この「たかが英語!」という題名の本は、楽天ホールディング(以下楽天と略)社長の三木谷浩史さんが、楽天の社内公用語を英語化された時の奮闘記である。テンポの良い記述が実に面白い。社員に競争をさせる一方、一旦競争から落ちこぼれた人たちにも救いの手を差し伸べている。それでも、社内英語化については、絶対に妥協しない三木谷さんの決意は、自分にも部下にも手ぬるい日本の一般的な経営者とは、あまりに違っていて痛快である。
私は、三木谷さんと直接の面識はない。しかし、楽天の顧問弁護士で取締役を長年務めている草野耕一弁護士から、三木谷さんついてのお話をよく伺っている。東大法学部とハーバード ロースクールを共に首席で卒業した草野先生は、国際M&A分野では日本で五本の指に入ると評されていて、私の縁戚では最も優秀な方であるが、三木谷さんには心酔し、心から敬意を表している。だから、三木谷さんは、きっと草野先生以上に立派な方に違いないと私は信じている。
私は、日本の再生は、特殊な技能やセンスを持ち合わせ、地域に地盤を持つ中堅企業が、ニッチな分野の世界市場で活躍するというドイツの成功モデルを踏襲するしかないと信じている。このためには、この日本の優秀な中堅企業を世界市場と結びつける仲介役が絶対に必要である。このグローバルなニッチ市場に向けての仲介役は、大手商社や大手広告代理店では決して出来はしない。コスト的にも、インターネットを駆使したEコマースで実現するしか道はない。しかも、日本の企業を重要視してくれる日本のEコマース事業者でしか実現はあり得ない。その意味で楽天には、是非、日本の中堅企業の救世主になって頂きたいと心から願っている。
三木谷さんも、多分、全く同じ思いで、楽天のグローバル化が必要だと思っておられて、そのためには社内の公用語を英語にするくらいは当然の措置だと思われたに違いない。実際、この「たかが英語!」の本の中で書かれているが、楽天のアフィリエート企業のなかでは、月商数百万円程度の海外ビジネスは既に当たり前になっており、しかもその伸長率は国内売上より遥かに高いのだという。つまり、楽天の英語公用語化は、三木谷さんの趣味や個人的な拘りというよりも楽天のアフィリエート企業成長のためにも絶対に必要な道筋であった。そのことを、三木谷さんは、「楽天が目指す市場は、第6番目の大陸だ。そこはインターネット大陸だ。その大陸で話されている言語は、当然英語だから、我々は英語でビジネスをしなければならない」と言う。全く、ごもっともな話である。
さて、私は51歳で突然、米国転勤を命じられた。その時点で、TOEICも600点にも満たない、英語が聞けない、話せない、まさにドメスティックなサラリーマンであった。それが、巨額の赤字を出し続ける米国子会のTOPとして再建を託されたのだから、まさに頭が真っ白になった。一体、どうなるのだろうか?と悲嘆にくれるしかなかったのである。
米国に駐在し、最初に手掛けた人事は、日本から派遣され前任のTOPに付き添っていた、通訳を主たる役割とした秘書役を解任したことである。彼は、東大経済学部を卒業後、テキサス州立大学でMBAを取得、TOEICは、何と満点の990点だった。その後、日本に帰国してから富士通本体の社長秘書役も務めるほど極めて優秀な社員だった。私は、これほど優秀な人材に通訳だけをやらせておくのは勿体ないと思ったわけである。彼には、マーケッティング部門に入ってもらい、米国人社員と一緒に価格設定業務をしてもらうことにした。
つまり、英語がろくに聞けもしない、話せもしない自分を、通訳なしの苦境に追い込まないと、一生、グローバルな経営者にはなれないと思い、自ら退路を断つことにしたわけだ。もう一つは、これから大規模なリストラを行う必要があると思ったので、日本人駐在員同士が日本語で会話していることで、現地幹部や社員に無用な疑念を抱かせることを避けたかった。まさに、三木谷さんと同じように、会社内で日本人同士であっても、日本語の会話を一切禁止にした。現地社員から見て透明性の高い会社経営をしたかったからである。
