今年、1月下旬に行われた富士通米国研究所フォーラムは、パロアルトのコンピューター・ミュージアムの2階フロアを借りて開かれた。コンファレンスホールは400名ほど入る会場だが、朝から満席だった。それもそのはず、朝一番の基調講演はスタンフォード大学のジョン・ヘネシー学長、午後からの特別講演は、あのパソコンの父として有名なアラン・ケイ氏とMITメディアラボの創立者であるニコラス・ネグロポンテ氏という超豪華なメンバーが顔を揃えていたからだ。
幸いに、私は、このアラン・ケイ氏とネグロ・ポンテ氏とランチを一緒に取ると言う幸運に恵まれた。ネグロ・ポンテ氏はMITを退任後、世界の途上国の子供たちにPCを与えるという運動を始められた、そのために手回し発電機がついた100ドルPCというコンセプトまでも発案された。幸い、今ではPCと殆ど同等の機能を持ったタブレット端末が100ドル代で市販されるようになり、ネグロポンテ氏の構想は金銭的な問題は殆どクリアされることとなった。
そもそも、ネグロポンテ氏が新興国の子供たちに一人1台のPCを与えたいと思ったきっかけは、世界の最貧国と言われる国々からMITに来ている優秀な学生から聞いた祖国の悲惨さだったという。一般的に新興国では政治や政府が腐敗しているので、国に援助しても何の実りはないとネグロポンテ氏は考えた。そして、国民を教育をするということすらも難しい。誰が教育するのか?どこで教育するのか?あらゆる問題で壁にぶつかった。ところが、好奇心の強い子供はPCを与えられるだけで、そこから、あらゆることを学び取ることに気が付いた。
子供はPCから文字を学ぶ。文字を学んだあとは、いろいろな知識を独学で、次々と学んでいける。そして、子供が先生となって大人たちを教育するのである。これら子供たちに与えたPCは、別にネットに繋がっているわけではない。一ヶ月に一度、サポートメンバーが子供たちのPCに記憶された内容を更新していくだけである。PCは膨大な知識の宝庫である。子供たちの意欲さえあれば、何でも学ぶことが出来る。子供たち同士が、お互いに啓発しあうので、中途半端な教師なら全く必要がないというわけだ。
世界中を巡りPCを配り続けているネグロポンテ氏も、パキスタンとコロンビアは大変だと泣き言を言っていた。コロンビアのように誘拐がビジネスになっている国は危険が一杯だと。それで、私が「コロンビアには何度か行かれたんですか?」と聞くと、「もう、何十回も行きました」とお答えになった。ネグロポンテ氏は、単に思想を啓蒙しているだけでなく、命を賭けて途上国の健全な発展のために毎日実践されているのだと感銘を受けた。
一方、アラン・ケイ氏は、「最近のシリコンバレーは派生的な技術(インクリメンタル技術)で金儲けだけを考えている。基礎研究が全く停滞している」と嘆いていた。「パソコン、インターネット、その次の大きな革命がないじゃないか!」と憤慨する。アラン・ケイ氏から見れば、携帯電話もスマートホンもタブレットもPCの単なる派生技術というわけだ。それは、確かにそうかも知れない。しかし、ふと私は考えた。そう言えば、日本は、二言目には「基礎研究」の重要さを口にする人が多い割には、さっぱり「金儲け」が出来ていない。
かつて日本はアメリカの基礎研究に「ただ乗り」していると非難された。アメリカが発明したトランジスタをいち早くビジネスにしたのはSONYのラジオだった。同じく、アメリカが発明したマイクロプロセッサを初めて電卓に入れたのはSHARPだった。こうした応用技術で日本は世界のエレクトロニクス産業を席巻するまでになった。まさに、基礎研究の「ただ乗り」である。その後ろめたさがあったのか、その後、日本は本格的な基礎研究に注力する。
その結果、DRAM、液晶、フラッシュメモリー、太陽電池、DVD、リチウムバッテリーと次々と基礎研究の成果を工業化していった。結果として、どうだったのだろうか? 全て、台湾、韓国、中国に「ただ乗り」され、どのビジネスも崩壊寸前である。数多くの特許すら、こうした「ただ乗り」に対して、何の防衛にもならなかった。基礎研究は成功したが、金儲けには全くなっていない。国民の豊かさには何の貢献も出来ていないのが実情だ。
一方、アラン・ケイ氏曰く、基礎研究を何もしていないシリコンバレーでは、Apple, Google, Facebook, Twitterらが、次々と新たな破壊的ビジネスモデルを創生し、何十兆円もの巨万の富を生み出している。国として、国民として、どちらが目指すべき産業振興策なのかと思わざるを得ない。シリコンバレー訪問から日本に帰ってみると、いわゆる学識経験者なる方々が、基礎研究の重要性を説き、国がもっと、この分野に支援すべきだと叫んでいるのを見ると空しくさえ感じるのはなぜだろうか。
基礎研究を充実すべきと主張する多くの方々は、iPS細胞の山中先生の研究を例に挙げる方が多い。私は、もちろん山中先生のiPS細胞分野の研究に、今後、国が多額の研究費を支援するのは大賛成である。しかし、よく考えてみて欲しい。山中先生は、国の多額の研究費があったから、あの素晴らしいiPS細胞の発見が出来たのだろうか? 違う。山中先生は、手先の不器用さから整形外科の仲間達から「じゃまなか」と蔑まれて、失意の元にアメリカに渡ったのだ。そこで山中先生はリスクを取るというアメリカの研究者魂を学ばれて、世紀の発見に結び付いたものと私は確信している。まさに、山中先生の生き様はシリコンバレーのベンチャー魂に通じるものがあったに違いない。
大きな組織の中で、潤沢な研究費を使い膨大な数の研究者が集まれば、素晴らしい研究ができるというのは、もはや幻想である。熱き情熱を持った異才は、既存の大組織の中では育たない。世界中の既存の大企業の経営者は、そのことが十分に良く分かっているからこそ、このシリコンバレーに自社の異才達を送り、自らがコーポレートベンチャーキャピタルとしてベンチャー達への投資を行い、また自らがインキュベーターとしてベンチャーの育成までも行うようになったのだ。