2012年5月 のアーカイブ

145 変貌しつつある日本企業

2012年5月31日 木曜日

昨日も、私が司会を務めさせて頂いている経団連産業政策部会が 経団連会館で開催された。この部会は、日本の26業種の代表 企業の戦略担当役員で構成され、政府に対して日本の産業政策を 答申するための組織である。部会長の私はともかくとして、流石 、日本を代表する企業の戦略家たちのご意見は大変貴重なものが ある。あの3月11日以前は、電力業界からは東京電力の西沢常務 (当時の役職、現社長)が常時この部会に参加され、いつも 貴重なご意見を頂戴していたのだった。

その3月11日の大震災直後に開かれた2011年3月18日の部会では、 それまで1年間議論してきた結果である政府への提言書の最終 審議が行われた。時の菅総理大臣宛に出す資料であるが、この時 、部会のメンバー全員一致で、この提言書を破棄することが決め られた。理由は、「もはや今までの日本ではない。全ての前提条 件を変えて考え直さないとダメだ。」ということである。

さて、さすれば、この部会は、いつから、どのように再開するか ?という議論になった。ともかく、部会のメンバー各社の個社の 経営戦略をやり直さなければならないので、まずは、そちらが最 優先で、政府への政策提言の答申案作成は、その後だということ になった。

そして7カ月間の休会を決めた。これは、極めて合理的なやりかた だったと今でも自負している。しかし、その後の7カ月間には、 東日本大震災を追い打ちするように、タイの大洪水、ヨーロッパ の財政危機からくる対ドル、対ユーロの猛烈な円高と、これまで の経営戦略、事業戦略の根本から見直さざるを得ないような激震 が次々と起きてしまった。

そして、昨年9月から毎月3社ずつ、昨日までの足かけ9カ月間に わたり、合計26社の戦略担当役員が直接語られる形で、新たな 事業戦略、経営戦略のご説明を頂いた。それが、昨日、ようやく 完了したわけである。私は、この部会を大震災まえから取りま とめさせて頂いてきたわけだが、明らかにメンバー各社の姿勢 が、この大震災を契機に大きく変わったと思わざるを得なかった。

とにかく、各社とも、見直された事業戦略/経営戦略を極めて ご丁寧に説明されるのだ。そして、ご説明が終わった後の質疑 応答でも、私が「ご回答されにくい質問には、無理に、お答え 頂かなくて結構です」と申し上げているにも関わらず、かなり 立ち入った質問に対しても、各社ともに実に丁寧にお答え頂い たことには、感動すら覚えたものである。「日本の各企業は一 体どうなったんだろう。何が起きたんだろう?」と私なりに、 いろいろ考えてみた。

これほどに、個社の戦略を丁寧に説明して頂ける背景には、各 社とも、この世界の激変に対して、やはり確固たる自信を失っ ているのではないかと私は推論する。そして、もう一つは「も はや日本と言う小さいパイの中でお互いに疑心暗鬼になって、 同士討ちや探り合いをしている場合ではない」という危機感も 醸成されたに違いない。この部会の中で、自社の戦略を丁寧に 説明して、むしろ厳しい批評を受けたい、あるいは土足で立ち 入ってきたような質問にも、丁寧に答えることによって、自社 の戦略のレビューが出来るのではないか。そう考えておられる としか思えない、この9カ月間のやりとりだった。

9カ月間、26社の事業戦略・経営戦略をお聞きして、思ったこ とは、各社とも悩んでいる課題が、まさに共通しているという ことである。それと、もはや政府に期待しても実現してもらえ そうもないことは早々に諦めて、自身で何とかするしかないな と腹を括ったとも言える。まず公助は期待できないから、自助 で何とかするという決意である。その上で、こうして同じ苦しみを 持つ日本企業同士が何とか一緒に問題解決に動けないかという 共助の心が芽生えてきたとも言える。

