2013年12月 のアーカイブ

256 2013年の世界情勢

2013年12月31日 火曜日

今日は、大晦日。2013年に出張してきたアメリカ、EU、中国で見聞きしたことを振り返ってみて、今、世界はどのように変わりつつあるか?そして日本は、世界から、今、どのように見られているかを、私なりに総括してみたい。

まずは、2013年1月、今、世界でもっともホットな国アメリカ。そのアメリカの中で、もっともホットなシリコンバレーを訪問した。5月にはパリで日本とEUの官民合同会議に参加。同じく5月には、中国南部の広州、香港と世界最大のギャンブル都市となったマカオを訪問。11月には再度、中国。三中全会後の中国はどうなるかをヒアリングするため北京へ行った。この4度の海外出張で、今世界がどうなっているかを語るのは、誠に、おこがましいが、結果的に良い場所を選んで周ったものだと思っている。

まず、まず米国のシリコンバレー。本当にホットである。私がシリコンバレーに居た1998年から2000年までのITバブル、ドットコムバブルを偲ばせる勢いがあった。しかも、今度はバブルではなく実体を伴っている。サンフランシスコから、マウンテンビュー、サンノゼに至るシリコンバレー全域のフリーウエイは朝夕の通勤時は大渋滞である。スカイプに代表されるネットワーキングの時代に、なぜ2時間もかけて渋滞の中、オフィスまで行かねばならないのか? 実は、そこに大きなヒントがある。

私がシリコンバレーを訪問中、GoogleのCTOからYahoo!のCEOへ移ったマリッサ・メイヤーが在宅勤務を禁じたのは単なる偶然ではない。世の中を変える力強いイノベーションは、少数の意志のある人々が、同じ場所で膝を突き合わせて面談をすることによって生まれるのだということを世界に知らしめた。だからこそ、世界中の金融事業者が、世界中の自動車企業が、世界中のテレコムキャリアーが、今、シリコンバレーに集まっている。お互いに業際を乗り越えて、少人数で話し合うことにより、新たなビジネスの芽が生まれてくる。

そして、東部のアイビーリーグと呼ばれるアメリカの一流大学が、今、シリコンバレーに次々と新たな拠点を築いているのは何故だろうか? アメリカは、今、東部から西部へと大きな流れが起きている。少し前、アメリカを支えているのは東部の金融業だった。それが、今、ウオールストリートからメインストリートへと金融業から製造業、あるいは実態を伴ったサービス業へと転換が進んでいる。金融業は、本来の役目である産業の血流への役割に回帰し、もはや巨大なギャンブル業としての勢いはない。

Google、Facebook、Twitterなどシリコンバレーの新興企業の株価総額は170兆円を越し、東証の時価総額を大きく抜いている。全米の研究開発投資総額のほぼ半分を占めるシリコンバレーは、どうして、その地位を築いたのか? それは、まさにダイバーシティである。「アメリカは世界、そのもの」の象徴がシリコンバレーである。シリコンバレーを担う人々の多くはアメリカ生まれではない。また、Facebookのザッカ―・バーグやAppleのスティーブ・ジョブスは異才と呼ばれているが、一方では発達障害ではないかとも言われている。こうした型破りな人々が活躍できる社会こそが真のダイバーシティ社会である。

さて、欧州は本当に深刻である。欧州金融危機は、少しも改善してはいない。欧州でまともな銀行は英国のHSBC、ドイツのドイツ銀行、フランスのBNPパリバの3行しかない。あとは、日本やアメリカの基準で言えば、とっくに破たんした銀行である。しかし、EUには銀行を破綻させ、救済するというスキームが全くない。だから既に破綻している銀行がゾンビ銀行として生き続けている。たぶん、200年、300年かけて生き返ることを考えているのだろう。まさに、フランケンシュタインの世界である。

それでも、EU政府の最大の懸念は金融問題ではない。彼らが最も心配しているのは若年層の失業問題である。ただでさえ高い南欧の失業率に対して、若年層の失業率は倍近くある。スペインでは70%以上、イタリアでは60%、フランスでも50%近くある。しかも、さらに性質が悪いのは、大学卒の若者の失業率が大学を出ていない若者の倍近くあることだ。一般的に、雇用改善のための一番効果ある施策は教育である。教育を施せば、雇用機会は増えるというのが、これまでの常識であった。それが成り立たないというところに大きな問題がある。

