2015年12月 のアーカイブ

324 慰安婦問題に関する日韓合意について

2015年12月31日 木曜日

12月28日、日韓基本条約成立後50周年の今年、日本、韓国両政府の精力的な努力により歴史的合意に達したことを、私は素直に評価したい。恐らく、米国政府の強力な圧力があったとは言え、日本政府も韓国政府も、これまでの主張を翻してまで合意に辿り着けたことは、お互いに相当の努力が必要であったと推察される。

私は、韓国の国民感情の奥底まで、深く理解できていないので、軽率な論評は避けたいが、日本政府に関して言えば、いかに米国の圧力があったとはいえ、これまでの旧大日本帝國は一切関与していないという主張を翻して、旧日本軍の関与を認めて謝罪したことは、国際的に見ても大いに評価に値する。

日本政府は、これまで韓国の慰安婦問題に関する公式文書は一切存在しないと主張してきたが、1999年5月14日に公布された情報公開法が施行される2001年4月1日までの、ほぼ2年の間に、多くの中央省庁が過去の都合の悪い文書を大量に焼却してしまったと言われているので、慰安婦問題に関する公式文書が一切存在しないという主張は全く信用できない。

そもそも、欧米を中心とする国際社会は、日本が引き起こした韓国の慰安婦問題に関しては、それほど多くの関心がなかった。彼らが、一番関心を持っていたのは、韓国よりも、ジャワ島における日本軍が行ったオランダ人女性の慰安婦問題である。この問題に関しては、日本政府が公式文書を廃棄したとしても、オランダ側にはきちんとした文書が残っているので、日本政府は釈明するすべき余地が全くない。

特に米国はオランダ系移民が多い国なので、韓国女性の慰安婦問題はオランダの問題と重ね合わせて日本に対する非難と韓国に対する同情が強く出てくるのはやむを得ない。それでも、米国の国益を考える時に、米国政府としては、米中激突という情勢の中で、日本と韓国が、この問題で永くしこりを抱え続けることが好ましくないと考え、日韓両国に相当強い圧力をかけたものと思われる。

そして、かつてないほどの強権を持っていると言われる安部首相が、これまでの主張を翻してまでも、このたびの合意を目指したことは、日本の国益を考えた時に、やはり大英断として高く評価せざるをえない。これまで安部首相を支えてきた超保守的な支持層の抵抗を覚悟した命がけの決断でもあった。私は、安部首相とは、政治的にも経済的にも必ずしも同じ意見ではないが、自らの健康問題も厭わないで世界を闊歩する安部首相の命がけの仕事ぶりには心から敬意を表している。

それにしても、どうして日韓両国の関係は、こうしてうまくいかないのだろうか? 私自身は、これまで仕事で、何度も韓国を訪れているが、少なくとも、私がお会いした韓国の政治家や経済人は、どの方も、立派で敬意を表する方ばかりである。そして、韓国の料理は本当に美味しい。韓国の伝統的な宮中料理も、庶民の家庭料理も『全て美味しい』の一言に尽きる。私は、世界の、どの料理よりも、韓国料理が一番美味しいと心から思っている。

どの韓国料理を食べても、これだけ美味しいと感じるのは、やはり私達日本人のDNAの中に、朝鮮族のDNAが多く引き継がれているからではないだろうか。そうだとすれば、朝鮮半島の人達を卑下することは、日本人である自分たちの祖先を卑下することになる。私達、日本と韓国の人々は好きか嫌いかに関わらず、これまでも、これからも、永久に最も近い隣国関係であることは避けられない。

そして、一部の韓国の人々は、どうして日本を、ここまで忌み嫌うのであろうか? その理由を、私達、日本人は余りに知らなすぎる。私が、韓国を訪問して一番ショックだったことは、以下の歴史的事実である。1910年の日韓併合の後、日本は朝鮮王朝の宮廷を破壊して動物園にした。特に、朝鮮王の住居跡地を『猿山』にしたのだという。日本の朝鮮総督府に、そうした悪意はなかったのかも知れないが、韓国の人達は、その屈辱は今でも忘れてはいない。

それでも、今回の日韓合意に強く反対する韓国の民衆は、今、韓国が置かれた状況を正しく理解できていないとしか思えない。韓国が日韓基本条約成立後、日本からの技術援助で世界一流の域まで興隆した鉄鋼、造船、家電、半導体など韓国経済を支えてきた基幹産業が、今、中国によって、全て脅かされている状況を、どこまで認識しているのだろうか? 韓国の最大の輸出相手国である中国は、もはや早晩、韓国からの輸入を必要とはしなくなる。

その結果、今、日本の主要輸出国である韓国に対して、その品目である製造設備と原材料の輸出先は、韓国から中国へ移る。つまり、今のままだと、韓国は、日本にとって、極めて存在感の薄い存在とならざるをえない。韓国にとって中国は、最重要顧客から厳しい競争相手に変わるという認識が、韓国の民衆には、余りに不足していると言わざるをえない。韓国の将来にとって、日本は、中国以上に、今後とも協調すべき相手なのだという認識の欠如である。

