2013年1月 のアーカイブ

195 グローバル人材育成 (その6)

2013年1月12日 土曜日

2010年の労働者一人当たりの単位時間生産性を見ると、日本は39.4ドルで先進国の中で最低、44ドルのイタリア以下である。ちなみに、米国は59ドル、フランスが57.7ドル、英国が46.4ドルである。勤勉な日本国民の付加価値生産性が、どうしてこれほど低いのか全く納得がいかない。極限にまで無駄が排除された日本の工場の生産性は間違いなく世界一だと思われるし、日本のスーパーのレジの清算の速さも間違いなく世界一であろう。

それなのに、どうして日本の生産性はこんなに低いのだろうか? 仮に、日本の生産性が低ければ賃金が安いのもやむを得ない。日本では価値のある労働をしていないのだから。でも、本当だろうか? その謎は、私が、米国の会社の経営に参加してからようやく明らかになってきた。日本では、工場や売り場など、現場での生産性は極めて高い。しかし、この背後に控えているオフィスの生産性が極めて低いのだ。例えば、本社部門とか管理部門と呼ばれる組織の生産性を言う。

私の会社も含めて、日本の本社部門とか、管理部門の仕事の多くが毎日の会議である。それに加えて、その会議のための資料作成に、さらに多くの時間を割いている。ある上司は、部下の教育は資料作成の添削が一番重要と考えて、何度も何度も資料を書き換えさせる。部下は、そのために残業を強いられ、徹夜すらすることもある。さて、その結果、出来上がった資料を持った上司は、幹部会議に出席し、その資料を棒読みする。万が一、質問が出ると答えられないため、部下を同席させる。酷い上司になると、自分が資料の概略だけを説明し、詳細は部下に説明させる。多分、こうしたやり方は、日本の会社では、ごく一般的で、私の会社だけではないだろう。

本社部門や管理部門に属する膨大な数の社員が、毎日、こうした仕事をしているわけだが、これで売り上げが伸びるはずがないし、経費が節減できるわけもない。日本の生産性が低いのは、こうした管理部門を含むオフィスの低い生産性が全体の足を引っ張っている。それでは、アメリカの会社では、こうしたことはしていないのか? 結論から言えば、していないのだ。

日本の本社でも、毎週月曜の午前中は、社長と上級役員が集まって経営会議を行っている。アメリカの子会社でも、全く、同じような会議を月曜の午前中に行っているわけだが、日本とは、ちょっと様子が違う。集まる役員の数は、半分ほどだ。後は、音声会議装置を経由して繋がっている。日本と異なり、時差だけでも3時間ある、広大なアメリカ全土から全役員が一か所に集結するなど考えられない。さらにアメリカ国内だけでなく、全世界を管轄するグローバル企業が多いアメリカ企業では、会議と言えば、音声会議装置を使う会議が一般的となっている。

アメリカで最初に参加した時の、この経営会議の様子が、日本の会議とはあまりに違うので驚いた。まず、参加者は誰も資料を持参しない。ノートだけを持ってくる。資料は事前にネットで配布されていて、皆、既に読んでいるので、不要なわけだ。だから、いきなり各論に入る。しかも、資料なしで、音声だけが飛び交う空中戦だ。アメリカ全土から参加しているし、中には、車を運転しながら参加している幹部もいる。一番大変だったのは、数字までもが、英語で空中を舞うことだ。しかし、皆、慣れたものである。質問されれば、どんなことでも、幹部が自身で答える。やはり、アメリカの経営者は本当のプロフェッショナルである。資料作成や会議の受け答えに多くの部下を必要としない。

以下は、世界有数のグローバル企業の日本支社長から聞いた話である。毎週、全世界の経営幹部が参加して行われる経営会議はニューヨーク時間で行われる。日本では午前2時なので、自宅に居る。ここで何も発言しないと、「あいつは寝ているな」ということになるので、何か言わないといけない。しかし、変なタイミングで頓珍漢な発言をすれば「あいつ、もう辞めさせたら」ということになる。だから、音だけが飛び交う空中戦の会議に全神経を集中させ、適切なタイミングで的を射た発言をする。深夜の会議が終わると、どっと疲れるそうである。

