2012年7月 のアーカイブ

159   インド洋圏が世界を動かす

2012年7月27日 金曜日

今日の題名は米国の安全保障問題を扱うシンクタンクの研究員である ローバト・カプラン氏の著書「Monsoon:The Indian Ocean And The Future Of American Power」の日本語版につけられた表題である。 インドが好きで、インド各地を何度も訪れた私は、本の題名に「インド」 の文字を見つけるとつい買ってしまう。もともと、この本は、原題の英語に あるように、インド洋圏を、今世紀中に世界の3大GDP大国になるで あろうアメリカと中国とインドが、どのように覇権を競い合うのかという テーマで書かれている。しかし、私は、むしろ、この本のなかでインド 自身が抱える大きな課題を見出すことになった。

著者は、多くの時間をかけて、オマーンからイラン、パキスタン、インド 、ミャンマー、タイ、マレーシア、シンガポールからインドネシアを回っ て、インド洋圏に関する、この著作を書いている。そして、この本を読ん で私は、さらにインドの事を良く理解できるようになった。インドを学ぶ には、インドの周辺地域を含めて地政学的に理解しないと出来ないのだと 初めて知る。

インドに関する、どの将来予測を見ても、インドは間違いなく、今世紀中 には、アメリカ、中国に続く、世界第三の経済大国になる。それは、私も 間違いないと思うし、インドはマクロ的に見れば、希望溢れる未来を持ってい る。そして着実に、その道を歩んでいる。しかし、実際にインド各地を訪れて みて、インドが抱える多くの問題を理解し始めると、ミクロ的には、イン ドは「希望」と言うよりも「絶望」に溢れている。デリーでも、ムンバイ でもコルコタでも、そうあのバンガロールですら、街を歩けば、絶望に満 ち溢れている。

私がインドに惹かれる最大の理由は、こうした「絶望」に溢れた環境の中で 暮らしているインドの人たちの顔に「絶望」が全く見られないことである。 大金持ちも貧乏人も、権力者も抑圧された人々も、死ぬときは皆、同じよ うに荼毘に付されてガンジスに流れの中に消えて行くとすれば、一見して 絶望にしか見られない環境の中にも希望が見いだせるのだろうか。インドに 行くといつも、そうした哲学的な死生観を感じるのだ。きっと、インドに 行けば誰でも哲学的な思考に思いを耽るに違いない。だから私は、インド が好きである。

先週、スズキ自動車のインド現地法人マルチスズキで暴動が起きて、生産 活動が停止を余儀なくされた。スズキはインドで最も成功していた日本企 業である。以前、当社も協賛しているインド経済フォーラムにて講演され たインド政府の高官に「スズキはインドで最も成功している日本企業」 という問いかけをさせて頂いたら、「そうですか? 日本ではそういう認 識ですか?」と仰って、それ以上全く、この話題に関して何も触れられな くなった。私は、ぜひ、その理由を聞いてみたかったが遂にダメだった。

今回のスズキの暴動問題は、カーストが原因とされているが、実は、現代 のインドでカーストの問題はそれほど深刻な問題ではない。日本では、カ ーストは身分制度と認識されているが、インドでは5,000ほどもある と言われる職業分類を定義する言葉となっている。カーストは、ある意味 で、代々受け継いだ家業を他人に奪われないジョブセキュリティー制度とし ても機能しているのだ。その5000ほどある職業定義の中には、「物乞 い」も立派な職業として定義されている。しかし、数千年の歴史を持つ カーストが定義する職業の中に、「ITエンジニア」は存在しない。 だから、この職業だけは、誰でも就くことができる自由競争の職種である。 こうした背景が、インドでIT業が盛んになった理由とも言われている。

この本も、インドが抱える絶望の中にはカーストの問題を入れていない。 インドが抱える最大の絶望は宗教抗争である。このインドの宗教抗争の 問題は、歴史的に、そして地政学的に分析しなければ本質が見えてこない。 まさに、インド洋圏が抱える問題なのだ。インドは隣国パキスタンとの 抗争に死力を尽くしている。パキスタンを両側から牽制するために、イ ランと強い連携関係を結んでいる。一方、アラビア半島の大国サウジア ラビアは、対岸の大国イランを牽制するために、パキスタンに肩入れして 巨額の援助を行っている。つまり、インドの宗教抗争とは、単純に イスラムとヒンズーとの戦いと言うわけでもない。イスラム圏の中でも 激しい主導権争いがあるのだ。