つまり結論から言えば、各社とも日本から脱出すべきか? 日本に留まるべきか?という悩みは一切なくなった。コスト が競争力に大きく影響する事業は、もはや日本では出来ない ということである。そうした前提での課題は、やはり人材育成 である。特にグローバル人材であり、この人材には当然日本人 だけでなく外国人も含まれる。

さらに、経営陣そのもののグローバル化は、各社とももっと深 刻な課題となっている。経営陣が全員日本人で、日本語だけで 会議運営を行うのでは、グローバル経営など全く不可能だから だ。こうした観点から政府に提言すべき政策提言はかなり出て くるが、これは産業政策と言うよりも、むしろ教育政策や労働 政策も含まれる。

そして、やはり、日本から出せない、あるいは出ていけない 事業は各社とも当然のことながら相当量ある。この部分の 競争力をどうするかという課題もかなり大きい。この部分を きちんとやらないと国内の雇用は大変深刻な状況となり、 日本と言うベース基盤が崩壊してしまっては、日本企業の存 続もあり得ない。

その答えとして、よく議論されることが、サービス業の拡大 、とくに介護や医療産業の育成と言われるが、私は、この議 論には必ずしも賛成できない。従来と異なり、サービス業は 、もはや雇用を吸収する産業ではなくなっている。世界で一 番サービス業が発達しているアメリカを見てみると、就業人 口は増えるより、むしろ減っている。つまり、従来の人手に よるサービスが、どんどんIT化され無人化されているから である。

そして介護や医療産業は、誰がその支払いをするかという 根本的な課題がある。これらの産業は、支払能力で上限が あり、売上や雇用は、その範囲を絶対に超えることは出来な いという制限がある。そう考えると、やはり雇用の確保という 意味では「生産し、輸出して富を生み出す事業」、それは、 農業や林業、水産業と並んで、ものづくりという製造業を 国内で行うしかないと考えるべきだ。

そして、その国内立地でも国際競争力が見込まれる製造業 に対して、規制緩和や税制優遇を要請する、あらたな産業 政策の提言を行っていかなければならないと思っている。 今回、大震災と言う未曽有の不幸を経験して、そうした知 恵だしを皆で考えて行こうと言う風土が出来たように思う。 来月以降、会員各社の方々と、こうした有意義な議論を一 緒に進めて行きたいと思っている。

144  ハルビン旅行記(その3)

2012年5月24日 木曜日

ハルビン工業大学が、北京や上海の一流大学と共に全中国のアイビーリーグ 9校の一つに数えられているかと言えば、ハルビンの地政学的地位を考えな ければならない。共産中国近代化は全てソ連の指導によって行われたとすれば、 ハルビンは、そのソ連から中国への最初の入り口である。そして、そのハル ビン工業大学の歴史は帝政ロシアまで遡ることが出来る。1920年、帝政 ロシアの援助でハルビン中露工業学校として設立されたのが始まりでロシア は満州開発のために重工業に携わる人材の育成基地として、この大学を作 ったものと思われる。日露戦争後は一時日本の管理下に入るが、共産党中国の発 足後、再びソ連の強い影響を受けることになった。

従って、このハルビン工業大学の強い専門分野は重工業分野、とりわけ軍事 技術である。近年は特に宇宙工学に焦点を置き、有人宇宙飛行船「神州」の 開発にも参加したが、現在、最も力を入れているのは月面探査プロジェクト である。ハルビン工業大学のショールームでも、この月面探査プロジェクト の展示が一際目立つ場所に置かれている。まさに、このプロジェクトこそが 大学の一番の誇りなのだ。

アメリカのアポロ計画が「人間を月に送る」こと自体を最大の目的にしてい たのに対して、この中国の「月面探査プロジェクト」はもっと現実的である。 現在の中国が、最も注力している資源確保問題、とりわけエネルギー安全保 障の問題解決の糸口として、この月面探査プロジェクトを計画している。

