2015年8月 のアーカイブ

317  IoT を巡るドイツとアメリカの戦い

2015年8月6日 木曜日

はじめに(製造業の覇権を争うドイツとアメリカ)

 エマニュエル・トッドの最新作「ドイツ帝国が世界を破滅させる」は大変衝撃的な著作である。この過激なタイトルそのものには、私は、とてもついて行けない。しかし、この著作の内容には、逐一、「なるほど」と頷けることが多い。ソ連の崩壊、アメリカの金融崩壊、アラブの春を正確に予測した偉大な歴史学者トッドが、今回は、ドイツが米国、中国と並んで世界の三極体制を形成するに違いないと予言している。今年の4月28日、ブリュッセルで開かれた日本-EU官民合同会議(日-EU BRT:EU-Japan Business Round Table)で、私は、ドイツが自国の製造業の進展に向けて、米国と中国に真っ向から対抗しようとしていることを、EUに駐在する日本政府関係者から改めて知らされた。

 もし、世界が金融業で覇権を争うのであれば、それは米国と中国と英国の三極体制になるであろう。しかし、リーマンショック以降の世界は、もはや金融業が世界をリードするとは考えられなくなった。米国においてすら、金融業を含むサービス業は、もはや雇用の吸収母体ではなくなったからである。だから、オバマ大統領は、年初の一般教書演説でも、米国の製造業回帰を訴えている。これは、バーチャルインダストリー(Bit)からリアルインダストリー(Atom)への大転換である。今、アメリカ国内の大きな潮流が、金融業を担っていた東海岸から製造業を担う西海岸へシフトしていることからもわかる。

1. Industrie4.0のドイツの狙いは、中小企業の強化、製造業の領域拡大、自律分散制御

 さて、ドイツがさらなる製造業を進展させるために起こしたIndustrie 4.0の標語は、あからさまにドイツ語である。これは、国際標準を狙っているというよりも、ひたすらドイツ製造業の世界制覇を狙っている。この活動は、ドイツ政府が音頭をとって、そのリーダーはSAPの元CEOヘニング・カガーマン。そして、主体としてサポートする企業は、ドイツを代表するSAP、Siemens、Bosch、VWである。彼らが目指しているIndustrie4.0の本質は、次の3点である。

 まず、第1はドイツの輸出企業の7割を占める中小企業のさらなる強化である。ドイツと日本の中小企業の大きな違いは、日本の中小企業が大企業の系列傘下で生き抜く、いわゆる縦の関係にあるのに対して、ドイツではBoschに代表されるように、中小企業も大企業と対等に横の関係で連携することである。つまり、Industrie 4.0では、中小企業の各工場を有機的に1つの工場のように連携することにある。

 EUをリードするというより、支配するまでに至ったドイツの製造業の事業領域は、ドイツ国内だけにとどまらず、南欧、東欧、そしていよいよウクライナまでも視野に入れている。Industrie4.0の目的には、こうしたEUの隅々まで広範囲に展開する工場群を、あたかもドイツ国内にあるかのように、最新のICT技術を駆使して、きめ細かく経営しようとする狙いがある。

 Industrie 4.0の第2の目的は、製造業のビジネス領域の拡大である。単に、製造して、そのプロダクトを販売するというビジネスから、売った後の、運用・保守(O&M : Operation and Maintenance)にまで伸ばして行こうとするものである。例えば、今回、ブリュッセル開催の日-EU BRTで私が聴いたダイムラー社のプレゼンテーションで説明された自動車産業のO&Mとは、Autonomous Drive(自動運転)であった。これは、「自動車」というモノを販売するというビジネスモデルから、「移動」という手段をサービスとして販売するビジネスモデルへと大きく業態を変える。

