2014年6月 のアーカイブ

274 ついに、NHK ニュースウオッチ9に登壇

2014年6月30日 月曜日

6月25日のNHKニュースウオッチ9の特集「社外取締役」に登壇させて頂いた。2週間前に、突然、私が社外取締役を勤める日立造船から、「NHKの取材申し込みがあったが受けられますか?」という連絡があった。私自身はメデイアの取材には慣れており、特に心配はしていなかったので、日立造船側の意向に従う旨の返答をした。

次に、NHKの担当記者から連絡があり、2−3の質問があった。質問の趣旨は、日本企業が漸く企業経営ガバナンスに対する監視役としての社外取締役の導入に踏み切ることになったことをどう考えるか?ということだった。これに関して、私は、終始、それは誤った考えだと主張した。既に、社外取締役を導入している多くの企業、特にグローバルに活躍している企業は、単に見張り役としての役割以上の期待を社外取締役に求めているからである。

日本を代表するグローバル企業であるトヨタやキャノンがつい最近まで社外取締役の導入に反対したのは、私には大変よく理解出来る。企業経営が全くわからない、ネームバリューだけが高い人物をお飾りのように社外取締役に選任することはナンセンスだという、トヨタやキャノンの主張は、的を得ており、正にそのとおりである。事実、そうした形にだけ拘る企業こそ、大体業績が悪いことは多くの株主が先刻ご承知である。

その次の段階として行われてきた社外取締役の導入形態として、まさに経営が遵法に行われていることを監視するために、法曹界や学術界の方々を社外取締役に選任するという手法である。これは、これで十分な意味がある。企業経営は、あくまで利潤の追求が第一であり、そうした企業行動を、経営者とは全く違う視点から監視するというのは、確かに、それだけでも大きな意味がある。

しかし、私がNHKの記者に言ったのは10年近く上場企業の取締役会に出席していた経営者ならば、他所の会社であっても取締役会に提出された資料の信憑性は、直にも見抜くことが出来るものだと言うこと。そして、社外の役員が取締役会に出席しているというだけで、社内の案件提出者は実は大きなプレッシャー受けている。事前のネゴが簡単には通じない社外取締役には、好い加減なことは出来ないと最初から警戒しているからである。つまり、長年会社経営をしてきた者が取締役会に出席しているだけで、既に十分監視機能は果たしているとも言える。

だとすれば、これからの社外取締役としての大きな意義は監視役というよりも成長への助言者であるべきだ。これまでの社内で培われてきた考え方で、見失ってきた改革手法を、長年、他の業界の会社経営に関わってきたプロフェッショナルから学ぶということの方が大きな意義がある。今回のNHK ニュースウオッチ9で主張されていたテーマは、そういうことであった。

一方、私は、生まれて初めて社外取締役に選任されたものの、社外取締役とは一体何をするものかも全くわからなかった。毎回、取締役会に提出される資料は、極めて精緻で、かつ厳格に作成されており、追求するなどいうのはとんでもないレベルであった。それで、単に形だけでなく、もっと実務に関わらせて頂こうと思ったわけである。幸い、谷所社長が、そうした私の意向を汲み取って頂き、研究開発部門全般のヒアリングをさせて頂くことになった。

そして、それが一巡したら、その次は、全国の工場巡りであった。軽薄短小の富士通の工場は何度も見て回ったが、この日立造船の工場は、その正反対で、全て重厚長大な工場である。特に、熊本県の有明工場などは既に分離した造船工場と合算すると100万㎡もある広大な工場である。そして、周り中、見回しても女性は一人も居ない。「ここの工場には女性は一人も居ないんですか?」と聞くと「そういえば、この有明工場には女子トイレがないなあ」と言われる。

こんな重厚長大な工場で女性が勤まるわけがないという雰囲気である。ここで、また私が偉そうに発言する。「中国のハルピンで世界最大のタービン工場を見学したら、工場のオペレーターは殆ど女性でしたよ。だって、何十トンもある鉄の塊は屈強な男だって素手では持ち上げられないでしょう。クレーンを使うんだったら、非力な女性だって十分に出来ますよ」。と、そんなことを言うのが社外取締役の仕事かなと思ったのだ。それでNHKの記者には有明工場を見学したときの写真を渡した。冬に訪れたので防寒着にヘルメットを被った私の写真は、今回のTVでも丁寧に紹介された。

どうもNHKが主張したかったのは、この工場見学の写真に込められていたようで「工場を含む、経営の現場まで知り尽くした上でないと、経営陣に対して的確な助言など言えないだろう。」ということなのかも知れない。たまたま社外取締役という仕事を良く知らなかった私の行動がNHKから見たときに「これだよ」と上手くハマったのかも知れない。そのせいか取材の全てが好意的であった。

だから、これを見た家族・親戚・友人達は、こぞって感激したらしい。「普段の仕事の様子を見ていたら大したことないと思っていたら、他所では、結構、きちんと仕事をしているんだ。」と言う訳である。随分、時間がかかったが、66歳にもなって、ようやく、家内や子供や孫から、少しばかり尊敬されるようになったという点で、NHKには心から感謝するばかりである。ありがとうございましたとお礼を言いたい。