この隣国パキスタンが、また複雑怪奇である。単に過激なイスラム民族 主義国家と単純に定義することは出来ない。そういえば、私が小学校の 時のパキスタンの首都はアラビア海沿岸のカラチだった、いつの日か この豊かな港から奥地ヒマラヤ山脈に近いイスラマバードに引っ越した。 なぜだろうと不思議に思っていたら、今のパキスタンの政権の主体は アフガニスタン人に近いパンジャブ人なのだ。パキスタンのアラビア海 沿岸部はトルコ系イラン人のバルチ族とインド系イスラムのシンド族の 住処なのだ。

そして、このインド洋圏で覇権を取るために中国が、このパキスタンの アラビア海沿岸の良港であるグワダルに巨額の資本投下を行いインド洋 のハブとなるべき立派な港湾設備を建設した。これで、パキスタンも、 いよいよ発展できるかと思えば、そうはいかない。パキスタンのアラビ ア海沿岸地域、つまりバルチ族やシンド族が住んでいる土地を、政権を 取っているパンジャブ人が無断で土地登記を行っているのだ。これを 知ったバルチ族やシンド族は武力でパキスタンからの独立運動を起こし 始めている。彼らは、グワダル港周辺に建設されたコンビナートや石油 パイプラインは恰好のテロ攻撃対象になると言って憚らない。

これと同じことが、インドのグジャラート州で起きている。グジャラー ト州は、インドの英雄マハトマ・ガンジーの出身地であり、首都デリー から大都市ムンバイへ行く途中のアラビア海沿岸にあり、イスラム国家 パキスタンと隣接している州でもある。そして、このグジャラート州は 、インドで最も盛んにインフラ投資が行われている州で、日本が主体的 に進めているデリー・ムンバイ産業回廊(DMIC)計画における開発の中 心地でもある。まさに、インドの将来の希望を担った未来の州である。 もちろん、DMIC計画に沿って多くの日本企業コンソーシアムがPP P形態で巨額の開発を計画している地域でもある。

著者、カプラン氏は、このグジャラート州こそが、希望と絶望を合わせ 持っているインドの典型的な州であると説く。2002年、このグジャ ラート州で悲惨なイスラム教徒大量惨殺事件が起きた。インドの多くの 知識人は、この2002年事件をアメリカの9.11と同様の事件と認 識している。そして、この時の州の首相、モディ氏は、この事件に対し て何らの釈明も謝罪をしないまま、それ以降目覚ましい出世を遂げて行 く。もっぱら、この事件には州政府や官憲が深く関与していたとの噂が あるのにである、もちろん、今でもインドのヒンズー教過激派の間で モディ氏は英雄である。

さらに、カプラン氏は2008年に起きたムンバイの同時多発テロは 、この2002年事件の報復であったと断言している。インド政府は パキスタン政府の仕業と非難したが、パキスタン政府は、これを明確 に否定している。多分、パキスタン政府の言い分は正しいものだろう。 このテロは、多分、パンジャブ人が担うパキスタン政府の仕業ではな い。むしろ、パキスタン政府から分離独立してインドに帰り、インド のイスラムの仲間と一緒になりたいヒンド族が関わっているのでは ないかとカプラン氏は述べている。

そうなると話は厄介である。シンド族を中心としたパキスタン在住の イスラム系インド人達の標的は、パキスタンのグワダル港ではなく てグジャラート州のアフマダバードになるからだ。DMIC計画で 建設されたインフラや施設も格好の標的になるかも知れない。現在、 インドには1億5千万人のイスラム教徒が居る。インドは、もとも と民族的にも宗教的にも多様性に富んだ国だった。そして、数千年も の間、お互いに極めて寛容な国でもあった。

中国系アメリカ人であるエイミー・チュアがその著書「最強国の条件」 で述べているように「帝国の勃興」は「寛容」さから発している。 スペインはアフリカへ逃げ遅れたイスラム教徒から天文学を学び、 当時ヨーロッパ中から迫害されたユダヤ人を受け入れることで莫大な 金融資本を得て、世界の海を支配する海洋大国になった。しかし、 一旦、大国になるとスペイン国王は全世界をキリスト教国にするんだ と、国内からもイスラム教徒とユダヤ人を一斉に追放した。その結果、 スペインは英国に海洋大国の地位を譲ることになったというのである。 「不寛容」さが「帝国の衰退」を招いたというわけだ。

数千年間も寛容だったインド社会を不寛容に変えたのは、スペインと 同様に、多分、この15年間の目覚ましい経済発展だったろう。その 不寛容さこそが、インドの希望を絶望に変える大きな要因となるに 違いない。それでも、どんな絶望の中にいても決して絶望を顔に出さ ないインド人は、きっといつの日か絶望を希望に変えるだろう。イン ド社会は、我々日本人が考えているような10年、20年単位で、物 事を考えては居ないのかも知れない。きっと、数十年、数百年単位で 考えているに違いない。我々も、インドと付き合う時には、そういう 時間レンジで物事を考えて行く必要があるのかもしれない。