私は、今回の慰安婦問題に関する歴史的な日韓合意を契機に、両国はもっと相互に協力関係を強化していくべきだと思う。そうしないと余りにも勿体無い。日本人は韓国料理や韓国文化が大好きである。韓国人も、全く同じであろう。近親憎悪は、もう一切やめにしましょうよと私は言いたい。

323  リタイアメント後の人生がスタート

2015年12月12日 土曜日

今年2015年はリタイアメントの年だった。1970年に大学を卒業後し、富士通信機製造株式会社という売上高が1,500億円ほどの中堅企業に就職して45年間もの長き間、よく勤まったものだと思う。東大紛争、70年安保という激動の学生時代を過ごしてきたせいか、誰にもよく知られ安定した大企業に就職しようとは全く思わなかった。むしろ、自分が実力を発揮できる時は、会社が倒産の危機に陥った環境しかない、会社が順調に成長している時には、きっと自分の出番はないだろうと考えていた、

その後、社名は富士通に変わり、売上高も5兆円近くまで成長したわけだが、その過程で、どこの企業も皆同じだと思うが、何度も重大な危機があった。もともと、そうした危機の時こそ、それを解決するのが自分の使命だと考えていたので、千載一遇のチャンスと捉えて、精一杯頑張ってきたつもりである。目立たないところで頑張っていても、やはり、それを見ている人は必ず居るもので、結果として副社長から副会長にまでにさせて頂き、十分に評価して頂いたものと思う。

それでもリタイアメントはやってくる。さて、これから何をするかと考えている中で、このリタイアメントの時期に合わせて3社から社外取締役の話を頂いた。今年は、延べ4,000人もの方々が新たな社外取締役になられたらしいが、一人で何社も兼任されている方が多いので、競争は厳しく、社外取締役に就任すること自体、そう簡単な話ではなかったらしい。

そして、私がお話を頂いた3社とも、東証一部上場ではあるが、これから大きく成長が期待される中堅企業である。45年前、富士通信機製造に入社した時の、あの成長の可能性を秘めた雰囲気が、何か自分が直接お役に立てそうな雰囲気が、この3社には漂っている。さらに嬉しいことに、同じ社外取締役としての「同僚」の方々が、著名企業の経営TOPを経験された方ばかりで、取締役会の最中はもとより、その前後での会話の中身が大変濃い。本当に幸せなことである。

リタイアする直前、もう会社の日常の実務をしなくなった代わりに、私に期待された仕事は講演だった。年間で約50回程度、東京だけでなく、全国各地を回って、いろいろなテーマで講演をさせて頂いた。その殆どが、富士通が直接、間接に何らかの形で関わっているフォーラムでの講演だったので、交通チケットはすべて富士通で発行してもらい、現地での移動は富士通の社用車がサポートしてくれた。その代わりに講演料は、すでに、その分が給料に含まれていると考えて頂かないこととしていた。

さて、富士通をリタイアしたら、そうした事務手続きは、どうなるのだろうか? そもそもリタイアした後に、私に講演依頼など来るのだろうか?と色々考えたが、富士通が外部の方に講演をお願いするときに依頼しているエージェントを紹介してもらって、私も、そこに登録することにした。早速、リタイアした直後から、引き続き、幾つかの講演依頼を頂いたので、そのエージェントに回送して交通チケットの手配、講演料の徴収などの事務手続きをお願いすることとした。さすが、プロフェッショナルである。以前に秘書がやってくれたと同様にきめ細かく主催者との調整を行ってくれる。

この数年で何百回もの講演を行っているが、講演の賞味期限は、ほぼ半年である。つまり、年に2回は、新たなテーマを考えてストーリーを作っている。今後も、引き続き講演依頼を頂くとすれば、この講演資料の作成作業は、これからはボケ防止に大変役立つと思われる。講演は60-90分、声を出し続けて立ち通しで行うので良い運動にもなる。さらに終わった後の懇親会で、聴いて頂いた方々からのフィードバックを頂き、次の講演に反映したりもする。下手をすると、4-5回の講演でストーリの大半が変更になることもある。

私の場合、講演資料のネタは現地取材、ご本人との直接インタビューからできている。単に、本で読んだ話や、他人から聞いた話をお伝えするばかりでは、聴いている方々に感動を与えることはできない。講演で使う写真は著作権の問題があるので、できるだけ、現地で自ら撮っている。そして、良い講演をする秘訣は、質の高い講演を数多く聞くことである。幸い、今年まで勤めていた富士通総研では、高名な講演者を招いて頻繁に質の高いフォーラムを無料で開催しているので、これも予定が重ならない限り必ず聴きに行くことにしている。

そんなことで、私のリタイア後の人生は、そこそこに用事があり、新たな貴重な人脈もできて、まずまずのスタートが切れた。まさに、感謝、感謝の毎日である。