2013年1月 のアーカイブ

201  シリコンバレー最新事情 (その3)

2013年1月31日 木曜日

リーマンショックで手痛い経験をしたアメリカは、金融立国という考え方を修正しつつある。オバマ大統領も、アメリカの製造業復活を目指し、5年間で工業製品の輸出を倍増させようとしている。従ってTPPの主眼は、日本で騒がれている農業産品ではなくて、間違いなく工業製品である。少しばかり農業産品を伸ばしたところで、大規模農法をとる米国では、雇用はさっぱり増えないからだ。むしろ、気候変動による干ばつや洪水により、農産品の輸出先は幾らでもあり、また望むだけの高い価格で売れるので、日本市場への輸出など全く気にもしていない。

Wall StreetからMain Streetへとの標語のもとで、アメリカの製造業復活の機運はあちこちで高まっている。もともと、生産高ベースで世界一の中国の製造業ばかり話題に上るが、付加価値ベースではアメリカは世界最大の製造業大国である。しかも、アメリカ人のDIY好みは半端ではなく、修理に高い工賃を取られるからと言う理由だけでは説明がつかないほどの凄さを持っている。私が、米国でPC販売をしていた経験から言えば、パソコンの修理に関しても60%もの顧客が部品要求だけをして自分で直してしまう。それはパソコンだけに留まらず、サーバーにまで及び、サーバーの販売においても顧客向けの保守マニュアルが必須で顧客が読んで理解できる部品交換の手順書が求められている。

つまり、もともとアメリカ人は「モノづくり」が好きなのだ。「ロングテール」や「フリー」と言うベストセラーを書いたクリス・アンダーソンが、自身の経験をもとに書いた「MAKERS」は世界的なベストセラーになり、アメリカだけでなく世界中に「メイカーブーム」を巻き起こした。三次元プリンタの出現により、設計が出来れば、あるいはフリーの設計図面が手に入れば、特別な製造スキルを持っていない人でも、プロ並みの製品を作り上げることが出来るようになった。まさに、21世紀の産業革命が起ころうとしている。クリスは実際に、自ら起業した製造会社を売上高数百億円規模の企業にまで成長させてしまった。

今回、訪問したサンノゼのダウンタウンにあるTechShopは個人会員向けの工作所である。アメリカではこうした場所をハッカースペースと言う。少し道に迷って遅れて到着した私たちを、TechShopのCEOであるMark Hatchは、玄関の前で待っていてくれた。ここは、月170ドルの会費で好きな時間だけ利用できる工作場である。入り口では、まずプラスティックや木材や金属などの材料を売っている。材料費だけは別額だ。その他、作業場所、工具、3次元プリンタを含む各種製造設備、CAD(Autodesk)はいくらでも使い放題である。この日も会員の方々が、皆、黙々と作業をしている。

Markは実に丁寧に私達を案内してくれて、いくらでも写真を撮って構わないというので、私は思わず、何十枚も撮りまくった。もう、既に、このTechShopで試作をして大成功した人が何人も出ている。Twitterの共同創業者であるジャック・ドーシーは自分でTechShopに通い、たった2週間でスマートホンに接続できるクレジットカード読取機の試作を作ってしまった。この製品を扱う彼の新会社、スクエアは時価総額30億ドルの会社にまで発展した。その他、ここで開発された未熟児を守る布製の保育器は体温保持に役立ち、途上国の数百万人もの命を救うことになるとMarkは誇らしげに語った。

そして、もちろん、ここでも主役は3次元プリンタである。世界的なCADソフトベンダーであるAutodeskは、このTechShopの会員には無償で使わせている。ここのAutodeskで開発された設計情報がシェアウエアとして世界中で利用されれば、Autodeskは他の追随を許さない世界標準になるだろう。今や、ビジネスはクリスが言うように「フリー」から始まる。そして、このTechShopでは、その3次元プリンタまでも自分で作ってしまう人がいる。そして、ここに通っている会員には、なんと幼い子供までいる。Markは、小さいころからモノづくりに興味を持つことは大変良いことだと語った。そして、自分が生きる意味を見失った14歳の少女が、この作業場に通うことで、新たな人生の生き方を見出した話もしてくれた。