 

273 ラストデイを迎えて

2014年6月25日 水曜日

お世話になった皆様へ

本日付けで、44年間勤めた富士通、4年間勤めた富士通総研を退任します。この間、多くの素晴らしき出会いにめぐり合うことができ、そのお陰で有意義な人生を送ることが出来ました。応援して頂いた皆様に心よりお礼を申し上げます。この長きに渡り、一番思い出に残っていることは、小さいながら現地子会社のCEOとして米国駐在を経験させて頂いたことでした。その経験が、私の、その後の人生に大きな影響を及ぼしました。

米国から帰国後は、製品部門、海外事業部門、研究開発部門の総責任者などの重職を経験させて頂きました。また、富士通総研に移ってからは、見よう見まねで経営コンサルタントの仕事のやり方を学ばせて頂きました。これだけの多くの勉強の機会を与えて頂きながら、富士通グループを卒業し、社会に貢献する時期が若干遅すぎたかも知れません。こんなに富士通グループに長く居続けた理由は、多分、とても居心地が良かったせいでしょう。

今回の退任は、「もう、そろそろ良いでしょう。」と背中を押されたものと思っています。 しかし、まだ来年6月まで富士通及び富士通総研から非常勤顧問の肩書きを頂いており、当面のスケジュールを見ても相変わらず講演や社外会合で多忙な毎日が続いております。そうは言っても、来年以降のことを考えて少しずつワークスタイルを変えていかなくてはと思います。

昨日は、日立造船の株主総会で社外取締役として再任して頂きました。この一年間、初めて富士通グループ以外の会社経営に参加しましたが、これは私にとって大変新鮮な驚きの毎日でした。何しろ軽薄短小から、いきなり重厚長大なビジネス世界に飛び込んだのですから当たり前です。谷所社長のご厚意により、取締役会の参加だけでなく、研究開発部門のヒアリングや日立造船が抱える日本全国の工場をくまなく見学させて頂きました。

創業130年を超える、かつては世界第二の巨大造船会社だった日立造船が主力の造船事業を分離し、第二の創業に向けて全社を挙げて取り組んでいる姿は感動さえ覚えます。しかも、日立造船が目指す、新たな事業分野は、環境、防災、資源(エネルギー、水)といった、地球と人類の存続に不可欠なテーマでもあります。これこそは、私が富士通のCTOとして、次世代技術戦略を企画している時に目指していたテーマ、そのものでした。しかし、富士通グループはヴァーチャルな情報処理産業に軸足を置いており、リアルなインフラ構築については何の力も持たなかったので、どこから手を着けたら良いかわかりませんでした。

それが、今、日立造船では、私の目の前に展開されています。こんなに面白いことがあるでしょうか?これは、少し言いすぎかも知れませんが、生涯を一つの職場だけで過ごすというのは、ひょっとすると、とても不幸なことかも知れません。昨日も、NHKのTV取材でも話したのですが、日本の会社の経営陣は「3ばっかり」だと言われています。つまり、「日本人ばっかり」、「男ばっかり」、「生え抜きばっかり」だと。これでは経営陣にダイバーシティが足りなくなるのは当たり前です。

こうした会社では役員全員が金太郎飴なので、役員会で異論反論が全く出ないし、当然、そうした環境ではイノベーションも生まれません。そういうことを防ぐ意味でも「社外取締役」を導入することは有意義だと思いますが、例えば生涯、一つの会社でしか生きてこなかった経営トップが、いきなり、よその会社の社外取締役になって何か役に立つことがあるのでしょうか?「うちの会社では、こうしていた」と言ったところで、業態も市場環境も違う会社では、元の会社の事例が、そのまま直ぐに役立つとは思えません。

そんなこともあって、今、本当かどうか分かりませんが「社外取締役市場」で人材が払底していると聞いています。多くの会社が望む「理想の社外取締役」の条件とは「理系で経営トップとなった海外駐在経験者」なのだそうです。まず、なぜ理系なのか?ですが、シリコンバレーで成功している起業家が、殆ど理系なように、現代の経営は経験や勘に基づく手法では限界があるということのようです。市場で現実に起きていることを統計学的に把握出来ないとダメだと言うのです。

もう一つ、なぜ海外駐在経験者かという問題です。転職が一般的でない日本の会社の中で、海外駐在は擬似的な転職経験になります。日本の本社とは全く価値観が異なる海外の子会社では別の会社に転職したとでも割り切らないととても仕事が出来ません。そして、自分の部下や同僚の現地社員は、既に何回かの転職を経験しているので、そういう人達と毎日一緒に議論をしていると、自分も沢山転職した経験を持っているような錯覚に陥るのです。これが、実に貴重な体験になります。そうした経験をすれば、社外取締役として、これまで全く関わりがなかった会社の経営に参加しても、直ぐに、その会社の経営に貢献できることでしょう。

