我々は「コンピューターは人間の知を超えることが出来るか?」という命題について、どう考えたら良いのだろうか。このシンギュラリティについて、もう少し、書いてみたい。前回の議論では、米長先生とコンピューターとの将棋について、書かせて頂いたが、もう少し将棋に拘ってみたい。実は、今、私が、この秋から全国を講演して回る内容の中に、この将棋の話が出てくるのである。そして、そのテーマは今を時めくビッグ・データに関してである。
ビッグ・データの本質は、人間が予見を持たずに、コンピューターに、ただデータだけを見せて考えさせるというものである。その例として、私は、コンピューター将棋を例にとって解説しようとしている。従来の将棋ソフトは、将棋を良く知っている人、高段者、時にはプロも参加して、開発者は一つの先入観を持ってプログラムを書いた。何万もある過去の棋譜の中から、自然で意味のある指し手を抽出して、コンピューターに教え込んだ。
つまり全ての指し手を評価すると選択肢が膨大となってコンピューターが負荷に耐えられないと思ったからである。そして500ほどもある、評価パラメータも開発者が主観で設定をした。こうして作られた将棋ソフトはせいぜいアマチュア有段者レベルに留まっていて、その実力は、到底、プロ棋士のお足元にも及ばなかった。
その流れを変えたのは、将棋については殆ど素人であるカナダ在住の化学者、保木邦仁氏が開発したBonanzaからである。このソフトの特徴は、保木さんがインターネットで入手した6万局の棋譜を先入観に囚われず、あらゆる指し手を評価する全幅検索したことにある。そして、保木さんが与えた評価関数は、たった2つ。一つは、駒の価値で、例えば、歩が87点で角が569点というような格付けを行った。もう一つは駒の位置関係。2ケか3ヶの駒の位置関係について9つ程の評価関数を与えただけである。
そうすると、コンピューターが扱えるパラメーターの数は、合計9,000万ほどになるのだが、これをコンピューターは機会学習で勝手に設定したのである。こうしたやり方で、コンピューターは、とてつもなく強くなった。Bonanzaは、遂にコンピューター将棋のコンテストで頂点に立った。さらに、プロの棋士でも簡単には勝てない強さにまでなった。
このBonanza以降、コンピューター将棋ソフトの開発の仕方は大きく変化した。つまり、開発者の先入観を入れないで「データに語らせる」という、ビッグデータの考え方、そのものになったのである。先日、米長さんと対戦したコンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」も、このBonanzaの流れを汲んでいる。
しかし、良く考えてみると、これには恐ろしい話が潜んでいる。人間が先生となって教え込むよりも、コンピューターにデータを見せて、勝手に学習させた方が、素晴らしい考えが出来るということだ。そして、もっと恐ろしいことは、コンピューターが、自己学習の中で、どのような論理、どういうアルゴリズムを構築したかが、人間からは、さっぱり見えないということである。
米長先生が、半年間、大好きなお酒を断って、人間ではなくコンピューターを相手に対戦し続けられたのは、コンピューターが、一体、どういう論理で、考えているのかを探ろうとなされたに違いない。そして、米長先生が仰るには、戦略的思考、つまり大局観については、やはり、コンピューターより人間の方が遥かに優秀だと言うのである。しかし、コンピューターは感情を入れないで、冷静に、しかも疲れを知らずに、「ミクロな戦術的な攻め」で、人間の「優れた戦略」を圧倒してくるのだという。結局、最後は、「戦略」が疲れをしらない「戦術」の怒涛に負けてしまうという結果になるらしい。
さて、こうした将棋ソフトでは、人間が過去の数万局にも及ぶ棋譜をコンピューターに与えたわけであるが、例えば、保木さんにしても、最初のBonanzaを訓練した棋譜データはインターネットから採取したものである。そして、今、インターネットからは、人類が長い歴史で得た全ての知識を取り出すことが出来る。仮に、コンピューターが、何らかの目的を持って、自ら勝手にインターネットを経由してデータを採取し、自己学習し始めたとしたら、さて、どうなるだろうか? 我々は、このコンピューターの中で構築されていく論理を知ることすら出来ないのだ。
しかし、コンピューターの進歩を怖がってばかりいても仕方がない。もっと、コンピューターを活かした前向きな話をしよう。それもまた、別な意味での「シンギュラリティ」である。例えば、ジョナサン・ワイナー著「寿命1000年」の中に書かれている、ケンブリッジ大学のオーブリー・デ・グレイ教授が唱える、ヒトの寿命は将来1000歳まで伸びるという学説である。デ・グレイ教授は、近年、一番進んでいる学問と言われる老年学研究の第一人者である。
デ・グレイ教授の説は、ヒトの老化は、胎児の時から始まっていて、その原因は7つに纏められる。つまり、老化は基本的に体の細胞の中にゴミが溜まることで起きているという。まず、第一は体内の分子が年齢とともに絡み合って硬くなりホチキスのような架橋結合を起こすこと。第二はミトコンドリアの衰え、第三は細胞内にたまるゴミ。第四は細胞外隔壁にたまるゴミ。第五は細胞自身が衰えて役に立たなくなる。第六は、細胞が死んで毒素を撒き散らす。第七が細胞核の遺伝子が異常となり癌細胞となることだと言う。
世界の老年学研究者の殆どは、そうしたゴミが出来ないようにどうするかを考えている。それに対して、デ・グレイ教授は、ゴミが出来ないようにすることを考えるよりも、出来たゴミを取り除けばよいとしているのだ。そして、その解法は、膨大な数のヒトの遺伝子にあるというのである。またもや、ここでビッグ・データの話に結び付いてくる。
例えば、細胞の老化はミトコンドリアの37個の遺伝子の内13個が影響している。もともと、ミトコンドリアには1,000個以上の遺伝子があったのに、その殆どは細胞核内に移動した。なぜ、老化に関わる13個の遺伝子が細胞核より遥かに外部環境に対して傷つきやすいミトコンドリア内に留まっているのか?を突き止めれば良いというのである。
このように、生物の起源、人間の老化に関わる問題をビッグ・データ問題としてコンピューターに学習させ解析させれば、人類の未来には不老長寿の道が開かれて来るかも知れないというのである。これこそが、「コンピューターは人間の知を超えるか」と言うテーマより、もっと刺激的な、もう一つの「シンギュラリティ」とも言える。
老年研究の大きなテーマとして、細胞の染色体の末端にあるテロメアの存在がある。細胞が分裂するたびに、このテロメアが短くなるため細胞は無限に分裂することが出来ない。生物の中にはテロメラーゼというテロメア修復酵素があるのだが、年齢と共に分泌が減って細胞内の染色体はすり減って限界に至る。
老年学研究者は老いゆく細胞にテラメラーゼを供給して長生きの道を探り、癌研究者は癌細胞からテラメラーゼを締め出し、癌細胞の増殖を防ぎたい。いずれも重要な研究で、最近は、かなりのことまで判ってきている。こうした不老長寿という人類の夢の実現も、生命科学の分野での技術的特異点「シンギュラリティ」と言える。コンピューター分野の「シンギュラリティ」と共創して、新たな発展を遂げることを望みたい。