がありそうだ。

358   働き方改革について (1)

2017年4月4日 火曜日

今年の安倍政権の主要政策として、この「働き方改革」が取り上げられ、連日メディアを賑わせているが、私にとっては少々違和感がある。もちろん、過労死を防ぐための労働時間の上限規制などは、個別には極めて重要なテーマもあり、それ自体に異論は全くない。違和感を感じる根本的な問題は、この「働き方改革」が日本の少子高齢化に伴う生産年齢人口の急激な低下から発想されていることである。とにかく人が足りないと、どこの企業の採用担当者も悲鳴をあげている。このまま思うような人員の採用ができなければ、企業の存続にも関わるというわけである。

かつて、同じような状況が1980年代のバブル期にあった。その時に、私も、大学卒の採用活動にも協力したが、確かに、特に優秀でもない、ごく普通の人材ですら確保するのが大変だった。結果、そのバブル期に大量採用した人材は、その後、大きな後悔のもとになっている。一方、1990年代後半からの就職氷河期には、可哀想に、相当優秀な人材ですら就職活動で思うような結果を得られなかった。どこの企業も、たった10年もしない間に、無用の人材を大量に採用し、一方で優秀な人材を逃しているのである。世界中で唯一、新卒一括採用という制度を取っている、この日本の採用活動ほど、非効率で不公平なものはない。

アメリカでは、大学新卒の就職率は20-30%くらいで、無事就職できた学生は在学中に企業にインターン活動をして、その実力を評価されたものたちが殆どである。しかし、新卒で就職がうまくいかなかったとしても、再チャレンジの道はいくらでも残されている。それで、多くの若者が友人同士で起業する。起業して成功するのは1%にも満たないが、そこで頑張って苦労すれば、その経験がキャリアとして認められて、就職活動に役立つからである。アメリカ社会では、何も仕事ができない新卒の学生を採用して戦力になるために企業が教育しようなどという考えは全くない。どうせ、3-5年経てば、次の職場に転職する社員にお金をかけて教育することなど全く無駄だと考えているからだ。

一方、日本では、せっかく苦労して採用し、手をかけて教育をした人材の3割近くが3年以内に辞めている。それで、入社から10年も経って、やっと一人前の戦力になったと思えば、他社から、より高待遇の条件を提示され、何の躊躇もなく転職することが日常茶飯事になってきた。とにかく、日本の労働市場は未曾有の売り手市場になってきた。だから、残業も少なくて休暇が多く、多様な働き方も認めますというキャッチでも歌わないと、ますます採用が困難な時代に突入した。それで、この「働き方改革」というテーマが突然脚光を浴びてきたのであろう。それでも、私は、この問題は政府主導で進めるべきテーマではなく、まさに企業経営者の問題だと思うからだ。

そもそも、日本の企業は、せっかく苦労して採用した優秀な人材を有効活用しているのだろうか? 日本とアメリカの労働生産性を比較すると、日本は圧倒的にアメリカに比べて劣っている。アメリカの労働生産性を100とすると、日本では化学工業分野で143と唯一アメリカ対比で優れているが、土木建設では84、金融では48と半分、小売・サービスでは34と3分の一、IT分野では19と5分の1、農業では5と20分の1である。つまり、日本の企業経営者は、アメリカに比べて、現在雇用している従業員を十分に働かせる環境に置いていない。

長時間労働で働きバチとまで言われる日本の従業員は、働く時間ほどに企業の業績に寄与していない。これでは給料が上がらないのも当たり前である。今、まさに喫緊の課題は「働き方改革」ではなくて「働かせ方改革」である。いかに従業員に無駄な仕事をさせないで、効率よく働かせるかを考えなくてはならない。そうすれば、自ずと長時間労働は減り、仕事へのモチベーションも上がり、今よりもっと数多くの従業員も採用しなくて済むので、賃金も上げられるのではないだろうか。

どうして、日本ではアメリカに比べて、社員に多くの無駄な仕事をさせているのだろうか? この点を徹底的に追求しない限り、日本の労働生産性はいつまでも向上しないし、一生懸命、汗水流して働いている社員の将来もないだろう。