 そして、最後の1つは、「自律分散制御」である。これは、第1の目的、および第2の目的を実現する具体的な技術である。よく、IoT(Internet of Things)は、世の中に広く存在するセンサーから集めた情報をクラウドで1か所に集めて、そのビッグデータから学習して、システムの制御を行うと述べられているが、これは大きな勘違いである。IoTの本質は自律分散制御にある。例えば、Industrie 4.0の第1の目的である、多くの工場の一体化運営においては、IoTは自律分散制御によってトヨタが開発したカンバンシステムを電子的に実現するものである。

 第2の目的であるO&Mについても同様である。例えば、Autonomous DriveにおけるConnected Carの概念についても、車同士が相互に交信して衝突を避けるという大きな意味合いがある。今後、EUではエアバッグの代わりにConnected Carの搭載を義務づけるという話が進んでいる。これこそ、まさに典型的な自律分散制御である。この後、アメリカにおけるIoTの動向についても述べるが、この自律分散という概念こそが最も重要である。今、多くのメディアはIoTの言葉を形作る「Internet」の本質について誤解している。「Internet」の本質は、誰も中央制御していないということ。「Internet」そのものが、まさに自律分散の典型であるからだ。

2. 起業家精神を尊重するアメリカは国立研究所がオープンコンソーシアムと協業する

 さて、ドイツのこうした動きに対して、アメリカはどのように動いているのだろうか? ブリュッセル、ミュンヘンでドイツが推進するIndustrie 4.0を調べた後、シリコンバレーで「AI(人工知能)+ロボティクス」というテーマで20か所に及ぶスタートアップ、大学、ベンチャーキャピタル、シンクタンク、研究機関を訪問した。ここで、なぜ調査テーマをIoT(Internet of Things)にせず「AI+ロボティクス」にしたかと言えば、IoTという極めて概念的な言葉で調査をすると本質を見誤るからである。

 それよりも、ドイツとアメリカの本質的な違いは、ドイツが国家的なプロジェクトとしてIndustrie 4.0として推進しているのに対して、アメリカは、あくまで草の根から挑戦する起業家精神を尊重している点にある。今や、アメリカの国家的競争力の源泉となったGoogleでさえ、ロシアからの移民がアメリカ政府から何の援助もなく立ち上げた企業であることが、その典型的な例であろう。

 その意味で、私が最初に訪れたのはリバモアで展開されているロボットのオープンコンソーシアムであるSVR(シリコンバレーロボットコンソーシアム)であった。多くのスタートアップが参加するSVRのリーダーと面会した時に同席したのは、なんと、あの高名なローレンス・リバモア国立研究所の面々であった。いつも世界最高速のスーパーコンピュータを擁するローレンス・リバモア国立研究所は米国エネルギー省の傘下にあるアメリカ最優秀の研究所である。

 私が、一番驚いたのは、核兵器と原子炉を開発する、ローレンス・リバモア国立研究所は、アメリカの最重要国家機密を抱える機関である。この組織が、オープンコンソーシアムと協業するというのは、一体、どういう考えなのかということである。私の想像では、2万人もの米国でも最優秀の研究者を抱えるローレンス・リバモア研究所は、もはや核エネルギー研究というテーマでは、研究者のモチベーションを維持できなくなったということであろう。

 SVRの連中からは、最近、日本の三井住友銀行から強力な支援を受けることになったと聞いたが、米国から日本に帰った日に、早速、日経の1面に掲載されていた。しかし、SVRの人たちが語るには、つい数年前までは、アメリカでロボティクスは全く投資が得られない分野だったと言う。つまり、あらかじめプログラムされた産業用ロボットの分野は、すでに、ファナック、安川電機、三菱電機など日本メーカーが占有している分野であり、アメリカが今さら出て行っても全く勝ち目がないと見られていたからだ。

 潮目が変わったのは、2012年、AI(人工知能)のビッグバンが起きてからだ。状況を自ら判断して、自分の考えで動くAI(人口知能)搭載ロボットが現実のものになってきた。今、アメリカで多くのVC(ベンチャーキャピタル)やファンドがロボットに熱い視線を注いでいるのは、そのためである。三井住友銀行も遅れてはならぬと、早速、シリコンバレーのロボット関連のスタートアップに投資を始めたのも、なるほどと頷ける。