実は、月面には太陽風によってもたらされたヘリウム3が大量に蓄積されて いるらしい。このヘリウム3は核融合反応を極めて有利に行うことが出来る。 水素+重水素からヘリウムを作る核融合よりも、水素+ヘリウム3からヘリ ウムを作る核融合の方が、中性子を発生しないため安全な核融合炉が実現で きるからだ。ところが、月と同じく地球まで太陽風によってもたらされた、 ヘリウム3は全て宇宙空間に拡散されてしまってもはや存在しない。

2007年に中国としては初めての月面探査衛星「嫦娥1号」を打ち上げ 月面の詳細写真を撮影した。2010年には「嫦娥2号」によって月面の 立体写真の作成に成功し、いよいよ具体的な月面探査のための資料が準備さ れた。来年、2013年には「嫦娥3号」が打ち上げられ無人月面探査機 を月面に上陸させる。2013年と言えば、もう来年である。このあと、 引き続き、多分「嫦娥4号」なるものが、有人の月面探査機を上陸させる 計画だと思われる。

その結果、中国は念願のヘリウム3を手に入れ、人類史上初めての夢の核 融合炉を、恐ろしい中性子を発生させない安全なやり方で実現しようとし ているに違いない。もちろん、ハルビン工業大学のショールームには、こ のヘリウム3の事など一切書かれていないが、それは世界の衆目を集める ところである。それだけに、この月面探査プロジェクトは、この大学の誇 りなのだ。

さて、長々と月面探査の話を書いたが、私は、別に、ハルビン工業大学と 月面探査プロジェクトの共同開発の話をしに行ったわけではない。ハルビン という中国では北の辺境にある街の大学が、実は中国の将来を背負う大き なプロジェクトに参画しているということを紹介したかったからである。

今回の訪問ではハルビン工業大学のビジネススクール院長である于教授と、 環境と資源(水、食料、エネルギー)問題に関して、大変実りある議論を させて頂いた。ハルビンは冬季は厳寒の地であるが、大河である松花江の 流域として、中国としては珍しく水が豊かである。そのため重化学工業も 盛んである一方、農業も極めて豊かである。今や、松花江流域は中国随一 の穀倉地帯となった。地球全体で見ても、温暖化に伴い、中緯度地域は 砂漠化が進展する一方、ハルビンのような水が豊かな高緯度地域が農業の 担い手となり、今後、どんどん人々が集積して発展していくものと予想さ れている。

そして、2005年、このハルビン市の人々にとっては悪夢のような出来 事が起きた、松花江上流の吉林省の化学工場の爆発により大量のベンゼン が川に流出し、多数の市民がハルビン市から避難した。その後、長い間、 飲料水や漁業に影響を与えたと言う苦い経験がある。そのため、環境問題 にはハルビン市民もハルビン工業大学も大変神経を尖らせている。地球温 暖化によって、21世紀大きな発展をするであろうハルビン市の資源問題、 環境問題を解決するための議論に、今後とも参加できればと願っている。

143 ハルビン旅行記 (その2)

2012年5月23日 水曜日

731部隊跡地資料館を見学して、相当に落ち込んだ後、重工業都市ハルビンが誇るハルビン電機グル―プ傘下のタービン工場を見学した。工場と言っても、このタービン製造の工場敷地の景観はまるで大学のキャンパスのように美しい。工場建屋間には広い道路が縦横に走っており道路の両側には街路樹が整然と植えられている。「どうして、この工場は、こんなに綺麗なんですか?」という私の質問に対して、タービン工場幹部は「ソ連が自国のタービン工場と全く同じものを、ここハルビンに建設したんですよ」と答えた。そうなのだ。ソ連国境に接する、ここハルビンの町は、ソ連が中国の近代化を支援する最初の入口となったのだ。

