2014年12月 のアーカイブ

287  久しぶりのロンドン(その3)

2014年12月13日 土曜日

英国教育省が考えている、初等中等教育におけるコア教科は、英語、数学と理科の3科目である。後は、なんでも好きなことを学習できるが、このコア3科目だけは絶対に外してはならないと指導している。その考え方の基本には、初等中等教育は高等教育の準備ではなくて、子供が社会で人として生きて行くための基本能力を早い段階からしっかり身につけさせることにある。

全く同じ話を、MITで永年、初等中等教育プロジェクトに関ってきたLarson教授から聞いた。「子供達に数学と理科を教えることは、その子が将来Ph.Dを取るための準備ではない。頭に汗をかいて集中して考える癖をつけるためだ」とLarson教授は説く。人生には、必ず、大ピンチが訪れる。その時に、思考停止し、破滅的な行動をするのではなく、何とか乗り切れる方法はないかと頭に汗をかいて集中して打開策を考え抜くことができる忍耐力が必要だと言うことらしい。

もう一つは、英語と数学と理科をきちんと身につけていれば、大抵の職業に就いても困ることがないという親心もあるだろう。そして、英国では、その数学と理科の2教科を同時に勉強するための手段として、9歳以上の小学生から、コンピューター・プログラミングを教えることが推奨されている。日本で小学校でコンピューター教育と言えば、タブレットやパソコンの使い方を教えることに留まっている。タブレットやパソコンを使いこなせれば大人になってもデジタルデバイドにならなくて済むという親心であろう。しかし、それ以上は求めない。つまり、タブレットやパソコンのソフトが、どのように動いているかまで知る必要がないと言う訳である。

しかし、英国では小学生に、パソコンが、どのように動いているかを知るために、実際にコンピュータ・プログラムを作らせる。この差は、とてつもなく大きい。そして、この学習は単にコンピューターが動くしかけを知るだけでなく、実際にコンピュータを使って、創造的な「ものづくり」を行わせることが出来るための準備でもある。まさに、現代は、コンピュータ、そのものが工作機械なのだ。

しかし、全ての教師がコンピュータプログラムを教えられるわけではない。そこで、英国教育省が音頭をとってCodeclubというNPOが、ボランティアで小学生にコンピュータ・プログラムを教えている。一般的に、日本以外ではプログラムのことをコード(Code)という。つまり、Codeの勉強をするクラブ活動と言う意味である。小学生で、こうしたCode開発の基礎を学んでいるので、中学生になればD&T(デザイン&テクノロジー)という正式な教科の中で、3次元CADを駆使して、ものづくりが出来たりするようになる。日本の初等中等教育におけるIT教育とは恐ろしいほどのレベルの差である。

私たちは、英国の普通の公立小学校で行われているCodeclubの学習風景を見せて頂いた。その授業は、パソコンが20台ほど置かれている教室で行われていた。その日の、生徒の年齢は9歳から11歳までで、Codeclubの活動は正規の授業が終わった午後3時半から5時までの1時間半である。皆、スクラッチと呼ばれるビジュアル言語で、雪だるまと雪合戦をするゲームソフトを作っていた。一応、簡単な作成マニュアルはある。生徒達は、黙々とマニュアルを見ながらコードを書いて行く。早い子もいれば、遅い子もいるが、皆、他人の進捗状況など気にする風もなく、マイペースで行っている。分からない子は、先生をつかまえて指導をしてもらう。

この中に、日本からロンドンに来て、まだ1年しかたたない9歳の女の子を見つけ出した。彼女は、私たちに日本語で、このクラブの概要を丁寧に説明してくれたが、英文のコード作成マニュアルを苦にしている様子は全くなかった。彼女によると、学校の中でも、このクラブに入りたいという子供が多く、抽選で選ばれているのだそうだ。今回、彼女も選ばれて、とても幸せだと言っていた。そう大事なことを言い忘れたが、20人ほどの子供達を教える先生は3人で、既に現役をリタイアしたと思われるシニア達である。たぶん、現役の時はITエンジニアだったのかも知れない。ロンドンも5時となれば、あたりは暗い。子供の帰りを心配する両親が寒空の校庭で、クラブが終わるのを待っていた。

何で、英国では、子供達にプログラミング(コード作成)を教えるのかと不思議に思われるかも知れないが、「コードを書く」という仕事に対する評価が、日本と欧米は決定的に異なっている。日本では、一般的に優秀だと言われているエンジニアが仕様書を書いて、実際のコード作成は賃金が安い外部に依頼することが多い。賃金が安いということは、本当は優秀なエンジニアがやっているかも知れないのだが、優秀だとは認められていないことである。つまり、日本ではコードを書くという仕事は、必ずしも尊敬される対象ではない。