158 やせ我慢の経済からの脱却

2012年7月25日 水曜日

昨日、経団連会館にて、経産省 角野産業構造課長より、産業構造審議会が まとめた「経済社会ビジョン」について、ご説明を頂いた。このビジョンに 基づき、新たな日本の成長戦略がまとめられることになる。私は、個人的 に、この答申を支持したいと考えている。つまり、日本の、これまでの我慢 の戦略は、もうとっくに限界を迎えているからだ。その典型が、パナソニッ ク、ソニー、シャープの日本を代表するエレクトロニクス産業の巨額赤字で あり、この延長線上を辿って行けば、そこにはエレクトロニクスと並んで日 本の輸出を牽引してきた自動車産業が、いずれ同じ運命に会うだろう。

さて、何が「我慢の経済」なのだろうか? まず一番は交易条件の悪化が 挙げられる。日本を除く諸外国は、昨今の原材料の高騰分を製品価格に転化 し、事業のバランスを図っている。しかし、日本だけは、円高で多少は和ら げられてはいるものの、鉄鉱石や石炭など原材料価格が高騰しているにも、 関わらず製品価格は「お客様のため」と言って据え置いている。この結果、 日本の輸入物価指数は高騰しているのに、輸出物価指数は据え置かれている。

こんな国は世界中、どこを見ても存在しない。つまり、原材料の高騰分を 乾いた雑巾を絞るように合理化して製品価格を据え置いているのだ。「合理 化」と言えば、カッコ良い話だが、結果は「企業利益」と「従業員給料」を 削っただけというお粗末さ。企業の利益を従業の給料に配分する労働分配率 では、日本は先進国で一番高い。つまり、所得の公平性が一番高いと言うこ と。それなのに、雇用者報酬が毎年低くなっているのは、経営者も労働者も 皆で「やせ我慢」しているからだ。

一人あたりの労働生産性の向上も日本は先進国で一番高い。つまり、日本人 は、皆、努力していると言うこと。ところが、単位時間当たりの労働生産性 、すなわち付加価値生産性は日本が先進国の中で一番低い。一生懸命働いて いるが、価値のない労働をしていると統計は言っている。何とも、情けない 話。我々は、何をアクセク努力して働いているのだろうか?と考え直す時期 に来ているのだ。つまり、高品質、低価格、大量生産という領域(例えば TV)は最早、韓国、台湾、中国には勝てない。ここで、無理をすると 企業は利益を、従業員は給料を犠牲にせざるをえなくなる。

米国では所得格差が問題になっているが、日本で、今、起きていることは 所得格差の拡大ではなくて国民全体の貧困化である。そして、企業も儲かっ ていない。東証上場企業で直近5年間のROEがマイナスの企業が約20 %、5%以下の企業が30%以上もある。つまり東証上場企業の半数が、 資本コスト以上の収益がない。これでは、株価が低迷するのも当たり前で、 この株価低迷が年金運用にも大きな影響を与えてくるから、個人として株式 への投資をしていない一般市民の老後を考えると捨て置けない問題となる。

何で、日本だけが我慢の経営を強いられているのかという理由が、未だ幾 つかある。先進国で製造業からサービス業への労働シフトが起きるのは一 般的な趨勢である。そして、日本で起きている、この産業構造のシフトは 平均年収500万円の製造業から、平均年収200万円の医療介護サービス 業へのシフトであることが問題となっている。欧米の産業構造の変化を見 ると、シフト先のサービス業は高い年収が得られる金融、不動産業である。

しかし、この高年収の金融業、サービス業に従事できる就業人口は製造業 に比べて圧倒的に数が少ない。だから、欧米では所得格差が拡大していく 一方なのだ。そして、欧州米国の財政危機、経済危機で、この金融業、不 動産業が高い利益を挙げられる時代も、もはや終焉しつつある。つまり、 製造業からサービス業へのシフトにより先進国が豊かさを享受し続けられ る時代は終わったのだ。

そうした八方塞の中で、世界でただ一つ、健全な経済成長を遂げている国 がある。それがドイツである。そのドイツは、既にコストカット・低価格 ビジネスモデルから価値創造型ビジネスモデルへの転換を図っている。 対GDP、50%近い高い輸出比率を誇るドイツ経済を支えているのは、 あくまで製造業である、それも、大衆消費財であるコモデティを安く大量 生産するビジネスモデルではない。むしろグローバル・ニッチな 高付加価値製品で世界市場を席巻している。