私は、タービンの製造工場を初めて見た。一般的に加工工場は、部品を組み上げて製品を作るものだが、このタービンについては羽の部分は除いて回転軸については大きな鋼鉄の塊を削りだして作るのだ。巨大な鉄の塊を扱う工場は、まさに男の職場と言えるのだが、工員さんの半数は女性であった。確かに何十トンもの重量を持つ鉄の塊は、いくら頑健な男であっても自分の手で持ち上げられるものではない。そして研削マシンはもちろん自動加工機である。それを繊細に操るのは、むしろ女性の方が向いているのかも知れない。

そして、この工場は本当に清潔で綺麗である。工員さんは、自動機を遠くで見守りながら常に職場の周囲を一所懸命清掃をしている。だから、工場の中にはチリ一つ落ちていない。重工業製造業という業種の性格もあるだろうが、工場内の時間は非常にゆっくりと流れている。同じ中国でも、民間運営の中小企業と、こうした国営大企業とはゆとりの面でも随分違うように見える。

私は、日本メーカーのタービン工場を見学したわけではないが、こんなに沢山のタービンが同時並行で製造されている工場はあるのだろうか?と思う。小は5万キロワットから大は100万キロワットまで、私たちが見せて頂いただけで100本以上のタービンが同時に製造されている。今、中国市場は全世界のタービン市場の40%近くを占めている。その中国市場を中国の3大メーカー(ハルビン、上海、東方)が独占していることを考えると、このハルビン・タービンは少なくとも世界市場の10%近いシェアを持っていることになる。

もっと具体的に言えば、現在のハルビン・タービン工場の製造量は、年間2000万キロワットとのこと。しかし、3年前のピーク時は3000万キロワットだったので、やはりピーク時からは相当落ち込んでいることは間違いない。しかし、2000万キロ、3000万キロとは何と凄いレベルのことを言っているのだろう。東京電力を除く日本の電力会社1社分のタービンを、このハルビン・タービンは毎年製造していることになる。青島の家電大手ハイアール社の工場の規模を見たときもそうだった。何しろ、ハイアールの工場は地平線まで広がっているのだから。もはや日本企業は、規模で中国企業と競うのは無理だと思った方が良い。新日鉄・住金の事例のように日本国内の一位・二位・三位の大合併というような抜本的なM&A戦略の検討が必要となろう。

さらに、私はタービンの専門家でも何でもないので、タービン製造というより、この工場に、どんな製造設備が使われているのかに興味がわいた。どの製造現場にも、最新技術を用いた超臨界、超超臨界タービン製造のために、真新しい最新設備が導入されている。後ほど、ハルビン工業大学の先生曰く「中国の工場は設備一流、技術は二流、製品は三流」とは、まさに謙遜されてのことと額面通りは受け取れないが、どうも「設備一流」だけは本当のようだ。中国の国営大企業は製造設備には惜しみなく投資を行うように見える。そして、その製造設備の殆どはドイツ製で、残りがイタリア製である。それも、誰もが知っている有名な大企業の製品ではない。たぶん、タービン業界では名が通った会社なのだろうが私は一度も聞いたことがない。

これなんだと私はハタと思った。このドイツやイタリアの設備メーカーこそが、最近、大変気に入った著作「グローバルビジネスの隠れたチャンピオン企業」の中で記述されているエクセレントカンパニーの典型である。好調なドイツ経済を支えるグローバル・ニッチ企業は世間の人が名も知らぬ隠れた企業なのだ。もはや日本企業も、企業規模で中国企業や韓国企業と競う時代ではない。今の日本の社会構造では、コストで戦っても中国や韓国、台湾に勝ち目は全くない。むしろ、私たち日本企業が学ぶべきは、ドイツやイタリアの隠れたグローバル企業、グローバル・ニッチを目指す企業なのだと、このハルビン・タービン工場を見学して感じた私の結論である。これこそが日本が目指すべき産業構造の大転換なのではないだろうか。