そして、次は、アクセンチュアのグリーンCEOから直接聞いた話である。アクセンチュアは、経理、人事などの管理業務を全てアウトソーシングしているので、本社部門がない。だから、本社ビルもなくて、CEOが住んでいるところの事務所を本社とする慣わしだと言うのである。グリーン氏はボストンに住んでいるので、今は、ボストンのアクセンチュア事務所が本社だと言うのだが、グリーン氏は、このボストン事務所に年間10日間しか行かないのだと言う。あとは、世界中の顧客を遊牧民のように回っている。まさに、ノマド生活である。こうした会社の経営会議は、どんなものか想像つくだろうか? アメリカで会社生活を経験した、私には、何となく想像がつく。

要は、海外の経営幹部は、詳細事項まで自分で全て把握している仕事のプロフェッショナルなのだ。私は、会議が大嫌いなので、米国人経営幹部を一人ずつ、私の部屋に招いて、頻繁にヒアリングを行った。私の方は事前に質問することを整理していたのだが、自室に呼んだ経営幹部には質問の内容は事前に知らせていない。しかし、部下を同席させることもなく、何の資料も持たずに、私の部屋に来た経営幹部は、見事に、理路整然と私の質問に答えるのだ。「この人たちは、本当にプロフェッショナルだ」といつも感じていた。

考えてみれば、海外企業では、最も信頼する部下でさえ、いつ突然退社するか分からない。つまり、全てを丸投げして部下任せという状況は最初からあり得ないのだ。だから、詳細にいたるまで、全てを自分自身で掌握している。その結果、決断も早くなり、当然、生産性も高くなる。海外の経営幹部の働きぶりを見ていると、まず第一にITリテラシーが非常に高い。全世界を遊牧民のように歩き回っている時には、自らがITを駆使できないと、話にならないからだろう。

世界市場で戦うグローバル人材は、世界で活躍するグローバル企業の経営者達とも対等に向かい合う必要がある。そして、企業のTOPが二人で会った時には、そこで重要なことを決めないといけない。相手は、そのつもりで会談に臨んでいる。その時に、「それでは、そういう方向で、具体的な話は担当同士で詰めましょう」と答えたら、相手は、「そうか、やる気がないのだ」と判断する。なぜなら、企業のTOPなのに、そこで明確に決められないというのは、「決める意志がない」からだと思う。

このことは、決してTOP同士の話だけではない。その下の階層でも、それぞれのレベルで決められることは即決していかないとだめだ。グローバル人材とは、部下に頼らないでも、決断すべき時は決断できる人材だということがわかる。しかし、そのためには、ビジネスの詳細まできちんと把握しておく必要がある。つまりグローバル人材に必要なことは「戦略は細部に宿る」にあると肝に銘じておく必要がある。

194  グローバル人材育成 (その5)

2013年1月9日 水曜日

仕事を円滑に進めて行くうえでも、生活をエンジョイするためにも、人間関係(人脈)は極めて重要である。しかし、終身雇用で生涯、一つの会社しか勤めない日本人社会では、人脈は8-9割が社内人脈で構成されている。残りの1-2割も、仕事上の取引先の人達で、個人的な付き合いというよりも、肩書付きでのお付き合いが殆どである。こうした人脈は、ごく親しい個人的な友人を除けば、どちらかが会社をリタイアしたとたんに音信不通となる。社給携帯の電話番号と、会社のメールアドレスしか知らないから、連絡の取りようがない。

しかし、平均勤続年数が3-5年といったグローバルな世界で考えると、こうした社内人脈や取引関係を通じた人脈は大きな意味を持たない。むしろ、利害関係が希薄でも、お互いに自由に意見交換できる人脈を非常に大事にする。時として、それは次の転職先に繋がることもあり、極めて稀ではあるが、商売取引上のアドバンテージになることもあるが、それ自体を目的とした付き合いは敬遠される。米国社会で、こうした人脈形成において、最も大事なことは、情報交換であり、意見交換である。シリコンバレーのあちこちのレストランで、毎日、特定のアジェンダ設定もないランチミーティングが行われている。

さて、こうした有意義な人脈は、どのように形成していくかである。一般的には、いろいろな催し物に参加するか、あるいはパーティに出て話し相手を見つけるかである。アメリカのパーティは日本と全く異なり、いつ始まって、いつ終わったのか全く分からない。開会の挨拶もなければ、中締めの挨拶もない。もちろん乾杯などあり得ようがない。それぞれ勝手な時間に集まって、勝手に帰って行く。つまり、アメリカのパーティは、参加者がそれぞれ、適当な相手を見つけて会話を楽しむ、ソーシャルネットワーキングの場を提供しているだけなのだ。

