今回、取り上げたい女性は中国人のAngela Wang(王)さんである。私が、海外事業の総責任者をしていた時に、富士通中国から頼まれたことは、中国最大のソフトウエア会社であるNeusoftとの関係強化であった。恥ずかしいことに、富士通はそれまで、このNeusoftとは何の関係も持っていなかった。Neusoftは中国東北地方の瀋陽に本社を持つ、東北大学の子会社である。その社名であるNeuはNorth East Universityの意味を持っている。
Neusoftの創業者である劉 積仁氏は、中国人で初めて、米国のコンピューター・サイエンス分野のPh.Dを取得した伝説の人であり、私はスイスで毎年開かれるダボス会議でDr.劉と知り合った。Dr.劉は中国人としては珍しく知財権を重んじる西欧型の思想を持った起業家であった。Neusoftの本社である瀋陽と、瀋陽以上に巨大な開発拠点である大連を見学させて頂いて、私は大変驚いた。米国のインテル、マイクロソフト、シスコ、HP、IBM、GEなど一流ITベンダーの冠を掲げた専用開発センターを有しているほか、日本のドコモ、Auなど携帯電話会社の検査センターがあったからだ。
Neusoftが、欧米社会でこれだけの信頼を築いた最初のきっかけは、日本のアルプス電機の子会社であるアルパインが、カーナビの開発を全てNeusoftに任せたことにあった。この成功を見て、欧米のITベンダーはNeusoftを信頼できるアウトソーシングのベンダーとみなすようになった。私が、Dr.劉から頼まれたことは、Neusoftとしては、日本最大のITベンダーである富士通と、ぜひ緊密な連携を模索したい。ついては、その大事な仕事をAngela Wang (王)に任せたい。Angelaと共に、提携についての相談をして欲しいので、よろしく頼むということであった。
瀋陽のNeusoftの本社で、私が会ったAngelaは愛くるしい、まだ30代の女性であった。既に、5万人もの従業員を抱え中国最大のソフトウエア会社になっていたNeusoftの社長も、同じく、まだ30歳代の王さんだった。若くして巨大な組織の長になることは、その重圧も大変なことである。Dr.劉からは、王社長が一番好きなゴルフに誘い出して、気分転換を図ってくれと頼まれたので、一緒にゴルフをすることにした。そのゴルフ場は、中国でも一番の名門である大連のゴールデン・ペブルビーチであった。
私は、米国駐在のときにカルフォルニア州モントレーにある米国でもナンバー1のゴルフ場であるペブルビーチでは何十回もプレーをしていたが、驚いたことに、この大連のゴールデン・ペブルビーチは米国のペブルビーチと景観も何もかも、そっくりなのである。しかも、この地は5億年前の地層から出来ているので、米国のペブルビーチより起源が古いというのである。つまり、アメリカのペブルビーチが中国のコピーだと中国人は主張しているのだ。
そんなことはどうでも良いのだが、このNeusoftの王社長とのゴルフに、ゴルフを全くやらないAngelaが一緒に付いてきた。彼女は、私と王社長が乗るカートに一緒に乗って18ホール回ってくれた。この時、Angelaは、他社との提携関係を模索する課長職であった。創業者でCEOのDr.劉から命じられたのだから、ゴルフもしないのに、必死にゴルフ場までついてきたのであろう。この時のAngelaの心意気は健気で、私には、とても可愛らしく見えた。
私は、何とか、富士通とNeusoftの提携の道はないかと思案した末に、当時、富士通が中国向けに開発を計画した携帯電話のソフト開発をNeusoftに委託した。Angelaが仲介した、携帯電話のソフトの出来上がりは見事なものだったが、結果的にビジネスは決して成功とは言えなかった。この結果を見て、私と王社長とは、もっとコアなビジネスでの提携を模索しようと考え始めた。そのテーマは中国の病院に最適な医療システムだった。富士通は医療システムで、既に日本ではTOPレベルにあり、中国でも四川病院など、既に幾つかの成功を収めていた。
しかし、やはり中国政府は中国ベンダーを優先するので、所詮、富士通単独では、現地ベンダーには勝ち目がない。そこで、私は、富士通の医療システム部門とNeusoftとの中国市場でのJVを模索することにした。その時のNeusoft側の責任者は、やはりAngelaであった。富士通側からは、いつも私はクレームを受けた。Angelaとは、もうやっていられない。あんな、タフな交渉相手はいないと。それを聞いて、いつも私は次のように言った。「無理することはないですよ。嫌ならやめれば良い」と。しかし、Angelaと富士通医療システム部門は、最終的に合意に達したのである。
Angelaは、この仕事の成果を認められ、ついに上級副社長になった。つまり、Dr.劉、王社長に次いでNeusoftのNo3となった。大連で開かれたNeusoft創立20周年式典に参加した私は、Angelaが見違えるように凛々しく、そして美しくなっているのに驚いた。ついに、彼女は、中国で大成功した女性経営者となった。もちろん、Angelaは結婚しており、一人息子を持つママさんである。ご主人は、同じNeusoftに勤務するエンジニアであるが、Angelaの方が遥かに地位が高い。
現在も、Angelaとはメールでやりとりをしているが、彼女は、最近、殆ど中国にはいない。今、Angelaが頻繁に行っている先は、エストニアとルーマニアである。中国での最近の賃金高騰は、既にIT業界でも大問題になっている。東欧の途上国の方が、中国より賃金が安く、しかも英語能力も高いので、ソフトウエア開発能力では中国人エンジニアが、彼ら東欧のエンジニアに対して太刀打ちできないのだという。
可愛い息子の世話を夫に任せて、Angelaは今も、会社の活路を東欧に託して戦っている。富士通医療システム部門と共同で、彼女を接待した東京湾クルーズにおいて、Angelaと眺めた東京湾の夜景が今でも思い出される。その晩は、世界中を駆け巡るAngelaが心を癒す、ひと時でもあったに違いない。NeusoftのNeuは東北大学の意味であり、東北大学の学長であった父上の切実な願いを、Angelaは、今、一つ一つ着実に実現しようとしている。まさに、中国で活躍する光り輝く女性の一人である。