昨日、岩手日報、河北新報、福島民報と日経新聞の4社共同のシンポジウムがザ・ペニンシュラで開かれた。テーマは「東北復興」である。
被災3県の主要紙が揃って公開パネルを開くという機会はめったにないと思い聴講を希望して参加させて頂いた。各紙とも、この被災地を中心に記者を永年経験されて、現在は論説委員をされている方々である。しかも、河北新報の方は、福島県南相馬市のご出身、福島民報の方は三陸のご出身と、それぞれ他県の被災者の方々をご親戚に持たれているので、お互いの困窮した状況にも深い理解を持たれている。
このシンポジウムの感想を乱暴に一言でいうなら、「東京のテレビや新聞で学識経験者や評論家の方々が議論されている話とは全く違う」ということに尽きる。東京にお住みで、高い見識をお持ちの方々は、こうした地元の人々の考えは稚拙で間違っていると言われるかも知れない。しかし、その地で生きている人々の考え方は、良く聞いてみれば、やはり一理ある。東北の被災3県は過疎化が進んでいたとは言え、その生活は大自然の豊かな恵みに抱かれ、都会の豊かさとは別な意味の豊かさを持っていた。そこに暮らしている人々は、衣食住を満たされて いて決して不幸ではなかったのだ。
まず、岩手日報の話に私は耳を疑った。岩手県は、今回の大津波にも耐えられるような高さ14.5メートルの防波堤を再度築こうという計画らしい。この話は、「もうやめよう」と周知されていたのではなかったのか? 地元の市町村は、その県の方針に大反対で、従来通りの6.4メートルの防波堤を再建してくれれば十分と主張しているらしい。理由は、美しい景観を損ねるということと、毎日の生活のなかで海が見えなくなることは津波災害から逃れるという意味でも、極めて危険だというのだ。高さ14.5メートルの防波堤だって、所詮、完全に防ぐことはできないことを、住民は、皆、よく知っているからだ。
岩手も宮城も含めて三陸海岸で今回、一番津波被害を受けた人々は、海を相手に生活する漁民である。彼らにとって、海は恐ろしい存在ではあるが、こよなく愛すべき存在であり、毎日の生活のパートナーなのだ。海から吹いてくる風や、匂いを知って、漁や養殖の仕事ははじめて可能となる。だから、高い防波堤で海と生活が遮断されるということは、その地で生活すること自体を断念することにほかならない。そして住民の仕事場である、漁港や冷凍倉庫、加工場は海岸に立地しなくてはならないので、そこが危険だと言うなら、もはや仕事にはならないわ けだ。
そして、漁協組織も岩手県と宮城県では全く異なる。宮城県が県単位の単一組織なのに対して、岩手県は100近い零細漁協の集団である。漁協を通じた意見集約の形も自ずから異なってこよう。ただ、両県の漁協ともに、村井宮城県知事の漁業権への企業参入には猛反対している。最初、この話を聞いたときに、私は、規制制度・改革分科会に参画している立場から、「また例の既得権の話だな」と思ったのだが、今回のシンポジウムを聞いて、その考え方が大きく変わった。
三陸沿岸の漁民たちは何百年もの隣人同士との漁業権の争いの中で、資源保護と漁民の共存に関する知恵を、それぞれの浜ごとに集積をしてきた。同じ浜で働く隣同士では、獲る魚の種別を変えたり、養殖する対象も共存できる種に変えてきた。つまり、「浜(海)と漁民は、共に同一の生態系をなしている」というわけだ。私は、この「生態系」という言葉に思わず唸ってしまった。つまり、海も、漁民も一緒に生きているのだ。だから、漁民たちは、海を危険視して、防波堤で自分たちと遮断するという発想には絶対にならない。それは、海も自分たちも、互いに「死」を意味することになる。そして、こうした生態系の中に、どういう考えか想像もつかない他人(企業)が、土足で入り込んでくることには我慢がならないのだ。
三陸で最も被害を受けたのは漁民である。彼らの関心事は、震災直後の「衣食住」から「医職住」に変わっている。特に重要なのが「職」だ。彼らは、永年続けてきた漁師を続けたい。そのためには、一切の難しい話は要らない。漁船と漁港と冷凍倉庫と加工場があればよい。住宅などは、二の次だ。まずは、毎日の生活の糧を得る収入が必要で、それは生き甲斐にもつながる。彼らは、決していつまでも施しを望んでいるわけではない。水産業は岩手、宮城の2県だけで全国のほぼ1割を占める。つまり、岩手県も宮城県も水産業は県の最大の産業というわけだ。だから、少なくとも三陸の復興は水産業の復興しかありえない。地元の人たちが、東京から来て「スマートシティ」などと言った「おとぎ話」をしても、それが三陸の復興とどういう関係にあるのかさっぱり理解できないのも無理はない。
そして、次は福島県である。福島民報からすれば、福島は「未だ震災が進行中」というわけだ。福島県民は国も県も市町村も全てが信用ならないと思っている。特に、原発周辺の住民は避難命令を受けながら「どこに避難すべきか?」を知らされていなかった。その後、SPEEDIの情報から避難先の汚染度が、今まで住んでいた土地より高いことを知らされて、住民の怒りは極限に達したのだ。日本全国から福島市や郡山市に支援に来た方々が「全てが日常的で、日本のほかの地域と何も変わらない」と言う。それに対して福島民報の方は「しかし、よく見てほしい。子供が見当たらないでしょ。赤ちゃんを抱いたお母さんが居ないでしょ。」と言う。たまに、町で子供や赤ん坊に会うとびっくりするそうだ。
多くの福島県民が東電や国を信用しないのは理解できるが、県や市町村まで信用しないのはどういうことだろうか。実は、浜通り、中通に住む半数以上の福島県民は、福島を出たいと思っているのだそうだ。もう、既に5万人以上が県を出ている。そういう県民にとってみれば、県や市町村の施策の全てが、住民を福島県に留め置く施策のように思えてくる。今、福島県民の第一の願いは除染だと言われているが、それも多くの福島県民は除染の限界を既に知っている。除染したはずの場所の放射線値が下がっていないのと、汚染土を持ち込む場所がないために、除染した場所の近くに汚染土が、うず高く積まれているからだ。真っ先に、この汚染土を集積する場所を決めないと、これから除染など出来るはずがない。
そして、さらに問題は、世論を高揚する怪しい学者達だと言う。福島民報の見識から見て、納得のいく論理を展開する学者ほど、御用学者として糾弾されてしまうからだ。まるで、文化大革命時の人民裁判の様相すら示しているという。こうなると、もう冷静な議論など全く出来ないから、見識がある学者ほど沈黙を保ってしまう。これで事態は、ますます悪くなる。一部の過激な環境学者たちが、福島の評価を必要以上に地に落としているのだという。
しかし、よく考えてみると、福島県から出ていきたいと願う人々の支援を、福島県や福島県の市町村にさせるのは、あまりに酷である。これこそは、国が行うべき課題ではないだろうか? そして、それは、本当に有効かどうか、わからない除染作業に優先して行われるべきではないだろうか? 私は、このフォーラムを聴いて、そのように思えてならなかった。