この本「Yコンビネーター」はサンノゼ州立大学のストロス教授が、シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクールに潜入し、独占取材して書かれた著作である。このスクールは、1998年に自ら創設した企業「ヴィアウエブ」をヤフーに5000万ドルで売却したポール・グレアムがスタートアップを支援するためにシリコンバレーに創設した。このスクールからは、既にDropBoxやAirB&Bなどシリコンバレーを代表する成功者が、次々と輩出されている。
さて、シリコンバレーで最も尊敬されている人物はリンクトインの創業者であるリード・ホフマンである。彼は100近いスタートアップを支援し40億ドル以上の莫大な資産を築き上げた。これまでのアメリカンドリームの成功者は早々と実業界からリタイアして広大な牧場を買って悠々自適な余生を送るというものであったが、ホフマンは全く違った人生を歩んでいる。彼は、今なお、自身の莫大な財産を多くのシリコンバレーのスタートアップに投資して、その起業を助けているのである。
ちなみに、このホフマンはAppleに就職し、その後、富士通を経て1997年SocialNet.comというSNSを創設する。このホフマンの最初の起業は何と7年間も努力したが、うまくいかなかった。しかし、彼はPayPalの創業に参加し、COOとなって大成功を収め、今日の礎を築く。そう言えば、私が、米国に渡ったのは1998年だったので、その1年前にホフマンは富士通を辞めている。実に惜しかった。もう少しでホフマンが昔の同僚だと、皆に自慢できたのに。
ポール・グレアムも、こうした投資家の一人であるが、彼のユニークな点は、単に投資し助言するだけでなく、Yコンビネーターという学校を作り上げていることにある。私は、今年1月、世界の中で唯一活況を呈しているシリコンバレーが、なぜ沸き立っているのかを調べるためにサンフランシスコからパロアルト、そしてサンノゼまで多くの人とお会いした。その中で、起業を支援するスタートアップ・アクセラレーターも何社か尋ねてみた。そして、このスタートアップ・アクセラレーターを起こした人々が、最も尊敬する人物は、やはりリード・ホフマンだった。この本で書かれているYコンビネーターの代表であるポール・グレアムもリード・ホフマンに多くの刺激を得ていることは間違いない。
なぜ、新たなイノベーションを起こすための起業は、シリコンバレーでなければならないかという疑問に、この本は大変丁寧に答えてくれる。当初、グレアムはYコンビネーター(以下YCと略)を創設したのはマサチュセッツ州ケンブリッジだったが、グレアムは、やはりシリコンバレーでなくては駄目だと信じて家族を連れてシリコンバレーに移転した。だから、グレアムは自分が支援するYCに入る条件の第一番目として、まずシリコンバレーに引っ越してくることを挙げている。それは、シリコンバレーが「起業することが当たり前のコミュニティー」であるからだと言う。つまり、シリコンバレー以外の地域では、「なぜ起業したかを説明しなければならない社会」なのに、シリコンバレーでは「なぜ起業しなかったのかを言い訳しなければならない社会」だからと言うのである。そうした多くの起業家に囲まれていることが刺激になり、また多くのことを学ぶことが出来ると言う。さらに、グレアムは「スタートアップが集積していない場所にいることはスタートアップにとって害になる」とまで断言しているのだから恐れ入る。
さらに、グレアムは、「起業家は25歳以下でなくてはならぬ」とも言っている。もちろん、これはレトリックである。実際、YCで成功している者の中には40歳を超えている者もいる。それでは、なぜ、25歳以下が条件かと言えば、グレアムは、起業家としての成功条件には5つの資質が必要と言っている。その資質とは、「スタミナ、貧乏、根無し草、同僚、無知」だという。つまり起業するということは、それほど大変なことだということだ。「根無し草」とは、妻子というしがらみを持っていたら到底成功出来ないということ。「無知」とは、起業に関わる苦難を深く認識していないことが重要だと説く。また、「同僚」とは大学の同級生でもよいから共同創業者が絶対に必要だと言う事。一人で起業して大成功した例は皆無だと言う。お互いに励まし合い、またチェックし合っていくことが非常に重要だと言う。
グレアムは起業で成功するためのアイデアを生み出す3か条を次のように定義している。1.創業者自身が使いたいサービスであること。2.創業者以外が作り上げることが難しいサービスであること。3.巨大に成長する可能性を秘めていることに誰も気が付いていないこと。の3か条である。まず、グレアムは面接で、YCに参加するスタートアップを選考していく。1回の面接で合格する確率は、約2%だというから、YCに入ることが、いかに厳しい選考条件であるかがわかる。そして、YCに参加したら100日後にはプロトタイプを投資家の前で見せてプレゼンテーションをしなくてはならない。このプロセスで成功するのも、2%程度だと言うから。YCの中でも、最終的にベンチャーキャピタルから大きな投資を受けるのは、ほんの一握りのスタートアップだけである。
それでも、シリコンバレーの若者たちは、何度も何度も失敗しながら、時にはパートナーを変えてでも新たな起業に挑戦する。第二のGoogleをめざし、第二のFacebookを目指して次々に挑んでいく。そして、そのことが無駄にはならないのだ。リード・ホフマンのように最初の起業で失敗しても、そこで頑張ったキャリアを見込まれて誘われた、次の起業で成功するかも知れないからだ。
さて、今年1月のシリコンバレー訪問で、私が考え込んでしまった大きな問題が、この著作でも述べられている。つまり、「思いついたら100日でプロトタイプを作れ!早く、市場に出して顧客の評価を得ることだ」という点である。確かに、言われてみれば正しいように聞こえるが、「思いついて100日でプロトタイプが出来る」ということは、「基礎研究が要らないビジネス」ということである。今のシリコンバレーは、こうした「基礎研究が要らない」ビジネスの成功者ばかりである。Apple、Google、Facebookの3者だけで時価総額72兆円、これは日本の1位トヨタから10位ソフトバンクの時価総額の合計を凌ぐだけでなく、トルコ1国のGDPにも相当する。
戦後、日本のエレクトロニクス産業は、ソニーのトランジスタラジオやシャープの電卓などアメリカの基礎研究のただ乗りと言われて長らく非難をされてきた。こうした非難を逃れるために日本は産官学が一緒になって基礎研究に注力し、DVDや液晶、電池など多くの新規産業分野を作り出すが、それが瞬く間に、台湾、韓国、中国にただ乗りされて一気に衰退してしまうこととなった。多くの特許も、産業移転を防ぐ手段としては全く役に立たなかった。産業振興にはイノベーションが要る。そして、そのためには、基礎科学、基礎研究が重要だと言う論理には、どこか誤謬があるような気がしてならない。儲かるビジネス、社会を変えるビジネスとは、もっと身近にあるのかも知れない。