例えば、今や、世界最大の自動車市場となった中国で走っている車を、 よく注意して見たらよい。パトカーに先導されて走る政府要人の車は全て アウディである。また企業経営者の車は、殆どメルセデス・ベンツである。 私の勝手な想像力と現地の噂を交えて考えると、政府要人の車は、防弾 ガラスと対爆発物の床を有する仕様になっているに違いない。企業経営者 の車は他の車と衝突した時に重量で圧倒して、自身の怪我を最小限に抑え る仕様になっているのだろう。いずれも、燃費など糞くらえである。こう したニッチな顧客の要望を実現することによって、1台で大衆車数百台分 の利益が得られるとしたら単なる販売台数シェアなど全く問題にはならない。 例えば、ドイツは、こういう価値創造型ビジネスをしているのである。

我々日本人は、あまりに「我慢の経済」を永く続けすぎてきた。ムリ、ム ダ、ムラをなくす生産革新に全力を注ぎ、常にコストダウン、コストダウ ンをやり続けてきた。その結果が、この体たらくである。私が属するIT業界 も、お客様に合理化や効率化ばかりを訴えてきた。もう、そろそろ、こんなことは終わりにしよう。 お客様は、どこに価値を見出すか? どこに高いお金を支払うのか? そうして、新たなイノベーションを起こして価値創造型のビジネスモデル に転換しないと、この日本は最貧国への道をまっしぐらだ。ITも合理化 の道具からイノベーション創出の道具への転換を図らないといけない。我 々の業界も大いなる反省だ!

そのために何をするか? そこが問題だ。発想を変えるためには、国民が 全員参加する政治形態、企業経営、教育システムに変えていかなければ ならない。年長者、男性、健常者、そして日本人だけの発想と考えでは、 「同質性の罠」に陥るだけだ。若者や女性や身障者や外国人といった、 従来は少数意見だったかもしれない考えを、皆で、積極的に取り上げて いかないと、もう、この日本は変われない。変わらなければ、この日本に 、もはや未来はない。「やせ我慢経済」は、もう、こりごりだ。ムリもム ダもムラも、沢山しまくって、何か新しいことを考えよう。

157 上海交通大学シンポジウム

2012年7月24日 火曜日

昨日、経団連会館にて開催された経団連と上海交通大学との共催シンポジウム に参加した。共催シンポジウムと言っても、経団連は冒頭に米倉会長が挨拶さ れただけで、プログラムは全て上海交通大学の先生方の講演とパネル討論に終 始した。上海交通大学と言えば江沢民前主席の出身校として有名で、胡錦濤主 席の出身校である北京の精華大学と並んで中国の技術系大学の双璧である。 そして、流石は中国の超一流大学の諸先生である。今の中国が抱える政策課題 に関して単刀直入に入り込み痛烈な批判も含めて単純明快に論陣を張っていく。 私にとって、今の中国を理解するうえでも非常に判り易い講義であった。

まず、私が一番衝撃を受けたのは、世界的にも、それなりに評価されているリー マンショック後に中国政府がとった総額4兆元(50兆円相当)の景気刺激策 に対する評価である。リーマンショック後に世界中で景気後退が起きた中で、 中国だけが何とか持ちこたえて、世界経済恐慌を救ったのが、この「4兆元の 景気刺激策」だとも言われているが、この上海交通大学の先生に言わせると、 この政策が中国経済が高成長から安定成長へスムースに移行することを妨げる 後遺症になっているという。

つまり、4兆元投資は、「重工業への過剰投資」、「不動産バブルの醸成」、 「地方政府の重度な債務負担」を招いた要因となったという。さらに、こ の4兆元投資が国営企業中心になされたことにより「国進民退」現象を一層 顕著なものとして、中国企業の透明性、安定性、持続性を歪める大きな欠陥を 生んだのだという。国営企業に過度に投入された資金は、適切な行き場がなく 企業グループ内金融子会社(ノンバンク)の設立に走らせたのだそうだ。 そうした多くのノンバンクが競って今の不動産バブルを作ったというのである。

一般的に産業集約は競争力強化に対して良いことではあるが、例えば80社ほど あった洗濯機のメーカーは、現在7社に集約されたが、これも皆、国有企業だけ が残った。中国全体で進んでいる「国進民退」は、純粋に資本の論理で経営され る企業が減り、政策中心で運営される企業が増えるということであり、企業経営 の透明性にも懸念を持たざるを得ない。その結果、本当に生産性が上がっている のかどうかも極めて疑わしい。一方、賃金は目覚ましい勢いで上がっており、こ の結果、中国は実質生産性と言う意味でも急速に国際的なコスト競争力を失って いくだろう。