どうして、こういうことが起きるのか? まさに求職と求人のミスマッチである。このことは、実はEUだけの問題ではない。北アフリカのジャスミン革命を起こした主体は職にありつけない高学歴者だと言われている。このことは、急激に高学歴化が進んだ中国でも起き始めているし、世界一の高学歴社会である韓国でも起きている。当然、日本でも、これから顕著になっていく。なぜ、高学歴者が求職で苦労するようになったのか? それは、本来、雇用を吸収するはずのサービス業がITの進展で従来ほど多くの雇用を必要としなくなったためである。世界一の先進国であるアメリカでさえ、サービス業は雇用を拡大してはいない。

次に、中国。今まで、中国を牽引してきた広州、深圳、香港において、これまでの勢いは全く感じられなかった。高速道路を通行するトラックの台数は、1年前の半分である。明らかに、中国のバブルは終焉を遂げた。やはり、かつての日本、スペイン、ドバイで感じたように、中国ですらも、あの勢いは典型的なバブルだったのだ。この中国のソフトランディングの影響は、中国だけに留まらない。中国の資源爆食が止まったことにより、一気にオーストラリア、ブラジル、南ア、ロシアの勢いが止まった。どういうわけか、割を食って、インドまでおかしくなってきた。さらに、ドイツを代表する企業であるシーメンスの業績までもが狂い始めている。過度の中国依存度が裏目に出た格好だ。

一方、マカオの勢いは凄い。総売上5兆円の内、1兆円がマカオ政庁の収入になるというのだからスケールが違う。しかも、ギャンブルビジネス規模は既にラスベガスの5倍を超えているのに、カジノの新規建設は一向に止まらない。これを見たら、日本にも東京湾上にカジノ特区を作りたいと思うのも無理はない。しかし、カジノでの様子をよく見ると、何か変だなと思わないだろうか? 賭博客は全て中国人で、賭けのレートはとんでもなく高い。チップの単価がラスベガスの10倍近いからだ。しかも、お客の顔にはギラギラしたところは全くない。多分、これは中国の超富裕層のマネーロンダリングのためのプラットフォームだと思った方がわかりやすい。この真似をして東京に特別な収入が入ると思ったら大きな誤算になるかも知れない。

最後は、三中全会後の北京である。日本のメディアでは、尖閣を巡る日中抗争だけが話題となっているが、中国へ来て、よく話を聞くと、習近平政権にとって尖閣問題など些細なことだと言うことが直ぐにわかる。胡錦濤、温家宝政権が10年間、不作為の罪を犯し、何もしてこなかったつけが全て習近平政権に圧し掛かっている。もちろん、習近平という人を私が知る由もない。しかし、今の中国は誰が政権をとっても地獄である。こういう状況の中で、尖閣問題を顕在化した日本を、習近平政権が、どのように見ているかは明らかである。「何で、こんなことで俺の足を引っ張るんだ」とでも言いたそうである。

それでも胡錦濤、温家宝が行った大きな過ちである4兆元の大規模景気刺激策のような愚行を二度と行わないと言う習近平政権の決意はたいしたものである。将来の若者に大きな借金を負わせることを無視して、支持率の拡大だけを目指した、日本の現政権の巨額の景気刺激策を見ると、選挙がなくて、ポピュリズムに毒されない国の政策を羨ましくなるのは私だけだろうか。権力者の腐敗と貧富の格差の問題さえ解決すれば、習近平政権のソフトランディング政策は、きっと成功するだろう。しかし、今回の三中全会の決定事項を見ると地方政府官僚、国営企業の経営者という既得権者の権益に正面から踏む見込むことが、未だに出来ないでいる。