このTechShopは、Autodeskだけでなく、多くの大企業や政府機関がサポートをしている。米国の軍事技術開発の総元締めであるDARPAも、その一つである。このような工作所で一般の素人が作る試作品に、ひょっとしたら、とんでもないモノが出来るかも知れないと考えているからだろうか? そして、さらに驚いたのは米国退役軍人省(Department of Veterans Affairs)までもが、このTechShopのサポーターとなっていることだった。私は、Markに尋ねてみた。「どうして、退役軍人省が、ここをサポートしているのですか?」と。

「イラクやアフガニスタンから米国に帰還した兵士は、心も体も傷ついています。戦場のトラウマから、何も手がつかない人が米国には沢山います。当然、新しい職場も見つかりません。そうした人たちを、この工作場で、自分が作りたいものを作り、傷ついた心を癒してもらうのです。」とMarkは語る。そう、ここは、モノづくりが好きな人たちを育てる場所であると同時に、心を癒し、新たな人生を見つけ出すきっかけを作る場所でもあるのだ。

そう言えば、サンフランシスコのスタートアップ アクセラレータの話を思い出した。彼らが、スタートアップを支援する条件の一つとして、「単なるアイデアだけでなく試作品を持っていること」というのがあった。彼らは、こういう場所で試作品を作るのだと思った。その話をMarkにすると、彼は「今や、アメリカのベンチャーキャピタルは、いかに優れたパワーポイントの資料を作っても、滅多に、お金を出しません。それよりも目に見えるモノ、触れるモノ、ちょっと動かして見せられる試作品さえあれば、お金を出す人は沢山います。」と語った。

今、アメリカは東海岸から西海岸へ知の大移動が起きている。もはやQuants(金融工学)からMAKERS(製造工学)へと世の流れは大きく変化している。バーチャル経済からリアル経済へ、BitからAtomへの変化だということなのだろうか。

 

200 シリコンバレー最新事情 (その2)

2013年1月29日 火曜日

私は、シリコンバレーに駐在中、サンタクララのオフィスからクパチーノのアパートへの帰途、237号線から85号線を経る道が大好きで、このルートをよく通ったものである。周囲の景色が、とても落ち着いていたからだ。世界の中ではダントツに治安のよいアメリカでさえも通勤路は最低5種類を用意し、毎日違う道をランダムに選べと言われている。その237号線と85号線が交差するMoffet Fieldに、NASAが所有する広大なキャンパスがある。遠くから見える巨大格納庫ハンガー・ワンは途轍もなく大きく、そのかまぼこ型の建物は異様ではあったが、なんだか心が和む景色を醸し出していた。ハンガー・ワンは1932年に海軍の巨大飛行船USS Maconを格納するために作られ、高さ60メートル、面積はフットボールコート10面分もある巨大な構造物である。

今回、そのNASA Research Parkを訪れたのは、Singularity UniversityとCarnegie Mellon Universityで話を聞くためである。未だ軍用地である、このキャンパスを入るには事前の許可願いと、入り口での身分証明書が必要であった。今や、あの巨大な格納庫ハンガー・ワンは骨格だけになったが、私たちの目に否応なく入ってくる。聞けば、このキャンパスには現在15の大学が入っている。Carnegie Mellonは東部ピッツパーグの名門大学でありながら、なぜ、このシリコンバレーに敢えて拠点を設けなければならなかったのか?

