先週金曜日、2月17日青森のユーザ会で講演を行った。私としては、どんなことがあっても行かねばならぬ大事な講演会であった。なぜなら、1年前の3月11日午後2時46分、あの忌まわしい大震災で、講演を半分ほど終えたところで中止せざるを得なかったからだ。あの日、あの時から、私は残りの人生の生き方を変えた。
あの日3月11日の前の週は佐賀県内のお客様をお招きして講演をさせて頂いた。九州は、その翌週、3月12日に九州新幹線が博多から鹿児島まで開通することで沸き立っていた。東京から朝8時12分のはやぶさ1号で青森に向かった私は、明日の3月12日は、いよいよ青森から鹿児島まで新幹線が通じることになるのだと特別感慨深い思いでいた。午後2時10分から1時間を頂いて講演を始めた私は、初めて、はやぶさに乗ったせいか、いつもよりだいぶ上気して、少し興奮気味で話しをしていた。私は悪い癖で、興奮して話し始めると息を吐くことばかりで吸うことを忘れて酸欠状態になる。そうなると軽い眩暈がしてくるので、その時は、話のペースを落として不足した酸素を補ってきた。
ところが、今回は、ちょうど講演を半分終えた2時46分に、激しい眩暈に襲われた。そして眩暈の程度が、いつもと違うので、今日の講演はこれ以上続行不可能だと思った。その直後である。ドーンと今まで経験したことのない揺れで最早立ってもいられなくなるほどだった。これは眩暈ではない、地震だ!と理解出来るまでに少し時間が必要だった。「皆さん、ホテルの外に出ましょう!」と言って、自も階段を駆け下りて雪の舞う表通りに出るのがやっとだった。
当然、翌日に予約していた新幹線に乗ることも不可能で、その晩、宿泊する予定だった浅虫温泉椿館にも泊まれなくなってしまった。それでも青森支店長の機転で、三沢発羽田行きの飛行機の最後の1席を翌々日の13日(日曜日)に確保、何とか横浜の自宅にたどり着くことが出来た。
それから4日後の3月17日、私が主宰させて頂いている経団連の産業政策部会が開催された。この日は、この部会のメンバー皆で1年間議論を重ねてきた政府への政策提言を最終的に取りまとめる日であった。いつも参加して頂き、貴重なご意見を発信しておられた東京電力の西沢常務(当時常務:現社長)は、さすがに、ご欠席だったが、西沢さん以外のメンバーは殆ど全員が集まっていた。
そこでの結論は極めて速かった。3月11日以降で日本は大きく変わらざるを得ない。残念だが、これまで1年間議論を重ねて作ってきた政策提言は全て廃棄せざるを得ない。そして部会メンバー全ての個社戦略も大きく見直さざるを得ないだろう。これから、それぞれの会社に戻り戦略を一から練り直そう。半年後に再度、皆で集まって、新たな個社の戦略を披露しあってゼロから政策提言を作り直そうという結論にまとまったのだ。
そのとおり、昨年10月から毎月3社ずつ、ゼロから練り直した個社戦略を披露し、皆で、質疑を重ねてきて、それは今も続いている。皮肉にも、あの大震災以前より遥かに真剣な議論が出来るようになった。何十年間も築き上げてきた経営の指針を失った、各社のメンバーは、少しでも他社から学ぼうと質疑応答のやりとりも必死なのだ。
そして、今や我々が経営戦略を立案する上で考慮に入れなければならないのは、もはや東日本大震災だけではなくなった。タイの洪水、欧州のソブリン危機から、中国経済の軟化まで、世界中の劇的な変化までもが、議論の対象に入ってくるからだ。それらを含めた結果だとは思われるが、これまで日本の経済を牽引してきたTVやゲーム機など消費者市場の猛者が、今や巨額の赤字で苦しんでいる。
当然のことながら、今回の青森での講演は前回とはうって変って、こうした時代背景を考慮に入れた日本再生のための議論を起こすために、少しでも貢献できればという思いで纏めた講演にしたつもりである。経団連産業政策部会でお話を伺った15社ほどの戦略も講演ストーリーの参考にさせて頂いている。また、自社が被災地で始めた数々のクラウド型救援システムについても触れざるを得ない。全てが崩壊した被災地で、私たちが立ち上げたクラウドシステムは、今まで我々が経験したこともないほどに強力な武器としての威力を見せたからだ。こうした我々の実体験についても、ご紹介をさせて頂いている。クラウドシステムは被災地だけでなく日本全体をも再生させることに役立つかも知れないとの思いでいるからだ。
そして、昨年の同じ午後2時10分から始まった講演は予定どおり、3時10分には終了し、昨年行けなかった豪雪に埋もれた浅虫温泉にも行けた。こうした講演を、今週は被災地の仙台で、来週は同じく被災地の福島でも行う予定である。仙台の講演が終了した翌日は、これまで行っていない、岩手県の被災地、陸前高田、大船渡、釜石、大槌を巡回するつもりでいる。これまで定期的に何度も訪れていた、私の母方の祖母の出身地である石巻は次回の訪問時に行くことにした。
そして、今月末、福島での講演が終わると、いよいよ、あの3月11日が再びやってくる。これから何年も、何十年も、命ある限り、この大震災の復興に向けて、被災地各地を何度も何度も回るつもりである。、そう、あの3月11日から、そういう生き方をするのだと心に決めたのだから。