2014年は、こうした世界の苦悩を、どう解決していくかである。そのためには、当然、一つの国、一つの経済ブロックだけで解決できる問題ではない。TPPは中国を排除するものではなく、中国を先進国のルールのなかで、仲間に迎え入れようとするアメリカの強い意志である。APEC全体がFTAAP(アジアパシフィックFTA)に入ることは既に決まっている。日本は、日中韓FTA経由でFTAAPに行くか、TPP経由でFTAAPに行くかの二通りしかない。日本が、どちらの選択をすべきかは明らかである。それでも中国を排除すると言う意味は全くない。今の世界経済状況からみて中国抜きでの経済連携など全く考えられないからである。

今年1年、米国、欧州、中国を回って、私が、一番懸念していることは、今の日本が世界中から疎まれる存在になっていることである。いわずもがな、これら3カ国は先の大戦の連合国であり、戦勝国である。彼らから見て、今の日本は、先の大戦の評価を見直そうとしているように見える。彼らは「戦勝国連合」を「国連」と訳し、本気で、いつか常任理事国になれると思っていて、「敗戦」を「終戦」と読み替えている日本は、先の大戦に負けたという事実を、もはや忘れてしまったのではないかと懸念している。

255 復活を果たしたキャピタルホテル1000

2013年12月28日 土曜日

昨年11月1日に再び開業を果たしたキャピタルホテル1000の畠山直樹社長が、昨日、私が勤務する竹芝のオフィスに来られた。東日本大震災で4階まで浸水し、1階は全壊して再建不可能として廃業に追い込まれたキャピタルホテル1000を私が初めて見たのは、大震災から、ほぼ1年後の2012年2月だった。海岸沿いに建てられた、この7階建てのホテルは大震災の爪痕を残しながらも気仙地区のナンバー1豪華リゾートホテルだったことを偲ばせるに十分な洒落た景観を留めていた。

ホテルの名前にある『1000』は陸前高田が生んだ大演歌歌手、千昌生さんの『千』である。バブル絶頂期の1989年に贅を尽くした、この豪華ホテルには、当時の不動産王であった千昌生さんが多額の資金を出資して建てられた。大船渡、陸前高田、気仙沼を含む気仙地区の人々の結婚式や演奏会など主だった催しは、皆、このホテルで行われた。しかし、バブル崩壊と共にホテルの稼働率は低下し、オーナーの千昌生さんも不動産王から借金王になり、ホテルは一度倒産し、第三セクターが経営を引き受ける。この後、堅実な経営が功を奏して累損を一掃した矢先に来たのが、あの東日本大震災である。

ホテルの周辺は津波で全てが無くなった。白砂靑松の景観で有名な7万本の高田松林も、陸前高田駅も、駅周辺のアーケード商店街も、今は何の跡形もない。僅かに、松原近くにあった野球場と思しき4本の照明塔らしきものだけが残っている。この野球場は2011年3月に完成し、その、こけら落としとして楽天のオープン戦が予定されていた。しかし、その直前に、大震災の津波と地盤沈下で、一度も試合が行われないまま野球場全体が海に沈んでしまっている。

もう、関係者の誰もが挫け、心が折れた。ホテルを再建するなど、誰も考えが及ばなかったのも無理はない。しかし、そんな中で、ホテルの一従業員だった畠山さんは、自らが社長となって再建することを決意した。この畠山さんの心意気に、多くの人が応援団となる。国も補助金を出すことを決め、三菱商事復興支援財団も出資、地元気仙地区の気仙沼信用金庫も融資に応じ、キャピタルホテル1000の再建が決定した。再建先は、海岸から2キロ離れ、高田の松原があった海岸が見渡せる海抜18メートルの高台である。もちろん、あの奇跡の一本松も各部屋から見ることが出来る。

私が、この再建中のキャピタルホテル1000を訪れたのは、昨年2013年10月11日だった。それは11月1日のグランドオープンを控え、10月25日には関係者一同を集めて落成記念式典が開催される、ほんの2週間前であった。まず、私達が一番困ったのは、建設中のホテルが見える高台へ辿り着く道路が見当たらないことであった。そう、未だホテル玄関への導入路が出来ていなかったのだ。どこから上がるのだろうと困っていた私達を、作業着姿の畠山社長が私たちの人数分のヘルメットを両手に持って近づいてきた。どうやら目の前の土手を上るらしい。