サンフランシスコ市街の目抜き通りには、同じく東部の名門大学であるペンシルバニア大学が誇る全米一のビジネススクール、ウォートン校が進出してきたことを知らせるために、沢山の校章旗が飾られている。なぜ、ウォートン校が、遠い西部のサンフランシスコにまで拠点を築かなければならなかったかである。誇り高いアメリカ東部のIvyリーグに属する名門大学までが、どうしてシリコンバレー、サンフランシスコベイエリアまで、出張ってこなくてはならないか?という疑問がわいてくる。つまり、シリコンバレー、ベイエリアは、リー・サンフランシスコ市長が叫ぶまでもなく、もはや世界のイノベーションの首都になったのかも知れない。

Singularity Univ.のSingularityとは「特異点」と言う意味である。つまり、コンピュータが遂に人間の能力を追い越す「特異点」がやってくるというわけである。その時期は2045年とも2030年とも言われている。人類が地球上に現れてから2008年までに得た全ての情報量と同じ量を、2011年までの3年間で人類は得たのだと言う。その膨大な情報量を、その後は11か月、3か月、10日と極端に速度を速めて、2013年の今日現在はたった10分で、その膨大な情報を得るのだと言う。つまり、指数関数的に増大する情報爆発が起きている。こうした状況の中で、私たちは、どういう形で研究を進めていけば良いかを、このSingularity Univ.は示してくれる。

この大学の学生は、6か月間で全ての履修を終える。しかも一方向性の教えるだけの授業はない。参加した仲間同士で、チームを組んで研究活動を行うという極めて特殊な大学である。研究分野は、ナノテクノロジー、バイオ&ニューロン、エネルギー&環境、AI&ロボティックス、コンピューター&ネットワークの5分野である。最近のSingularity Univの研究活動の一例として、Matternetの話をしてくれた。Matternetとはインターネットのような仕組みで物流網を構築することを言う。その主役は4枚の羽根を持った無人ヘリコプターである。NASAが開発した無人偵察機ドローンからヒントを得たものだと言う。

話としては分かるが、そんな物騒なものをアメリカの航空局が許すのか?と聞いてみた。勿論、直ぐに許すはずがない。そこで、彼らは考えた。地球上の70億人の人類の内、14億人が何の物流網の恩恵を受けずに暮らしている。それは、主としてアフリカ地域である。そこで、このMatternetを構築し、医薬品を、どこからもアクセス不能の地域で暮らす人々へと運ぶのだと言う。なるほど、新たなイノベーションは、人類を救うという大義があれば実験を許されると言うわけだ。それにしても、彼らは、これまでの情報工学という観念的な研究から、リアルで即物的な形へと研究活動の方向を変えている。もはや金融工学などという誰も理解できない虚構のイノベーションは終わったのだ。

次に訪れた、CMU(Carnegie Mellon Univ)では、まず研究室へ案内されて大いに驚いた。最近、大学の研究室を訪れると、大体、PCかWSが置いてあって、それを使ってシミュレーションをして研究活動をするのが一般的である。ところが、ここシリコンバレーのCMUの研究室は、全く違う景色なのだ。大型の3Dプリンタの脇には、数多くの工具が並んでいる。要は工作室である。まさにシミュレーションではなく、リアルな現物を作っている。私は、40年前、会社に就職したころ、毎日、仕事をしていた実験室を思い出した。そこで、半田ごてを使って毎日、自分が設計した試作品を自分で作っていた。まさに、今、アメリカの超一流大学が、再び「ものづくり」に復帰したのである。

今、シリコンバレーで起きているイノベーションの波は、これまでの私達の想定をはるかに超えている。いうなれば、Beyond the ICTである。ICTは、もはやコモデティになった。このICT自体に関わるテクノロジーは、もはや研究対象にはならない。むしろ、このICTが引き起こす新たな破壊的創造を、どのように見つけ出すかに焦点が移っている。ICTを生み出したシリコンバレーの地に、全米から、そして全世界からBeyond the ICTを目指して多くの研究者や開発者たちが、ぞくぞくと結集しつつある。そう、同じ地に、結集しなくてはならないのだ。Skypeで遠隔地から議論出来れば良いと言う話にはならない。なぜなら、彼らの研究対象は触ってみて初めて分かる「リアル」なものだからだ。