ところが、欧米では、コードを書くという仕事は創造的な仕事として極めて評価が高く、報酬も高い。マイクロソフトでも、オラクルでも、大事なコード開発を絶対に外部に出したりはしない。全て、スーパー・プログラマーと呼ばれる天才的なエンジニア達が自らコードを書いている。彼らは、日本の標準的なプログラマーに比べて20-50倍の高い生産性を持っていると言われている。だから給料も極めて高い。どうして、そんなことが出来るのかと言えば、大事な所しか自分でコードを書かないからだ。あとは、世界中にふんだんに流通しているシェアウエアを各所に流用していくから生産性が極めて高い。

こうしたシェアウエアをうまく使うということが、実は日本人には出来ない芸当である。なぜなら、世界中で流通している、シェアウエアの仕様書は全て英語で書かれているからである。例えば、このCodeclubが普及している場所を示す世界地図を見ると、既に50カ国を遥かに超えているが、日本は全くの空白である。英国教育省が定める、初等中等教育のコア科目が英語と数学、理科を含むコンピュータ・プログラミングということだとするならば、日本の初等中等教育を、これから、どのように改革すべきなのか、私たちは極めて難しい正念場に立たされている。

286  久しぶりのロンドン (その2)

2014年12月12日 金曜日

今回、訪れたイーストロンドンに私はこれまで行ったことがない。それも、そのはずで、ロンドン・オリンピック以前は貧困層が集まる深刻なスラム街で、治安も悪く、およそ観光客が近づける場所ではなかったという。ロンドン・オリンピックのために行政がロンドン郊外に移転させたようであるが、そうしなければ、今のように、不動産も食料も値上がりした状況の中で、貧しい人々の毎日の生活は飢餓状態になっていただろう。何しろ、今のロンドンでは、不動産価格も賃貸料も、およそ東京の4倍近い。

また、最近の円安の影響もあるだろうが、ロンドン市街で購入する食料品の価格も東京の4倍近い。こんな環境で生きるためには、よほど高給取りでないと生活が成り立たない。こうしたロンドンのバブルは、最近、中国から沢山の富裕層が資産の保全のためにロンドンに移り住んできたためだという。習近平政権の厳しい不正蓄財の追求によって、中国系富裕層によるロンドン不動産の買い占めは、今後、ますます増えるかもしれない。そんなバブルな状況でも、従来通り、生きて行けるロンドン市民の生活力は凄いと言わざるを得ない。

さて、そんなイースト・ロンドンに行ってみると、確かに、昔はスラム街だったかも知れないという名残はあるものの、一応最低限の清潔さは保っている。どのビルも複数のスタートアップによって間借りされているだろうことは、外部の通りを歩いていてもよく分かる。私たちは、目指すスタートアップの近辺に少し早く到達してしまったので、時間つぶしにお茶を飲もうとカフェに入った。先ほど、最低限の清潔さを保っていると言ったのは、このカフェで出されたコップや皿は、きちんと洗っていないように見えたので、テーブルに備えられたナプキンで良く拭く必要があったからだ。

私が、ちょっとトイレに立つと、仲間が私の方を指差して、何か声を上げている。何かなと思って聞いてみると、トイレの向こう側のドアのガラス超しに、目指すスタートアップのロゴが見えたからだ。まさに、その清潔さに欠けるカフェとスタートアップはガラスドア1枚で隔てられた隣り組だった。店の人に、私たちは、あの会社に行きたいのだけれど、ドア越しに行って良いか?と尋ねたら、それは駄目だと言う。仕方なく、一旦、店を出て、ぐるっと回って目指すスタートアップの入り口を探したが、どこにも見当たらない。結局、元のカフェに戻って、トイレ側のドアを店員を無視して、強行突破したら、スタートアップのエントランスに行き着いた。さて、ぐたぐたとつまらないことを書いたのは、多くのスタートアップが集結する、このイースト・ロンドンの雰囲気を少しでも知ってもらいたいためである。

そのスタートアップはイスラエル人の創業者で、KANOという幼児向けコンピューターの販売を行っている。1台166ドルで販売している、そのコンピューターは幼稚園に通っている幼児でも一人で組み立てられる工夫が凝らされている。プロセッサとメモリとキーボードとディスプレイを接続するだけなのだが、コンピューターがどういう部品で構成されて、動くのかという仕掛けだけはわかる。もちろん、正確に組み立てられれば、実際にプログラムが動作する。