ホテルの中は、内装を完成させるための作業員の方が忙しく最後の詰めを行っている。そんな中を畠山さんはロビーから宴会場、厨房、各部屋の内装にいたるまで、その熱い思いを私たちに説明して下さった。このホテルには、通常の観光ホテルに必ずある土産物屋とレストランがない。畠山社長は、観光で訪れたお客様には地元、陸前高田の仮設商店街で買い物を、仮設レストランで料理を召し上がって頂くといった回遊ツアーして頂きたいと考えている。それにしても、あと2週間で本当に落成祝賀式典など出来るのだろうかと不安を隠しきれないまま帰京することになった。

東京に帰ってから、25日の落成を祝うため、お花を贈らせて頂いた。昨日、畠山社長は、その返礼に来られたのである。何とも律儀な東北人気質である。しかも、お土産は、地元陸前高田の銘酒、酔仙の生酒だった。畠山社長からは、「これは生酒ですからね。日持ちしませんから早めに飲んでくださいよ」と何度も念押しをされたが、具合の良いことに翌日は仕事納めの納会だったので、多くの仲間と一緒に滅多に飲む機会のない生酒を味わうことが出来た。

畠山社長から伺った話は、Good NewsとBad Newsとの両方があった。まず、Bad Newsから言えば、ようやく完成した復興住宅への入居状況が芳しくないことだった。年金暮らしの一人暮らしのお年寄りが申し込む1DKは、さらなる増築が望まれているが、家族一緒で過ごすための3DKはさっぱり申し込みがないのだという。それは世帯主である父親が地元で働き場所を見つけられないためである。市役所から復興方針が出される前に、勝手に、どんどん再建してしまった大船渡市に比べて、陸前高田市の復興はさっぱり進展していない。

Good Newsは、キャピタルホテル1000が開業以来、大変盛況なことである。結婚式や宴会、ピアノの発表会など催し物は目白押しだとのことである。そして、この年末年始は市外の仮設住宅に避難している方々が正月を故郷で過ごそうと、早くから予約で一杯となってしまったらしい。せっかく、大晦日の紅白歌合戦で陸前高田から実況中継で歌う予定のドリカムから申し込まれた宿泊依頼も、残念ながら断らざるをえなかったという。

「それにしても2週間前に未だ出来ていなかった道路は落成祝賀式典までに、どうやって完成させたんですか?」と私が尋ねたら、「市が突貫工事のために周辺道路を全部通行止めにしてくれたんですよ。ありがたい、本当にありがたいです。」と畠山社長は語る。本当に、畠山社長の心意気には多くの応援団がいる。まず、何処に再建しようかと悩んでいるときに、もとのホテルの地主さんが、ご自身が高台に引っ越すために山を切り開いて整地するから、そこを使いなさいと土地を貸して下さったのだという。株主の三菱商事も、鉄筋やセメントなど建材を大震災前の価格で提供してくれたので、建設費は高騰した現在の建材コストに比べて20%以上も安く入手出来たという。

さらに、畠山社長にとって、今回はもう一つのGood Newsがあった。地元、高田高校の女子バレーチームが岩手県大会で優勝し代表となって全国大会に出場することになったことである。聞けば、この高田高校は2011年3月12日が卒業式だった。前日に起きた大震災のために校舎が壊されて卒業式は中止、入学式が出来たのも、内陸の学校から借りた仮校舎で5月に行われた。今回、全国大会に出場するメンバーは、3年間、ずっと、この仮校舎で頑張ってきた生徒たちである。暗いことばかりしかなかった地元が久しぶりに沸きかえったGood Newsであった。

東京で開催される全国大会の試合は1月4日。地元応援団が上京するのにも、年始の帰省ラッシュで東京に出てくるのも容易ではない。畠山社長は、まだ41歳の青年社長であるが、もはや地元では立派な名士である。本業も多忙な中、この高田高校女子バレー全国大会出場に関するロジスティックスの支援を買って出たのである。今回の東京出張も、この高校女子バレーの件だと言う。やはり、この人は凄い。多くの方が、この畠山社長を応援しようと思うのは当然だろう。今回の高田高校の全国大会出場に向けて、女子バレーの名門である日立製作所が日立市に持っている練習施設を提供してくれるべく高田高校に申し入れがあり、大会までの練習環境の整備や選手達の上京の手配等を畠山社長が調整しているという。