それでは、元からシリコンバレーに居る大学はどう考えているのだろうか? 私は、今回、幸運にも、富士通北米テクノロジーフォーラムにて、シリコンバレーを作った大学と言われているスタンフォード大学のJohn Hennessy学長の基調講演を聴くことが出来た。JohnはMIPSコンピュータの創立者としても知られる、ICTのコアテクノロジーを開発した大先駆者である。その基調講演で私が感銘を受けた言葉は、以下のとおりである。「スタンフォード大学は、100人の秀才より一人の異才を育てることを目指す。世の中を変えることが出来るのは天才しか居ないからだ。授業は講義ではなく質問で終始する。研究テーマは自主性を尊重し、強要はしない。そのかわり起業の道筋は丁寧に教える。」そして、Johnはさらに、大事なことを私達に教えてくれた。「2005年以降、シリコンバレーの主要な研究テーマは全てSocial & Mobileになった」と。

 

199 シリコンバレー最新事情 (その1)

2013年1月27日 日曜日

先週、1月20日から1週間、久しぶりにシリコンバレーを訪れた。半世紀ぶりにインフルエンザに罹ったり、B787のバッテリー故障によるサンノゼ便の休止など訪問直前に、いろいろ波乱はあったが、多くの成果を得て、昨日無事帰国した。現地スタッフの周到な準備と、丁寧な応対をして頂いた多くの方々にも心から、お礼を言いたい。

私がシリコンバレーに勤務した1998年から2000年までの3年間、このシリコンバレーは、ドットコムバブルに沸き立っていた。2000年後半から、バブル崩壊の兆しが出始めて、翌2001年9月11日の同時テロで、シリコンバレーは立ち直れないほどのダメージを受けた。テロに衝撃を受けたアメリカは、移民に対して寛容さを失い、新興国から米国留学していた優秀な学生は、卒業と同時に次々と母国へ帰国した。当時、シスコのチェンバースCEOが、「シリコンバレーは米国籍の学生だけでは競争力を維持できない」と嘆いていたことを思い出す。

そして、シリコンバレーに徹底的なダメージを与えたのはリーマンショックに端を発する金融恐慌で、ベンチャーキャピタルにお金が全く回らなくなった。僅かに、中国系の政府ファンドと繋がっているベンチャーキャピタルだけが、細々と活動を続けているという状況が、その後長く続くことになった。次第に、私のシリコンバレーへの興味は薄れて、ここ2-3年は、中国、インド、ブラジルなど、高成長を続ける新興国へ訪問することに関心が移っていった。

さて、一昨年くらいから、新興国の経済に暗雲が立ち込める中で、逆にシリコンバレーが勢いを増し、俄かに沸き立ってきた。現地駐在員からも、毎朝毎晩の通勤が渋滞で大変だという話も伝わってきた。米国の経済は、通勤時の車の渋滞で推し量ることが出来る。最先端のITを駆使しているはずの、シリコンバレーの人たちが渋滞の中、わざわざオフィスにまで長い時間をかけて車で通勤するなど時代遅れではないかと思ったりもした。それでも、シリコンバレーに何かが起きているに違いないと思い、やはり、この目で実際に見ないと気が済まなくなってきた。それが、今回の4年ぶりのシリコンバレーへの訪問である。

B787がバッテリー事故など起こさなければ、サンノゼ空港に直接着いたものを、わざわざ、サンフランシスコ空港に回らなければならなくなった。入国審査と税関検査を終えて出口で、現地スタッフに会うと同時に、見える景色の中にサンフランシスコ市長のメッセージ広告が真っ先に目に飛び込んできた。その広告塔には「リー市長は、世界のイノベーションの首都(Innovation Capital of the World)であるサンフランシスコへ来られた貴方を歓迎します」と書いてある。この意味は、翌日、サンフランシスコ市長室のスタッフを打ち合わせで、その真意がよく理解できた。

そういえば、3年間の駐在員生活中に、サンフランシスコ市庁舎を正面から写真を撮ったことはあるが市庁舎の中には入ったことがなかった。今回は、市長室のスタッフと会談するため、初めて中に入って驚いた。中の装飾は、ヨーロッパの歴史ある大聖堂という感じの豪華さであった。厳かで、広くて、綺麗で、そして、人が誰もいない。一般の観光客は中々入れない場所なので、ここに来るだけでも価値がある。広大なエントランスホールの長い階段を上って、ようやく市長室に着き、その奥の豪華な会議室でスタッフとの打ち合わせが始まった。

