先週、朴槿恵大統領のブレーンとして政策推進の核心的役割を担っておられる安鍾範先生のお話を伺った。安先生は、もともと政治家ではなく米国ウイスコンシン大学で博士号を取られた大学教授で、韓国経済学会の役員も務めておられる学者である。国会議員になられたのも比例代表区から選出されているので、いわゆる既得権益とは全く無縁の方である。従って、安先生が展開する論理は、全て客観的であり、正論である。そして、朴訥と話す、その語り方は、所謂ハッタリをかます政治家とは大きく異なるので逆に信頼感がある。
私達、経済人は韓国を、大統領の強力な指導力で、経済は高成長を持続し、サムソン、LGや現代は超優良企業として世界を闊歩し、一人あたりのGDPも2015年には日本を抜くのではないかと羨望の的として見ている。日本を代表する超一流企業であるシャープやSONY、Panasonicの苦難も、結局、サムソン、LGといった韓国勢に勝てなかったという風に見える。電力価格も日本の三分の一と、国家が企業活動を基盤から支えている戦略によって鉄鋼、造船、セメント、半導体など、あらゆる基礎産業分野で韓国は世界有数の産業立国を成し遂げた。
外からは頼もしく見える韓国が、実は、今、内部崩壊の危機にあり、このままでは、今後20年以内に国家存亡の危機を迎えるという安先生のお話は、俄かには信じられなかった。そのことは、実は、韓国の民衆も政治家も、皆、よく判っており、従来の政策を抜本的に変えないと立ち行かないと思っている。そうした韓国の陰の部分を炙り出し、そこに政策の重点を置くべきだという主張を掲げた朴槿恵大統領候補に国民が支持したからこそ選挙に勝利したのだという。韓国のCEOと呼ばれるほどに韓国経済の成長に貢献した李明博大統領が政権末期には日本を攻撃する政策しか国民の支持を得られなかったことが李明博政権の失策ぶりを如実に語っている。
それでは、韓国経済の何が不味いのか? 韓国の人々にとって朝鮮戦争以上に過酷な試練だったと振り返る1997年のIMFショック以降、韓国の民衆には一体何が起きたのかである。まず、韓国は日本に早く追いつけ追い越せという政策を行い、例えば、鉄鋼、造船、半導体等の分野では既に日本を追い越した。しかし、追い越したのはそれだけではなかった。例えば出生率は、日本が1.39まで下がったのに、韓国は、それを追い越して1.24にまで下がっている。65歳以上の高齢化率も2010年現在は、日本が23.3%に対して韓国は11.4%と半分であるが、今の出生率が続くと、2045年には韓国の高齢化率は日本と同じ38%になってしまう。
さらに、こうした将来の懸念を裏打ちするものとして、1997年のIMFショック以降、急速に復興、発展を遂げた韓国経済の裏側で犠牲になった民衆の貧困化と言う惨状があった。韓国の国民の家計所得がGDPに占める割合は1998年が75%であったのに対して、2008年には63.2%まで落ちている。一方、企業所得のGDPに占める割合は1998年が12%だったのに対して2008年には21.6%と倍増している。つまり、韓国の大企業の発展は寡占状態となった国内市場で稼いだ利益を原資として安売り攻勢で海外進出を成功させたが、一方で国民の家計は、その犠牲となった。
こうした状況の中で、国民の格差状態を示すジニ係数は1990年の0.26から2010年には0.313と拡大した。また中産階級の人口比率も1990年の75%から2010年には63.8%へと低下した一方で、貧困層は1990年の8%から2010年には15%へと増加、特に高齢者の貧困比率は1990年の11%から2010年には37.8%にまで拡大している。国家が高度経済成長している間に、国民の社会保障が置き去りにされた結果である。そして過去20年間5%以上の成長を持続した韓国経済も、今や2%の成長すら危うくなってきた。しかし、日本の国家債務がGDPの214%にも達していて、OECD先進国全体でも109%に達しているのに、韓国は、未だ36%にしかいっていない。韓国は、もっと社会保障に対して国家的に何らかの措置を講じて行く必要があると安先生は説く。
2015年には韓国の国民一人あたりのGDPが日本を越すと言われているが、それは大きな誤りである。国民の消費経済が大きく低迷している中で、過度の輸出依存によって発展してきた韓国経済は、これから危機に瀕していく。また、日本以上に進展する少子高齢化は内需を一層減退していくことになろう。このままでは韓国は永久に一人あたりの国民所得で日本を追い越すことは出来ない。むしろ、日本が苦しんだ20年間の経済停滞を、それ以上の速さと規模で、しかも長期間、韓国は追随することになるだろう。
韓国の少子高齢化の背景は、根深いものがある。韓国女性の平均初婚年齢は10年前から2歳増えて29歳となり、また平均初産の年齢は31歳となっていて、この数字は年々増加している。韓国は、かなり過激な「スター社会」である。国民は、皆、スターになることを望んで一所懸命努力する。サムソン、現代、LGの役員ともなれば、日本の大企業とは比較にならないほどの高額の年俸を与えられる。だから大学進学率は、今や、75%を超えているが、実際、こうした大企業に正社員として就職出来るのは、ほんの一握りの、一流4大学卒業生に限られている。このため、多くの学生が海外への留学を望み、TOEIC/TOEFLの点数を競っている。
一度、正社員として就職先が見つかると、女性も男性も、そこから滑り落ちないよう、必死に頑張るので、結婚どころではない。また非正規社員の若者は、収入が低くて、とても結婚どころではない。むしろ、早く正規社員になろうと、また次の可能性を頑張り続けるので、また結婚も遅れることになる。少子高齢化を急速に加速している出産率の低下の原因は、根が深く、単なるトレンドではない。さらに、韓国社会は国民がスター主義、また企業は人材採用においてスペック至上主義を取っており、韓国では、一度貧困層に転落すると二度と這い上がれないという意味では世界で最も深刻な貧困の罠が存在している。10年前に作られた社会福祉基本法を作ったが貧困対策プログラムが多すぎて適用が難しいので、今では誰も見向きもしなくなっている。
私は、韓国の国会議員から、しかも大統領に最も近いと言われる政策策定者を担う重鎮の政治家から、これほど率直に韓国社会が抱える諸問題を聞かせて頂く機会は初めてであった。結局、安鍾範先生が、日本に来て、こうした説明をされた背景は何だったかを考えてみると、結論として、以下の内容に帰結すると思った。
朴槿恵政権は、多くの国民が望む、大多数の人々が経済活動に公平に参加できると言う「経済の民主化」と貧困層を救済する「福祉の拡大」を目指して、国民の支持を得て大統領に選任された。これまでの韓国はアジア雁行モデルの最も優秀なメンバーとして日本を目標に追随してきたが、今や、日本が抱える最も深刻な課題までをも追随することになり、このままでは、日本の失われた20年を、日本以上に厳しく経験し衰退する道を歩むことになる。同じ東アジアで、極めて似た国民性を持つ、日韓両国が、こうした罠から逃れて、さらに成長を続けて、国民全体が幸せになる工夫、イノベーションを追い求めるために、お互いに知恵を出し合い、さらに密接に協力をしていかなければならないであろう。
全く、納得のいく話で、お聞きしている話は、決して韓国だけの問題とは思われない。安先生のお話は日本人としても全てに共感できるものであった。