3. 自律分散制御こそがIoTの本質である

 さて、この「AI+ロボティクス」と「IoT」とは、どういう関係があるのだろうか? この答えをNASAにおけるロボット研究の第一人者である、サンスパイラス教授は、次のように語る。「ロボットで一番大事なことは自律分散制御だ。人間だって、すべての行動を脳からの指令で行っているわけではない。残酷な話だが、鶏の頸椎を切断しても鶏は何の不自由もなく歩くことができる。鶏にとって歩くという動作は脳からの指示を受けていないことの証明だ。こうした自律分散制御こそがIoTの本質である。」

 今のアメリカは、まさにプラグマティズムの実践、そのものである。GoogleやAutoDeskのような、これまではBit世界にいたIT企業が、モノ作りの現場であるAtom世界に大きな関与を始めている。SRI(Stanford Research Institute)も、あのSiri(Speech Interpretation and Recognition Interface:発話解析・認識インターフェース)を生み出した伝統ある音声認識研究所をロボット研究所に衣替えした。そこでは、バイオメカニクスを基礎とした人工筋肉を開発中であった。IoTというとセンサーばかりが強調されるが、アクチュエータもセンサー以上に重要な位置づけを持つ。

 一般に、ロボットと言えば、駆動機関はすべてモーターである。空気制御を行っているものも、圧力制御はやはりモーターである。しかし、人間を含む動物は筋肉というモーターより遥かに省エネの駆動機関を持つ。SRIが開発中の人工筋肉はゴム状の繊維に微弱電流を流すと収縮するというバイオメカニズムを実現している。凄い! そして、ここにも三井住友銀行は大きな研究投資を開始した。これも、私が帰日後に、日経新聞ですでに公表されている。

おわりに(日本はIoTにどのように関わって行くのか?)

 ドイツとアメリカ、21世紀の製造業をリードする2つの超大国。日本は、この両大国と、どのような関わりを持っていくのか、あるいは、独自の新たな道を開発して行くのか? 迷っている時間は、そう多くは残されていない。いずれにしても、IoTという概念的な言葉だけを連呼する、掛け声だけのキャンペーンでは、実質的な実りは何もないし、誰もついて来ないことは明らかだ。

 IoT (Internet of Things)という言葉に、さらに拘ってみると、Internetは、あの巨大なシステムを縁の下から支えているのが自律分散制御である。もしInternetが、中央制御システムで動いていたなら、それは極めて非効率で、かつ、とんでもなく脆弱であったであろう。いつも、国際標準形成に対してリーダーシップが弱いとされている日本でも、小さく閉じた系で自律的に動作するシステムの開発であれば、国際優位に立てる可能性は十分にある。

316 ポツダムの思い出

2015年8月5日 水曜日

明日は8月6日、広島に原爆が投下されて70年目にあたる。なぜ、あのような非人道的な爆撃が行われたのだろうか? 多分、あのような悲劇は広島・長崎の後に人類が経験することは二度とないだろう。2007年、ドイツのハイリゲンダムで行われたG8サミットに安倍総理大臣に同行し、ベルリンを訪れた時に、公務が終わった後、ポツダムを訪れてガイドから聞いた話は、今でも悔しくて忘れられない。

原爆を投下した当事者である、アメリカの言い分では、日本に対して、無条件降伏を迫ったポツダム宣言を早く受諾させるために、広島・長崎への原爆投下はやむを得ない手段だったと言われている。しかし、私が、ポツダムを訪れて聞いた話は、アメリカの言い分に対して全く納得のいかないストーリーだった。

ポツダム宮殿は、ベルリンから車で1時間ほどの距離にある質素な館で、いわばベルリンの奥座敷とも言える。米英連合軍よりも、いち早くベルリンを陥落させたソ連は、米英との戦争終結後の会談に供するために、このポツダム宮殿を無傷のまま占領した。その上、宮殿内の全ての部屋に盗聴器を据え付け、一番大きな部屋をソ連の拠点として占有した。即ち、このポツダム会談を話し合う場所は、最初から圧倒的にソ連優位に設定されていたのである。