しかし、これは想像を絶するほど大変なことだった。それまで、米国には毎月1回は出張していたし、現地社員と英語で会話することも決して少なくはなかった。しかし、米国人社員は、日本から時々出張してくる幹部と話をするときは、英語に不慣れな日本人幹部の実力に配慮して、判りやすい英語で、ゆっくり話をしてくれていたのだった。それが、毎日、顔を合わせていて、時には、激しい口論もするようになると、もう彼らも私に対する遠慮はない。特に、米国人同士で激論を交わすときなど、早口で、難解なスラングも飛び出し、もうついていけない状況になった。
一日、仕事が終わって、単身アパートに帰ると、もう頭の中が英語で一杯に溢れて、しかも頭自体もガンガン痛む。それでも、寝ている間は、ずっとCNNをつけっ放しにしておいた。まさに、睡眠学習である。しかも、ご存知のように、CNNは、同じニュースを繰り返し放送するので、英語の学習にはうってつけなのだ。最初のうちは、この英語ニュースは全く聞き取れないので、寝付くには、ちょうど良い子守唄でしかなかった。ところが、6か月後に突然、全ての単語が聞けるようになったのだ。判る単語も分からない単語も全て頭に入ってくる。そして、聞いていて判らない単語は辞書で引くようにもなった。
語学は、徐々に進歩するものではなくて、突然開花するものだと、この時に初めて知った。だから、英語学習に関しては、徐々にというのは駄目なのだ。いきなり、窮地に自分を追い込むことが肝要である。三木谷さんは、そのために、社内公用語の全面英語化を推進されたのだろう。私は、3年間の米国駐在を終えて、日本に帰国してから、富士通とシーメンスの合弁会社の取締役に就任した。シーメンス役員を交えた取締役会、ビジネスレビューミーティングは当然全て英語で行われる。四半期に一度、開催される取締役会は、議事も多く議論すべき内容も沢山あるので、逐次通訳を入れている暇はない。この時に、シーメンス側の役員が極めて英語に堪能なことには感心した。それは、海外の会社なのだから当たり前ではないかと思われるかも知れないが、それが決して当たり前ではなかったのだ。
今から、30年ほど前、私の初めての海外出張はヨーロッパだった。上司や先輩から、「伊東君、心配ないよ。ヨーロッパの人たちは君と同様、殆ど英語は話せないから」と妙な励まされ方をして日本を出発した。最初に着いたのは、当時世界最大の展示会と言われたハノーバー・メッセが開催されるハノーバーだ。やはり、ここでは先輩たちが言う通り、見事に英語が通じない。宿の主人が私に最初に言った言葉は、「アフトウントツバンツィッヒ」。何だ? 最初はボーッとしていたが、それがドイツ語で「28」であることに気付く。私の部屋は28号室なのだ。なんと「28」も英語で言えない宿の主人の英語力であった。
ハノーバー・メッセの会場に行って、もっと驚いたのは、展示コーナーの係員が殆ど英語を話せないということだ。「この機械は幾ら?」、「カタログを頂戴」と英語で言っても全く通じない。ここは、国際展示会ではないのか?と怒鳴りたくなった。世界の先進工業国であるドイツは、日本同様、英語で話す必要性を全く感じていなかった。ローレライを見るためにライン下りをした船の中でドイツの少年に、ずっと付きまとわれたのは、彼が私から英語を学びたいためだった。信じられるだろうか、私から英語を学ぶだなんて。30年前のドイツ人の英語力は、こんな酷い状況だったのだ。
それが、どうしてシーメンスの幹部は、こんなに英語が堪能なのだろう。しかも、面白いことに、英語の発音の綺麗さが、シーメンス社内の地位と、ぴったり対応しているのだ。当然、上級幹部ほど流暢な英語を話す。そこで、私は、彼らに聞いてみた。どうして、シーメンスの人々は、皆、英語が堪能なのか?と。その答えは、シーメンスはヨーロッパ企業としては、一番早く、1970年に社内公用語を全て英語に統一したからだと言う。そうなのだ、シーメンスは楽天に先駆けること40年も前に社内公用語を英語に定めたのだ。
そう、今からでも遅くはない。日本企業も、皆、少しでも早く、楽天の三木谷さんの後を追いかけようではないか。そうしないと、日本の未来は全く描けない。これからの日本は江戸時代のように鎖国して生きていける状況には全くないからだ。