私は、ある時、シリコンバレーに長く住んで居る大先輩から、こんな話を聞いた。「誰か知らない人が貴方に会いたいと言ってきたら、余程に変な人でない限り、短時間でも良いから会った方が良い」と言うのである。「まず、とにかく一度会って見て、この人と話しても、殆ど実りがないと思えば、次に申し込まれた時には丁重に断れば良い」と言うことらしい。なるほどと思った。シリコンバレーの住人達は、非常にオープンで、特に目的がなくても、いろいろな人と会いたいのだ。従って「ご用件は何ですか?」と聞くのは全くの野暮である。仮に要件を持っていたとしても、実際に会って見て「こいつでは話にならない」と思ったら持ち出さないことが多いからだ。

シリコンバレーが、そうした文化なら、逆も真なりだと思って、私も、バレーの著名な企業のCEOに会いたいと申し込んでみた。結果は、殆どの方が、多忙なスケジュールの中で、短時間であるが、とにかく会って下さった。インテルのオッテリーニCEOや,シスコのチェンバースCEOなど。皆さん、大変好意的に会ってくださるのだ。そこで、先ほどの大先輩の話「まず一度は会って見て、二度目は価値のある人だけに」を思い出した。今度は逆の立場になるわけだ。果たして、私は、こうしたバレーのVIPから、どう評価されるのだろうかと心配になってくる。こうなると、与えられた短い時間に、相手の関心があるテーマで、どれだけ実りがある話ができるかを必死に考えて会談に臨む。まさにランチミーティングがビジネスの真剣勝負となる。

インテルのセールスのTOPだったマイク・スプリンター氏はCEO候補と言われたが、インテルを退社し、アプライド・マテリアル社のCEOに就任した。アプライド・マテリアル社は半導体製造の設備関連では世界一の会社であるが、私自身は半導体事業に直接関わったことはない。それでも、マイクとインテル時代に培った友人関係は続いて、ダボス会議では、いつもアプライド・マテリアル社主催のディナーに招いてくれた。このディナーは招待講演者が豪華で、その日は「フラット化する世界」の著者、トーマス・フリードマン氏だった。マイクは私にトーマスを紹介してくれて、私はトーマスと暫し歓談することが出来て随分興奮した夜となった。

インテルは華麗な卒業生人脈を形成しており、インテルの技術系TOPだったパット・ゲルシンガー氏とも、今でも交流があり二人で会食もする。パットはインテルを退社後、EMCに入り、現在は、今を時めくVMWareのCEOである。さて、欧米の各企業は、こうした卒業生人脈を非常に大事にしている。別に会社と喧嘩して辞めたわけではなく、同じ会社に居た同僚と仲良くすることの価値は大きい。アクセンチュアなどは、この同窓会を金銭的にも積極的にサポートをしている。日本の会社のOB会はリタイアした人たちの同窓会だが、彼らの同窓会は、辞めた後、別な会社で現役として勤めているからこそ価値がある。

こうしたシリコンバレーでの生活で、オープンに何処の集まりへでも出かけていくことが苦にならなくなった。お蔭で、日本に帰ってから、各国の大使館から、いろいろな招待状が来るようになった。米国大使館、EU代表部、カナダ大使館、英国大使館、スペイン大使館、デンマーク大使館からは、何度も、ご招待を頂いている。母国から来日されたVIPとお会いできるだけでなく、日本側の招待客ともお話が出来るので、そこでは、二重に素晴らしい出会いがある。

当然のことながら、何度も招待に応えて出席していると大使館員の方々とも親しくなる。そうすると、大使館から、いろいろ頼まれることもある。本国からVIPが来日された時に、当社のショールームをご案内したり、また、ご一緒に議論したりさせて頂くこともある。もちろん、大変偉い方なので、こちらも神経は使うが、こうした日常の積み重ねがグローバル時代を生き抜くには大事なことだと思った方が良い。スペイン大使館からは、文部科学大臣とのディナーにご招待されたり、バルセロナがあるカタルーニア州政府の首相を、当社のショールームにご案内したりした。