米、英、仏、ソ連、中国の連合国と言っても、フランスはドイツ占領から、ようやく解放されたばかりで、連合国の一員として、ポツダムで対等に議論できるだけの立場にはなかった。中国の蒋介石総統も中国国内での共産党との対峙で、とてもポツダムに来る余裕などなかった。さらに、英国のチャーチル首相は、ポツダム会談直前の選挙で破れてしまい、その後の混乱で、英国はポツダムに代表すら送ることが出来なくなった。

このように私に話してくれるガイドは、日本語が堪能なドイツ人女性である。彼女は東ドイツ生まれで、フンボルト大学で首席をとるほどの秀才であった。当時の東独の独裁者ホーネッカー書記長から日本への留学を命じられる。留学先はホーネッカー書記長と親しかった松前重義氏が創立した東海大学だった。留学を終えて、日本から帰国した彼女は、居住先の東ベルリンから両親を残して西ベルリンへ逃亡する。それは、ベルリンの壁が崩壊する2年前のことであった。

この東独生まれの女性ガイドの話を続けると。ソ連が全て準備万端整えたポツダム宮殿に、後からやって来た米国は、既に、その時点で圧倒的に劣勢にあった。ポツダム会談は、ソ連の絶対的優位の中で、アメリカとの2国間会談として行われた。ドイツは、既に降伏し、連合国の敵は日本しか居なかったわけだが、米ソ両国にとって、もはや日本の敗戦は疑いも無い既成事実であった。従って、ポツダム会談は、戦後世界の地図を米ソ両国で、どう塗り替えて行くかという議論でしかなかったというのである。

こうした状況のなかで、アメリカが日本に原子爆弾を投下したことは、日本の降伏を早めるということよりも、ソ連に対して、戦後世界はアメリカが支配するのだという示威行動であったというのである。ポツダムの会議場所は、アメリカに、そう決断させるほど、アメリカにとって惨めな場所だったという。全ての部屋にソ連の盗聴器が設置されている中で、アメリカの交渉団は、筆談でしか議論することが出来なかった。ましてや、本国との交信など、まるで不可能で、この時点でアメリカの最大の敵は、もはや日本ではなくソ連だったというのである。

こうした状況の中で、アメリカは日本に、広島、長崎と二カ所も原爆を投下した。一つは海に面した平野に、もう一つは湾が入りくんだ丘陵地帯に投下した。一つはウラニウム型原爆で、もう一つはプルトニウム型原爆を投下した。来るべきソ連との戦いに備えて、緻密な計画の元に、日本で実践的な核実験を行ったというのである。このポツダムの語り部は、日本と同じく、先の戦争で敗れたドイツの出身でもあるからだろう。また、日本に留学し、日本人の情緒を身につけたことにもよるだろう。私たち日本人でさえ、直言しづらいことを率直に言ってくれた。

私は、このドイツ人女性のガイドの話を聞いて、本当に悔しかった。確かに、日本もアジアの諸国に酷いことをした。まさに、狂気の沙汰であった。あの広大な中国全土に戦線を広げて、一体、どうするつもりだったのだろう。私には、全く理解出来ない。それでも、原子爆弾の殺傷力を生身の人間で試すというのは、全く許しがたい。3歳くらいだったろうか、父親の肩に乗って、生まれて最初に見た映画は、広島原爆投下後の実写フィルムだった。身体中、焼け爛れて手足から皮膚が垂れ下がったまま歩いている姿を見た時、私が突然泣き出したので、父親は直にも外に出たという。

毎年、8月になると、この映画の場面を鮮明に思い出す。いかなる戦争にも、それを正当化する論理はない。いつも、防衛論の話で、勇ましいことを言っている人の殆どは、もう戦争に兵士として狩り出される可能性がない年齢の人たちである。それは、あまりにも無責任だろう。