その中のゲームを動かすと柔道着をきたアバターが現れる。うまく得点できると柔道着の帯の色が変わる。このコンピューターのロゴであるKANOは日本の柔道の祖である嘉納治五郎から取ったものだという。このイスラエル人の創業者は大の日本ファンで、映画は黒沢明の作品しか見ないという。これ、あなたのお孫さんは欲しがらないか?と聞かれたので、9歳の孫娘は、すでに大人のスマートフォンを使いこなしているので、コンピュータの機能、そのものには興味がないだろうが、彼女はキッザニアが大好きなので、その乗りで興味を持つかも知れないと答えたら、そうだ、そのキッザニアを目指しているという。

英国政府は初等教育の中で、D&T(デザイン&テクノロジー)という教科を設けている。子供達に、現実世界で動いているもの、例えば、ダイソンの掃除機はどうやって出来ているのだろうと子供達に想像させる。そして、それを作ってみようと働きかける。もちろん、全く同じものはできないわけだが、子供達なりに、いろいろ考えて創造力を発揮する。大事なことは、この授業には、決まった正解がない。小学校も高学年になると、3次元CADを駆使して、家の設計をしてみることにまで到達する。完成したら、3次元のモデリングをして内装設計までやらしてみる。玄関から入って居間までの空間をコンピューターの中で体験させてみる。

英国政府は、子供達に小さい時から、実際の世界のものづくりに対する興味を持てるような教育を施し始めている。子供達が、大人になって役に立つ教育、何のために高等教育を受けるのかという目的意識を持たせようと考えている。このKANOの創業者も、そうした英国教育省の意図に共鳴して、こうした会社を起こしている。彼は、来年1月、英国政府がITを使った子供の教育に関する世界の5つの先進国を一同に集めてコンファレンスを開くと誇らしく説明した。そのコンファレンスの中で、彼がリーダー的な役割を果たすかららしい。

さて、ITを使った子供の教育に関する、世界の先進国五カ国とは一体どこだろうか。もちろん、英国が含まれているのは言うまでもないが、あとは、韓国、エストニア、ニュージーランドとイスラエルらしい。その他、米国は別格扱いでオブザーバーに入っているらしい。しかし、残念なことに、ここにも日本の名前はなかった。

285   久しぶりのロンドン(その1)

2014年12月12日 金曜日

そう、前回ロンドンに来たのは、何年前だろうか? 富士通の海外事業の総責任者として、また欧州、中東、アフリカを含むEMEA総代表として、ロンドンを頻繁に訪れたのは、もう8年ほど前になるかも知れない。毎回、出張目的は、大型プロジェクトの開発遅延や人事問題など緊急のテーマであり、予定外の出張で1−2泊で帰国していたので、ゆっくりロンドン市内の観光などしたことがない。

その後、今から7年前の第一次安倍内閣の時から日本とEUの官民合同会議のメンバーとして頻繁に欧州を訪れているが、ロンドンに来たことは一度もない。EUの本部があるブリュッセルだけでなく、ベルリン、ローマ、パリなど欧州の大陸側の各主要国の首都で会議は開催されてきた。欧州の共通通貨であるユーロの適用地域が、どんどん拡大し、その通貨価値が高まるとともにポンドという独自通貨に固執する英国は、欧州の僻地、あるいは片田舎に没落した感があった。だからこそ、私もロンドンを訪れることもなかったのかも知れない。

しかし、リーマンショックを皮切りに、欧州の経済危機が勃発すると、欧州金融市場は、EU加盟国の、それぞれの国境の中に閉じこもってしまった。それとともに、独自通貨を持つ英国の存在が相対的に高まり、ロンドンは再び欧州金融市場の中心的存在を取り戻した。加えて、英国政府のテクノロジーに立脚した新興企業支援政策が功を奏し、ロンドンは隅々に至るまで活況を呈している。そのロンドンへ、今回は「教育」をテーマに、ヘッジファンドからベンチャー、大学、小学校、NPOと英国教育省を訪問することになった。

今年の4月にも、この「教育」をテーマに、特に大規模オープンオンライン授業(MOOC)を中心として、アメリカの西海岸、東海岸の大学、ファンド、ベンチャー企業を中心に調査に訪れた。英国は、オープンユニバーシティやFuture Learnなど、米国には劣らない規模でMOOCが発達している国でもある。すなわち、この英国の人材育成に関する国策は世界的にみて、最も先進的とも言える。しかし、今回の調査の対象は、そうした大学のような高等教育機関ではなくて、初等中等教育をターゲットとして回ることにした。