こんな論理が通用しているのかどうか分かりませんが、もし、本当にそうであるならば、今日のラストデイから「社外取締役」という立場で、いろいろな会社の経営に参加することも真剣に考えてみようかと思っています。今晩9時からNHKニュースウオッチ9で特集「社外取締役」が放映される予定です。その中で、たった5分ですが私の取材映像が流れます。東京からカメラマンを含む4名のクルーを連れて二日間にわたり合計1時間以上もTVカメラを回し取材された中からエッセンスだけが流れる筈なので中身の濃い内容となっていると思われます。

全くの偶然ですが、丁度、私のラストデイに、NHKが、私の新しい門出を祝して下さっているような気もします。皆様、永い間、本当にご支援ありがとうございました。

272 本の始末

2014年6月20日 金曜日

元々、私は、若いころから本を読むことが好きだった。小学校では1年間に何冊読むかという競争では負けたことがなかったし、大学へ入学した後は、友人に読書家が多かったこともあり、本当に貪るように本を読んだ。しかし、会社に入ると余りに多忙で本を読む時間すらなくなった。特に目が疲れやすく、アレルギーも酷かったので、飛行機や電車で移動中は目を瞑って休めることに専念し本を読むどころではなかった。

しかし、2007年に代表取締役副社長、次世代技術戦略及びR&D担当、いわゆる最高技術開発責任者(CTO)を拝命してから、時間的余裕もできたので、再び、心を入れ替えて本を読むことにした。多くの本を読むために速読をするのは良いが、良い本は、後でじっくり読み返したいとも思ったので、本の購入は会社の経費は一切つかわず全て自費で購入した。会社で用意してもらったのは、それを収納する立派な本箱である。今や、自室に立派な本箱が7つ、本の総量は1,000冊にも及ぶに至った。

平均すると1冊の購入価格は2,000円弱、高いものは4,000円から5,000円ほどするものまである。もちろん、こんな量の本は自宅に持ち帰っても置く場所など全くない。従って、この本の始末をどうするかが、会社を退任する際の最大の懸案事項だった。カミさんは、「全部ブックオフに売ったら?」と気楽に言うが、総額2百万円と言う購入費用以上に、1冊、1冊、丁寧に選んで買っただけに、やはり捨てるには未練が残る。

私の本の購入方法は、朝日新聞、日経新聞の日曜版の書評、及び毎月購入しているTop Pointという優良図書の抄録版の中から、特に面白そうなものを選りすぐって買っている。本屋さんで目についたものを手当たり次第買うのとは違うので、この1,000冊は10,000冊以上の価値があると思っている。だから、カミさんが言うように、そう簡単に売り払うわけには行かないのだ。そうこうしている間に、先月末、正式に今月末の退任を通知され、いよいよ、この1,000冊の本の始末をすることになった。

以前から考えていた始末の方法は、いわゆる「先延ばし」である。まず、寺田倉庫に一時的に預けることにした。いつか、事務所を開設して、そこに並べるのが夢ではあるが、その時が、いつ来るかわからない。それまでに、「あの本が読みたい」と思ったときにどうするかである。本と言うのは、題名だけ見ても、どんな本だったか思い出さないことすらある。私の場合は、翻訳本が多いのだが、何故か翻訳本は原題からは想像すかない訳題を付けていることが多いので、なおさら内容を思い出しにくい。

1,000冊の本は寺田特別仕様の丈夫な段ボール箱、30箱に収まることがわかった。引き出す時は、ネットで指定した箱単位で何処へでも配送してくれるのだが、問題は、どういう仕訳で、どのように管理して、箱に収納するかである。まず、私が最初にやったことは、本の分類である。分類は、以下の17分類とした。「中国」、「アメリカ」、「日本」、「グローバル」、「医療」、「サイエンス」、「IT」、「環境」、「エネルギー」、「イノベーション」、「金融」、「経営」、「社会」、「地域」、「大震災」、「教育」。いわゆる小説類は殆どないので、この分類では「その他」に入る。

それぞれの本は、分類ごとに通番をつけて、題名、著者、発行所、ISBN番号、価格、発行年月日を記した管理簿を作り、その本が、寺田倉庫に格納される、どの箱に収められているかがわかるようにした。しかし、それだけでは、何か物足りない。あれこれ思案したあげくに、1,000冊の本の表と裏を写真にとって管理簿に添付することにした。これは、実に正解であった。管理簿の本の題名を目で追うよりも、本の表紙の写真を見渡す方が、欲しい本が早く見つかるのである。人間の視覚的な感覚というのは凄いものである。

ざっと2週間。約100時間の作業で、30箱を無事送り出した。寺田倉庫から段ボール箱に添付されてきた配送伝票に依れば、この箱は、宮城県岩沼市の倉庫に届けられている。その岩沼市と言えば、私が東日本大震災で大きな被害を受けた仙台空港の状況を見に行った時に訪れた街である。多分、倉庫は阿武隈山地の高台にでもあるのだろうが、これも不思議な縁である。私の、大事な、大事な蔵書が、この仙台空港の奥座敷に収められている。早く、事務所を開設して、この愛すべき本たちを迎え入れる日がくることを楽しみにしながら、新たな仕事へと邁進していきたい。