私も、及ばずながら、来年3月11日の気仙地区の慰霊祭に出た後、このキャピタルホテル1000に泊まるべく、既に宿泊予約を入れている。こんなに頑張っている方には、誰しも、出来ることは何でもしようと思うのは至極当然である。

254 サルマン・カーンの凄さ

2013年12月22日 日曜日

無償オンライン公開授業(MOOC)に関して調べていると、必ず、バングラディッシュ系アメリカ人であるサルマン・カーンという人物が登場してくるので、彼の著作「世界は一つの教室『学び×テクノロジー』が起こすイノベーション」を読んでみた。サルマン・カーンがバングラディッシュ系アメリカ人という意味は、彼がバングラディッシュから米国に移住してきた両親からアメリカで生まれたという意味である。

私達が一般に『インド人』と呼んでいる人たちは、実はインド国籍を持つ人だけでなく、パキスタン、バングラディッシュ、スリランカ国籍を持つ人達を含めている場合が多い。英国ロンドンには多くのインド人が住んでいると言われているが、実際には、その殆どがバングラディッシュ人である。中東のカタール、アブダビ、ドバイに暮らす多くのインド系の人達も殆どバングラディッシュ人である。

なぜ、多くのバングラディッシュ人が出稼ぎのために国を出ているかと言えば、インド系4か国の中で最も貧しい国であることと、インド系特有の優秀な才能に恵まれていることにある。国土の半分近くが海抜ゼロメートルにあり、豊富な降雨量に恵まれていながら、いつも洪水に襲われて飲める水がない。日本を中心とする先進国の援助で掘られた夥しい数の井戸から汲み上げられた水はバングラディッシュ全域に深刻なヒ素中毒を引き起こした。だから、多くの優秀なバングラディッシュ人が国を捨てて米国やヨーロッパへと移住する。

サルマン・カーンの両親も医師である。何不自由なく育ったサルマン・カーンは得意な数理系の才能を活かしてヘッジファンドで働いていた。既に結婚していたが、夫人は医師として自立した生計を得ており、彼が働かなくても食べていけた。そんな生活のなかで、同じくバングラディッシュから米国に移住してきた、12歳の従妹がサルマン・カーンの人生を変えた。彼女は小学校低学年から得意だった数学が高学年になって突然学校の授業についていけなくなったのである。

数学は、物理、化学、最近では物理や化学と同じジャンルになった生物まで含めて全ての理科系の学問の基礎となっているので、数学で落ちこぼれた学生は文科系に進学せざるを得ない。サルマン・カーンは電話やメールを使って、遠隔地から従妹の家庭教師を引き受けた。その結果、従妹は、たった一つ、ポンドやオンス、マイルやヤードと言った単位に関して理解出来ていなかったために数学の問題が出来なかったことが判明した。そのことに気付いたサルマン・カーンは度量衡に関する単位について従妹に丁寧に説明してやると、彼女は以前のように数学でクラスのトップに帰りづいた。その後、順調に優秀な成績で進学をして、現在は、医学系の大学生となっている。サルマン・カーンは、ここで、現代の教育システムは何かがおかしいのではないか疑問を持つようになった。

たった一度、病気で欠席したか、体調が悪く集中できなかったか、その時の授業が頭に入らないで、つまらないことで躓いたら、その子は、もう二度と救済されることはない。落ちこぼれの烙印を押されてしまう。何で、授業は、その子が理解できなかった所まで戻れないのだろうか?とサルマン・カーンは思ったわけである。その解決策として、授業をビデオで作成すれば、よく理解できなかった子供は、もう一度やり直しが出来るではないかとサルマン・カーンは考えた。

