オレオレ詐欺の被害を防ぐため、母から全ての銀行通帳を預かって母の貸金庫に保管した後で、母から次のような話を聞いた。「先週、M銀行から10年以上取引がない口座をどうなされますか?」と電話が掛かって来たとのこと。そう言えば、半年ほど前に、母から、M銀行の通帳を間違ってシュレッダーにかけてしまったと聞いたことがあった。その時は、「また、好い加減なことを言って!」と聞き流していたのだが、続けて辻褄があった話を聞いたら捨て置けない。
ところで、今回は、M銀行と匿名化しているが、考えてみると日本のメガバンクは全て頭文字がMである。
「母さん、ところで、その通帳に幾ら入っているの?」と聞くと、「多分、400万円くらいかな?」と言う。それは、ほっとけないと突然本気になる、私。「ところで、どうして、その通帳なくしたの?」と聞く。「いや、記載が一杯で古い通帳だと思ってシュレッダーしたら、新しい通帳が見つからないのよ。多分、それは古い通帳ではなかったのかも。でも、もう、諦めるしかないかな。」
それで、母の住所と名前を言って、通帳の再発行が可能か、M銀行平塚支店に問い合わせてみた。その答えは「通帳の再発行は、ご本人が身分証明と銀行印を持参して頂ければ可能です。」だった。でも、私は食い下がり「いや、本人は90歳で、もう長い距離は歩けないのです。息子の私が代行するには、どんな書類が必要ですか?」と聞いてみた。「いや、ご本人でないと再発行はできません。」と交渉の余地もない。
さらに、私。「わかりました、大変ですが、何とかして連れて行きます。ところで、母の通帳は存在するのですか? 大変な思いをして連れて行って、実は、口座はありませんでは、やっていられませんから」と聞くと。「お母様の口座が存在するかどうかは電話では答えられません。とにかく連れて来て下さい。お手続きは2階です。守衛に言って頂ければ、エレベーターが使えます。」
「母さん、やはり母さんが行かないと駄目だと銀行は言っている。何とか行けないか?」と私。「おまえ、私は、もう歩けないよ」と母は言う。「じゃあ、ホームセンターに行って車椅子買ってくるよ」と言うと。「車椅子なんてみっともなくて嫌だよ。」「じゃあ、歩行補助器ならいいか?」とそこでようやく折り合って、2万円の歩行補助器を買ってきた。それでも、M銀行が指定した駐車場からは歩いて300mもある。今までは何とも思わなかった、歩道に敷き詰められた目の不自由な人向けの黄色の突起(点字ブロック)が本当に恨めしい。母の歩行補助器は、この突起で何度も横転しそうになる。
確かに、銀行の2階へのエレベーターは普通の顧客は使えない。守衛の許可を貰って、行員が居るインサイドに入らないと使えない。M銀行には、こんなバリアーがある。ようやく、2階に行って窓口に辿り着いた。それで、母の健康保険証を見せて銀行印を渡すと、「確かにお母さんの口座はあります」との回答。「やったー」と母と二人でガッツポーズ。ここで、銀行のテラーから冷静な言葉。「通帳の再発行には、1200円が要ります」。1200円なんて問題ではない。ついでに「もう、母を銀行に連れてくるのは大変なので、キャッシュカードも作りたいのですが」と私が言う。またテラーの冷静なお言葉「キャッシュカードの発行には、さらに2500円要ります」。「もう幾らでも払います。」と歓喜して答える私。
「お母さん、住所・氏名は書けますか?」と急に優しい言葉をかけてくるテラー。母は、意外なほどしっかりした達筆で、所定の申請用紙に必要事項を次々と書いていく。「なんだ、全くボケていないじゃないか」と口には出さないが、母の所作を感心して見る私。「はい、それで全て手続きは終わりです。まず、10日ほどしたら、お宅にハガキが行きます。それが銀行に返送されてこないことを確かめてから、書留でキャッシュカードが届きます。それから何日かして通帳が書留でお宅に届きます。」とテラーが淡々と説明する。
この日は、親子共々、大変だったが、充実した日々だった。さて、それから2週間後のことである。「母さん、キャッシュカード来ている?」と聞くと、「来たよ。お前のお陰で貯金が無くならなくて本当に良かったよ」と母が受け取ったキャッシュカードを私に渡してくれた。「母さん、このカードも私が預かっておくよ。」と言って受け取った。ところで、この口座は幾ら入っているのだろう。期待を込めて、ATMで残高照会を行ってみた。何しろ、M銀行は口座が存在したことは認めてくれたが、幾ら残高があるかは一切教えてはくれなかった。そこで、私は衝撃的な数字を見る。47円だ。47万円ではない。たった2桁の47円は、何ともショックだった。2万円の歩行補助器を購入して、3700円の発行手数料を銀行に支払って獲得した口座の残額は47円だった。
この話は、さすがに母親には言えなかった。なにしろ、認知症が進行していて、もう普通の論理は通じなくなっているので、このような衝撃的な話はきっと母にパニックを起こさせる。それから2週間後に、また母を慰問すると、母の方から言ってきた。「おまえ、通帳も来ているよ。」と通帳を私に渡す母の目は何とも悲しそうな憂いを含んでいた。母は、もう既に通帳を見たのだろう。
そこには、2行の記述があった。1行目は残高ゼロ円。母は、一度全て引き出したのだ。しかし、解約はしなかった。それで、全て引き出すまでの利息が後からついて来た。それが47円だった。私は、母に次のように言って慰めた。「お母さん、流石だね。やはり、しっかりしているよ。その通帳は残高がゼロだからシュレッダーにかけたのだろう。お母さんは、お父さんが稼いだお金を1円も無駄にしたりしていない。もうM銀行の、この口座のことは忘れよう」
銀行とは、高齢者に対して、こんな仕打ちしか出来ないのか、母に対してよりも、私は銀行に対してとんでもなく腹がたった。