今回から、この1週間に及ぶ調査の結果、私が感じたことを忘れないうちにまとめておきたいと思い筆を起こした。まず、最初に、10年ほど前に、このロンドンで創業し、あのリーマンショックを見事に乗り切り、シティの金融界でも多くの尊敬を集めているヘッジファンドの日本人創業者の方から伺った話を紹介したい。この方のことは、多分、日本の金融業界でも相当有名なのだろうと思われるが、その歯に衣を着せぬ大胆な発言を、ここで紹介することによって、万が一、ご迷惑がかかるといけないので、一応匿名のAさんとしておきたい。

Aさんの話は、私に取って逐一納得できることばかりで、その話を聞いてから、英国政府の教育施策を調べてみると、より正確に理解が出来た。まず最初に、Aさんは、今、世界の金融界をリードしているのは、ニューヨークとロンドンであり、欧州の経済危機を発端に、欧州大陸のフランクフルトは完全に、世界をリードする国債金融都市としての地位を失ったと言うのである。その次に、登場する第三の国際金融都市はシンガポールでもムンバイでも上海でもなく、そして残念ながら東京でもなく、香港だろうという。

その理由は、シンガポールもムンバイにも四季がなく、1年中暑い。金融相場は、過去の失敗の教訓を生かすことが重要だが、この失敗の記憶は季節感とともに身体に染み込んだものでなければならない。これが身体に染み付いてないと、何度でも同じ失敗を繰り返すのだという。そして、上海と東京が国際金融都市になれないのは、英語人口が決定的に少ない。世界経済、特に金融の世界は全て英語で動いており、英語が話せない人は、絶対に金融世界では成功しないのだと言う。

Aさん自身も日本の銀行に勤務している時は、全く英語が話せなかったが、英語を習得したことで、人生が大きく変わったという。英語が自在に話せると、ビジネスの世界が、こんなに大きく広がるものかと驚くばかりだったという。こうした自らの貴重な体験を、自分の子供達だけでなく、これから成長する日本の子供達にも、ぜひ味あわせたい。そんな気持ちで、日本の中学生、高校生達を英国で学ばせたいという活動を主たる事業とする会社を傘下に設立された。

さて、Aさんがヘッジファンドとして、主に扱っている対象は日本国債である。その日本国債をトレードするのに、なぜロンドンか?という点が、実は、今日の話の重要なテーマにもなる。それは、人材問題なのだ。Aさんは、トレーダーが50人、プログラマー50人ほどの、それほど多くない社員を抱えて、2兆円近い資産を毎日運用をしている。その仕事場を見せて頂いたが、殆どがインド系である。IQ180以上の優秀な頭脳を持ち、数学、物理学、コンピュータサイエンスを専攻し立派な成績を残した人材でないと金融ビジネスは出来ないのだと言う。もちろん、英語が堪能であることは絶対の必要条件となる。そんな人材は日本では集められない。だから会社はロンドンにある必要があるのだという。

Aさんの話によれば、現代の経済は経済学者がいうほど単純な論理では動いていない。非常に複雑な仕組みで動いているので、いかなる理論も通用しない。経済学は後から検証するのには有用な学問でも、未来を予測するのには全く役に立たないと言う。本当に信用出来るのは、今、動いている数字だけだと言うのである。今、動いている、為替、債券、金利を含む、ありとあらゆる経済指標を解析して、10分後に何が起きる、1時間後には、6時間後には、そして明日には何が起きるかを予測して、売りか?買いか?どちらのポジションを取るかを即座に決めるのだという。だから、Aさん自身も含めて、Aさんの会社の社員は、皆、驚くほどの高給取りではあるが、睡眠時間は1日、3時間を切る人ばかりだという。

世界の金融業界は、そうした過酷な労働環境で動いている。こんなことを日本の東京で毎日やっていたら、マスコミからブラック企業として熾烈な非難を浴びるのは当たり前で、従って東京は世界の金融界をリード出来る都市には間違いなくなれない。世界に冠たる豊かな社会を実現するには、生半可なぬるま湯で生きているのではすまされない。それは、金融の世界だけでなく、ものづくりの世界でも全く同様である。

ロンドンオリンピック以前は、貧民街のスラムで観光客も近づけなかった、イースト・ロンドンが、今や、サンフランシスコを凌ぐばかりのベンチャー企業のメッカになりつつある。クリスマスシーズンということもあるが、今のロンドンは、活況を呈している。一方、日本の東京は、例年、師走で酷く渋滞する首都高速も、今年はガラガラである。「景気が悪いのは、うちの業界だけじゃないですか」と嘯くタクシーの運転手こそ、実は、本当の経済の実態を知っているに違いない。日本は、これからどうすべきなのか、ロンドンから学ぶことは沢山ありそうだ。