そんなことして、何か良いことはあるのか?と聞かれそうだが、それが大ありなのだ。私は、ある日、スペイン大使館から、スペイン国王陛下が天皇陛下をご招待する答礼晩餐会に夫婦で招待された。スペイン国王ご一家と天皇家の成人皇族、衆参両院議長が一堂に集まったディナーに私達は招待されたのだ。当日、フラメンコも実演されたが、国王が連れてこられたダンサーは、きっとスペイン随一の方に違いない。私の妻は、結婚して以来、溜まりに溜まった不満の累積を、この一日で全て解消できたと言っていた。

多様な人脈を作ることは、仕事にも役に立つが、人生に豊かさを与えてくれる。実は、今日も、5年前に安倍総理とご一緒に南アジアを訪問した随行団の同窓会がある。あれから、5年も経ったが、未だに、ゴルフや食事会を続けている。今晩の新年会は、さしずめ陰ながら安倍総理の復活をお祝いする会となりそうだ。

193 グローバル人材育成 (その4)

2013年1月8日 火曜日

私たちは会話をするときには、お互いに「暗黙の了解」を前提に話をしていることが多い。その「暗黙の了解」とは世間でいう、所謂「常識」と呼ばれるものであるが、この「常識」がお互いに共有されていない時に、その会話の行方は一体どうなるだろうか? グローバルな活動する場での会話においては、こうした「常識」が共有されていないために深刻なすれ違いが生じることがある。つまり、「日本の常識」と「米国の常識」、「欧州の常識」、「中国の常識」、「韓国の常識」は、それぞれ独自の文化と歴史から生まれたために微妙に異なっている。

これらの幾つかの常識の、どれが正しくて、どれが間違っているという議論は、私は全く不毛であると思っている。しかし、少なくとも、お互いが持っている「常識」の違いを理解していないと、円滑な会話は進まないし、深い理解も得られない。私は、日本人が特に狭量だとは思わないが、島国で大陸から隔てられていた分だけ、日本人は、他の文化、即ち、他の国の「常識」との交流が希薄なために、その「常識」の差異について特に寛容とは思えない。つまり、日本人は、自分の「常識」と異なると、それは「常識外れ」という処断を下してしまいがちである。

グローバルに活躍できる人材となるためには、エイミー・チュアが言うように、こうした他の文化、他国の常識について理解を示す寛容さが重要である。そして、その前に、自分が持っている「常識」と他国の常識とは違うことがあるのだという理解が必要である。これから私が他国で知りえた、いくつかの事例を紹介していきたい。

まず、最初は結婚観である。日本の結婚式では必ず「ゴールイン」という言葉が連発される。そう、日本では結婚式は恋愛の終着駅なのかもしれない。しかし、欧米では、結婚式は二人の共同生活のスタートにしか過ぎない。私が知っている海外の友人の過半数は既に離婚を何回か経験していて、一生、一人の伴侶と添え遂げるというのは、少なくとも海外では「常識」とは思えない。さて、一方はゴールと意識し、他方はスタートと考えている二人は、その違う「常識」を理解し合わないと、きっとどこかですれ違いが起きるだろう。

次は、宗教観である。日本人の多くは宗教について毎日真剣に考えているわけではない。しかし、世界中がそうかと言えば、それは違う。だから、中途半端な意識で、宗教の話題を会話に導入するのは極めてリスクが高い。さりとて、相手の宗教に関して無頓着でいて済まされるわけではない。なぜなら、宗教は飲食と深い関係にあるからだ。牛肉や豚肉を忌み嫌う宗教を信じる人をステーキハウスへ会食に誘うことは大変失礼にあたる。それでも、まだそれほど親しくない時点で、いきなり「あなたの宗教は何ですか?」と聞くのも不躾である。だから、私は、日本で海外のVIPを最初に接待するときは、いつも精進料理と決めている。野菜を忌み嫌う宗教は、これまで聞いたことがないからだ。

特に米国では、特定の宗教を公式の場で礼賛したり支持したりすることも禁じられている。これも極めて厳格で、それを順守しない会社や組織は十分に訴訟リスクを負う。社員全員が楽しみにしている年末に開催される会社主催のパーティーもクリスマスパーティと呼んではいけない。そこでは、間違っても挨拶するときに「メリー・クリスマス」とは絶対に言ってはいけない。クリスマスと同じ時期に、キリスト教と旧約聖書を共有するユダヤ教とイスラム教のお祭りもあるからだ。だから、皆、パーティーの参加者同士が、お互いに「ハッピー・ホリデー」と挨拶する。つまり、お互いの宗教に精一杯の敬意を表している。