中国の技術創造力は核兵器、ミサイル、人工衛星、航空機、高速鉄道という分野 では優れているが、民需分野での技術革新力は、まだまだ弱体で、創造環境も企業 の研究活動を下支えできていない。本来、こうした民需分野、あるいは環境や 省エネ分野において日本の企業との密接な連携をもっと模索する必要があるが、 必ずしも資本の論理で動いていない国営企業相手では、日本企業もそう簡単に連 携することは難しいだろう。そうした意味でも、中国政府はもっと民営企業が勃 興するような施策を積極的に図らないと中国経済が安定性を増すことにはならな いという。

2016年は「中国世紀元年」になるのではないかと言う話がある。2011年 4月IMFが交付した世界経済展望報告で購買力平価で中国のGDPはアメリカ を2016年に追い抜くというものである。しかし、中国経済が減速、あるいは マイナス成長になればカーブでの追い越しというよりも、カーブで転倒につなが っていく。そして、その兆候は、いくらでもある。一つは、伝統的な低コスト競 争力の優位性が急速に衰退していることである。さらに、人民元の切り上げ圧力 が増加していることで、どこまで、それに耐えられるかにかかっている。

もう一つは貿易摩擦で、中国製品に対するアンチダンピング訴訟が激増している。 そして、これまで中国の輸出を支えてきた外国企業の製造拠点としての魅力も薄 れて、外国直接投資も急速に減少してきている。さらに、最も懸念すべきことは 中国の輸出先であった欧州・米国市場が長期的に低成長期に入ってきたことだ。 中国の対欧米輸出は明らかに減少傾向にある。こうした状況の中で、中国の企業 経営者たちが、これまでどおり政府の援助、市場の回復、コスト低下を期待して、 今の困難な状況を乗り切ろうとしているのであれば、それは「温水でカエルを茹 でる」リスクが増加するだけだと上海交通大学の先生は言う。何だか、日本のこ とを言われているような気がしないだろうか?

以上が、産業政策面での中国の課題であるが、次に中国の金融政策、即ち人民元 に関する議論は、さらに興味深かった。中国は、現在、莫大な手持ち外貨の3分 の2以上を米国国債としてドルで保有している。しかし、中国は米国の財政は今 後さらに悪化すると考えているのでドルの下落は必然だと思っている。そういう 意味で、大切な中国の資産を米ドルで保有していることは好ましくなく、人民元 の国際化についての議論は極めて重要である。

しかし、人民元の国際化を積極的に推進するには以下の2つの懸念がある。一つは 中国の国内問題で、中国国内の金融システムが政府の管理下に置かれていて市場 の論理で動いていない未熟なシステムであることだ。この状態で、国際市場に打 って出ることは大変危険である。一方、欧米の金融システム、特に外貨市場は実 需を超えた投機市場になっている。これは実体経済の動向を遥かに超えた為替変 動を容認する市場であり、こうした金融マフィアが暗躍する賭場で、大切な人民 元を玩具として扱わせるわけには行かない。

こうした状況の中で行われるべき人民元の国際化はアジア市場を重点として開始 したい。アジアは欧米と違い、実需を踏まえた健全な金融市場が存在する。この アジア市場において人民元を、まずは貿易決済から、次に資本輸出へと適用させ ていく。特に、中国国内でのコスト競争力が失われつつある中で、中国企業も アジアに製造拠点を移さざるを得ない。こうした意味で、アジア金融市場の中で の為替制度としては、円を含む複数の有力なアジア通貨をベースとした通貨バス ケット性のナロー・ターゲットゾーンの変動管理を行うようなシステムを考えたい。 そしてアジア共同で国際資本流動の不安定性に対処するためにトービン税を課し、 地域の安定化基金の設立に用いたらどうかと考えているという。アジア市場を欧 米金融界の餌食にさせてはならないという中国の強い意志が感じられた。

さて、中国の豊富な外貨を有効に使うための資本輸出の一環として、日本企業の M&Aも、その一つの手法として中国は真面目に考えている。しかし、最近、 中国は、その考え方を変えたのだと言う。企業を買収するということは、その 企業で働く「人材」を買うということである。中国から見て、日本企業の従業員 には大きな魅力があるが、一方、日本の経営者には全く魅力がないと言う。それ ならば、従業員と経営者とまるごと買う企業買収よりも、優秀な社員を高給で一 本釣りするほうが、余程、効率的だと考え始めたのだと言う。これも、考えさせ られる話である。