サンフランシスコ市も、世界の多くの市と同様、今流行の「スマートシティ」を目指しているが、その内容は他の都市とは全く違う。市の担当者から言えば、サンフランシスコ市は典型的な小都市だという認識にある。そして、「スマートシティ」開発のための特別な予算もない。とにかく、サンフランシスコ市は、世界の知恵を集めて、創造性による活力で、世界のイノベーションの首都を目指すというわけである。そのためには、お金など使わなくても、環境を整備し、文化を醸成すれば実現出来るのだと言う。

何だかキツネに騙されたような話だが、市庁舎を出て、埠頭に林立する倉庫を改造したスタートアップ アクセラレーターを訪れて、ようやく、その政策が理解できてきた。サンフランシスコ市は港の倉庫街の中の16か所の古い倉庫をリフォームし、イノベーション回廊として、こうしたアクセラレータに開放したのだ。さらにここに集まってきたスタートアップに対しては、社員給与の源泉徴収を利益が出ないうちは免除するという税制優遇策を導入した。最初に訪れたアクセラレータは、RocketSpace社で、飾り気のない元倉庫を空調と照明だけを施したシンプルな建物の中にある。その中の、仕切りのないスペースに並べたテーブルを、各スタートアップに貸している。家賃は、社員一人当たりで毎月700ドルだという。

この中には、150社のスタートアップと共に、Micorosoft, GM, Tmobile, SONY, NTTドコモなど、10数社のサポーター会社が共存していて、彼らは自社の社員を、この中で、スタートアップと一緒に働かせている。各社とも仕切りのないところで、働いているので、隣の会社が何をしていているか全て筒抜けである。こうしたオープンな環境で、お互いに自由に議論し、切磋琢磨して、自らが目指すゴールへ少しでも早く到達しようとする。そう、彼らは、それほどにユニークな事業を目指しており、似たようなことをしている会社は滅多にいないので隠す必要すらないのかもしれない。サポーター会社も、こうした彼らの活動を毎日眺めていて、誰に投資すれば一番良いか、品定めしているに違いない。

こうしてみると、スタートアップ アクセラレーターは、場所貸ししているだけのようにも見えるが、実は、事業が早く軌道に乗るよう、投資家との仲介を図るなどインキュベーターとしての活動もしている。しかし、アクセラレーター自身は自ら投資し株主となることはしない。資本的には、あくまで、中立性を保つという。さて、このアクセラレーターは、どのような基準で、ここの150社を選抜したのだろうかを尋ねてみて驚いた。それが、極めて厳しいのである。

まず、第一はしっかりしたテクノロジーを持っていること。テクノロジーを持たずに荒唐無稽な夢だけ持っていても、ここには入れない。第二は、目指す事業の試作品を持っていて、他人に見せられること。そんな試作品をどこで作るのか? それは後ほど、別な機会に説明する。第三は、少額でも良いが、このスタートアップに投資する第三者が居ることである。第四は、このスタートアップの製品を、心待ちにしているお客が存在していることである。

こうした極めて厳しい条件をクリアするスタートアップが、日本では何社あるだろうか? サンフランシスコ市内の16か所の内の一つのアクセラレーターだけで、この条件を満たすスタートアップが150社も居ると言うだけで驚きだ。それだけではない。ここに置いてもらえるのは、たった18か月。18か月たっても、事業が離陸する見通しが出来ない場合には、ここから出ていかなければならない。殆ど無給に近い社員たちが、私たち見学者を全く気にすることもなく、一心不乱に働いている。彼らは、無給だけでなく、無休でもあるに違いない。

この熱気、この勢いが、全世界でたった一か所。イノベーションに沸いているシリコンバレー、サンフランシスコ湾ベイエリアの活気なのだろう。そして、驚くことは、これだけでは済まなかった。