日本とアメリカ、特にシリコンバレーがあるカルフォルニアとの生活習慣で、一番大きな考え方の差は「喫煙」である。カルフォルニアの人々は全米でも特に極めつけの「健康オタク」である。厳格な自動車の排ガス規制も、まずカルフォルニアから始まったし、遺伝子組み換えを行った食物をアメリカで最も嫌う州がカルフォルニアである。そのカルフォルニアで、喫煙者は麻薬常習者と同じ部類に扱われるので、喫煙者というだけでステータスの高い地位に着くことは難しい。

信じられないだろうが、タバコはマリファナより悪いとされている。マリファナは他人には迷惑をかけないが、タバコは迷惑をかけるからである。ところが、朝晩の通勤時に渋滞している隣のレーンを見てみると車内でタバコを吸っている人が少なくない。彼らは、その喫煙する姿を職場では我慢して絶対に見せない代わりに、朝晩の通勤では自家用車の中で密かにタバコを吸っている。どうしてもタバコを止められない人も、地域社会の要請に合わせて、精一杯の努力をしている。

そして、日本と米国で最も大きな「常識」の差異は、雇用に対する考え方であろう。もちろん、アメリカでは終身雇用などあり得ない。その代り、労働市場は極めて流動的である。日本の経営者の間で、「アメリカの経営者は、レイオフ(解雇)が簡単に出来るので羨ましい」という話をよく聞くが、私は、そう簡単な話ではないと思っている。確かに、レイオフは簡単に出来るが、優秀な人材を繋ぎとめておくのは極めて難しい。頻繁にレイオフをすれば、職場の士気は間違いなく下がり、その結果、本来、長く居て欲しい優秀な人材もどんどん辞めていく。この優秀な人材を保持すること(リテンション)こそが、アメリカの人事政策で最も重要で、かつ難しいテーマである。

一方、日本では簡単にレイオフが出来ない代わりに、優秀な人材がどんどん辞めることもない。労働市場の流動性が低いので、一度、会社を辞めたら、次に、もっと良い会社に勤められるかどうかわからないからだ。だから、少々、不満があっても、それなりに勤め続けると言う選択をするが、果たして、この優秀な人が、その後、目一杯頑張って、十分にその能力を発揮するかは甚だ疑わしい。

その点、アメリカは非常に明確である。リテンション・ボーナスを限られた優秀な人だけに支給する。これは「貴方を会社がリテンション対象と認めている」という証明書だと思えばよい。アメリカ社会は、人種や男女差や、年齢と言った本人の努力では如何ともし難いことで差別をすることは厳しく禁じているが、本人の努力によって実現される業務遂行能力で差別することを禁じてはいない。むしろ差別しないで、日本のように、皆、平等という給与体系であれば、優秀で仕事のできる人はどんどん辞めて行く。

アメリカには、日本のようにベース・アップという制度はないが、毎年、賃金改定は行われる。その賃金改定のアップ率は、その土地の労働市場の動向によって決められる。日本のように「会社の業績が悪いから、今期のベース・アップは我慢して下さい」という話はアメリカでは通用しない。優秀な社員が辞めて、皆、業績の良い会社へ移っていくだけである。従って、経営者は、万が一、業績が芳しくなければ、優秀な社員の給与は周囲の労働市場の動向に合わせてアップして、社員の総数を減らすレイオフを行うことになる。

日本と異なり、毎年、一定のインフレが続いているアメリカでは、賃金は毎年、その地の労働市場の動向に合わせてアップするのが普通である。アップしなかった社員は、それが退職勧告だと思った方が良い。そして、給料がダウンすることなど間違いなくあり得ない。ダウンするくらいなら、アメリカの会社は、その社員を即座に解雇するからである。そうした「アメリカの常識」を踏まえて、アメリカのビジネス界で会話をしていかないと、とんでもないすれ違いがおきる。

いろいろと際どい話を書いたが、私は、決して「日本の常識」がおかしいと言っているわけではない。しかし、「日本の常識」が、そのまま「世界の常識」として通用しないと言うことだけは常に念頭に置いておかないと、グローバルに活躍できる人材になることは極めて難しい。