それで、まず最初は数学の授業から作り始めた。もともと教育が本職ではないので、仕事が終わって帰宅したあと、自宅でパソコンとビデオカメラを使って作り始めたのだが、自分自身の映像がビデオに入ることは避けた。生徒は、先生の顔がチラチラ出てくるとそれだけで集中が途切れることが分かっていたからだ。先生の顔は、数学の問題とは全く関連性がない。教材も、非常にプリミティブに黒板にチョークで書いていく様子をビデオで撮った。極めて稚拙なコンテンツであったが、サルマン・カーンは、その授業内容をYouTubeで公開したのだ。

これが全米で大ヒットとなった。分かり易いと評判になったのだ。しかも、当時のYouTubeは、まだ能力が不足していたので、投稿は10分に制限されていたので、1時間の授業は6つのコマに分割せざるを得なかった。これが、もう一つの大ヒットの要因である。その後、大脳生理学者と一緒にある実験を行った。つまり、10分の授業ビデオを6コマ分連続して受講させた生徒の理解度を分析したのである。生徒が最も理解していたのは、なんと最後の10分ではなくて最初の10分だったのだ。

生徒が授業を真剣に学ぶことが出来る集中度は10分以上続かないことがわかったのだ。その10分を過ぎると、もう頭が次の授業を受け入れることを拒否し始めるのである。そうだとすると、一般的に学校で行われている60分-90分の授業と言うのは一体何の意味があるのかということである。

受講者が数万人を超えた時点で、サルマン・カーンは、本職のヘッジファンドを辞めて自分の貯金を切り崩して、カーン・アカデミーを立ち上げる。授業は無料、世界中どこからでもインターネット経由で受講することが出来る。しかも10分単位で分割されていて、理解できない場合には反復したり、別なコースを経由して、先に進めるようになっている。これを見て感動したビル・ゲーツはサルマン・カーンを自宅に呼んでビル・マリンダ・ゲーツ財団から巨額の支援を行うことを約束した。今では、一期に全世界から150万人が受講し、理科系科目だけでなく歴史や哲学など3000科目ものコースが用意されている。

この本で、サルマン・カーンは、彼が始めた無料オンライン公開授業(MOOC)から見て、現代の教育制度、そのものがおかしいのではないかと疑問を呈している。彼は、この現代の教育制度をプロイセン方式と呼ぶ。20世紀に急速に台頭したドイツ帝国が富国強兵のために始めた教育制度がプロイセン方式だと言うのである。その本質は選別と洗脳にあると言う。国家にとって必要な人材を効率よく育成するためには、必要のない人材を容赦なく振り落す必要があった。つまり、一度躓いた学生を救済している暇はないのだという。

教える側にとって効率が良い教育制度とは、生徒を一か所に集めて、標準化された教材とカリキュラムを用いて教えることだとサルマン・カーンは言う。しかし、本来の教育は徒弟制度のように1対1で、教わる側の生徒の能力に応じた教え方、授業の進め方をすべきだという。先生中心ではなくて生徒中心の教育制度への転換がコンピュータやインターネットを用いて可能になるとすれば、これは教育の大革命が起きることになる。バングラディッシュから米国にやってきた天才、サルマン・カーンは、この革命を、たった一人で始めたのだから凄い。

MITやハーバード大学、スタンフォード大学など世界をリードする大学が、このカーン・アカデミーを放っておくはずがない。日本の大学関係者の間では、MITは何の目的で無料オンライン公開授業(MOOC)を始めたのか?と訝るむきも多いと聞く。飯吉透、梅田望夫 共著 「ウエブで学ぶ オープンエデュケーションと知の革命」の中で、お二人が仰っておられるのは、「アメリカ人というのは、いたずら心がある。この先、どうなるかわからないが、とりあえずやってみよう。こうしたフロンティア精神が、今の突出したアメリカを創り出したのだ」という。

飯吉先生の解説によれば、現在、ウエブ教育の元祖と言われるMITのOCW(オープンコースウエア)は、多くの先進的なアメリカの大学が『OCWはビジネスにはならない』と結論づけたところで、「よし、もう他の大学は誰もOCWをやって来ない」ということで本格的にOCWを始めたのだと言う。サルマン・カーンも凄いが、やはりMITも凄い。いたずら心が世界を変える。