2011年12月 のアーカイブ

105 2011年の終わりに

2011年12月31日 土曜日

今日は2011年の大晦日なので、今年を振り返ってみる。そして、この2011年が3月11日から始まったような気がするのは、私だけではないだろう。この日の前に何があったか、さっぱり思い出すことが出来ない。かすかに、思い出すのは、この日の1週間前に、私は九州新幹線の全線開通を一週間後の3月12日に控えて、喜びに沸いている佐賀で講演を行っていた。

3月11日、私は東京駅朝8時発の「はやぶさ」に乗って青森に向かっていた。明日12日は、青森から鹿児島まで新幹線が繋がるのだとの思いだった。そして微かな不安と言えば、3日ほど前に三陸沖地震で新幹線が一時停止していたことだった。青森では、東奥日報さんのお誘いで講演をすることになっていた。予定では、午後2時から3時までの1時間であった。

予定通り、午後2時から講演を始めて4分の3を終えた2時46分に、あの忌まわしい地震が起きた。聴衆の方々には、すぐさま雪が降り始めた、外に出て頂き、講演会は中止となった。地震直後から停電と携帯電話の不通で、青森の周囲で一体何が起きているのか、さっぱり分からなかった。ようやく、これはとんでもないことになったと分り始めたのは、夜になって携帯電話でワンセグTVの映像を見てからだった。

もちろん、翌日の12日にとってあった「はやぶさ」には乗れず、青森空港も停電のため発着は全てキャンセルされた。ようやく翌々日の13日に、取れたJALの便で三沢空港から羽田空港に帰ることが出来た。翌週の3月17日には、予定通り経団連会館で、私が主宰する産業政策部会を開催した。その日は、日本を代表する26社の戦略担当役員が1年間議論を重ねてまとめた産業政策の最終審議を行う日であった。この後に東京電力の社長に就任される西沢常務(当時)も、この部会の主要メンバーとして活躍されていたが、原発事故の影響か、この日は欠席されていた。

この部会の冒頭で、メンバー全員が、1年間もかかって苦労して纏めた、この提案書を捨てようと言い出した。この時は、未だ、福島第一原発の事故が、これほど酷いものだとは理解できていなかったが、それでも、これまでの前提条件が全て変わってしまったので、日本の国も、全ての日本の企業も、ゼロから戦略を策定し直す必要があるとの結論で一致した。それで、まず、個社の戦略策定を優先するため、この経団連産業政策部会は半年間、休会することとしたのである。

この結論は全く正しかった。三陸地域の復興だけならば、日本には未だ十分余力が残っている。課題は、政策決定のスピードだけなのだが、それもうまく行っているようには見えない。日本の国民と政治家、そしてメディアは議論することは好きだが、素早い意思決定を嫌う。拙速であっても素早い意志決定は、十分な議論より遥かに大きな価値がある。

それよりも、何よりも、最大の課題は、福島第一原発の事故である。この事故が、これまでの国の政策や戦略を、全てをリセットせざるを得なくなった。事故の原因が何であろうと、一度起きてしまえば、もはや日本で原発を推進することは不可能である。鳩山元首相の2020年までにCO2を25%削減する話も、原発を大々的に推進することが大前提になっていた。日本のエネルギー政策の根幹が、この事故で崩壊してしまった。

さらに、菅総理が、昨年6月に、鳩山前総理が苦しんでいる沖縄問題を知らん顔をしながら専念して纏めた「成長戦略」。「安心・安全な日本」をベースに、高級食材の輸出、海外からの観光客、医療ツーリズムと言った基本戦略を、この原発事故が全て台無しにしてしまった。日本から遠い海外の国から見れば、福島=日本であり、日本全土が危ないという解釈になる。

なにしろチェルノブイリ事故では、1000キロ以上も離れた、ドイツのチョコレート、イタリアのパスタ、フランスのワイン、英国の羊肉まで、相当量の放射能汚染されていたのだから、その解釈も当然のこととも言える。汚染濃度は必ずしも距離に反比例しないのだ。だからこそ、正確な汚染測定を行う必要がある。福島県で産出された食材でも、安全なものは沢山あるかわりに、福島県から遠く離れた地域で産出された食材でも、危ないものが多分あるだろう。

全てをリセットして考えるとは、一体、どういうことなのだろうか? 私は、丁度、来年、2012年6月20日から、ブラジルのリオで開かれる、「リオ+20」が良い切っ掛けになると思っている。世界120カ国の首脳と、5万人もの知恵者が集まって、世界共通の課題を議論する。丁度、今から20年前の1982年にリオで開催された世界環境会議を記念して開かれるわけだが、地球温暖化問題を議論するCOPより遥かに生産的な会議である。

私は、デンマークのヘデゴー環境大臣に招かれてコペンハーゲンのCOP15に関わったが、全くの失望に終わった。それは、メキシコのCOP16、南アフリカのCOP17にも引き継がれている。結局、途上国は地球温暖化を先進国の犯罪と決めつけ、その賠償金を途上国に支払えという、単純な金銭取引の議論から一歩も出ない。

それに対して、「リオ+20」では、以下の3つのテーマについて議論する。
1)人口爆発と資源(水、食料、エネルギー)
2)貧困と格差
3)幸福度  の3つである。
この地球と人類の持続可能性を追求するためには、従来からの単純な経済成長の議論だけでは解がない。原発やバイオエナジーと言ったエネルギー資源も、水や食料の安全という問題と絡めて考えなければならないし、格差の問題も単なる倫理的な問題ではない。格差の増大は中間層を減少させアメリカに代表される消費中心の経済を破綻させる。そして、限られた資源の中での幸福の追求とは何か?ブータン国王の考え方も大きなヒントとなるだろう。

2008年の米国発リーマンショックによる金融恐慌は、結局、中国、ロシア、ブラジル、インドといった新興国(BRIC)が救った格好になったが、今回のギリシャ等の(PIIGS)に端を発した欧州経済危機は、新興国(BRIC)の経済をも根幹から揺さぶっている。Business Weekによれば、ブラジルでは11月の預金は前年比で99%減少、3QのGDP成長率は前年比で0%、10月の個人破産は前年比19%増、中国でも、欧州からの注文が前年比22%減、2008年史上最高の$300Bもの貿易黒字を出したのに次の四半期の貿易収支は$28Bの赤字だというのだから驚きだ。インドも10月は鉱工業生産指数が前年比-5.1%、$2,800の自動車ナノも前年比で67%の売上減だという。ロシアも不景気と格差の増大で人々は多くの不満を抱いており、40年前のソ連邦時代のロシアに戻ることを61.8%もの人々が望んでいるという。

これまで、アメリカや欧州に代わって世界経済を牽引してきた新興国が軒並みおかしくなっている。それが、2012年の経済の実態である。さあ、とうとう新興国ですら宴は終わったのだ。経済成長とは何なのか? 幸福とは何か? 貧富の格差が世界経済に何をもたらすのか?3.11で、これまでの既成観念のリセットを迫られた日本。2012年、日本だけでなく、世界が、従来の観念のリセットを迫られている。そして、そのリセットの先にあるものこそが、真の希望の灯かも知れない。

104 原発と再生可能エネルギー問題を考える

2011年12月27日 火曜日

12月25日夜、九州電力玄海原発4号機が検査入りのために休止し、 これで、九州における全ての原発が停止した。九州電力の原発依存度41%は関西電力の48%に次いで大きいので、この結果、九州地区は 電力の安定供給に大きな不安を抱えることになる。一方、東京電力は、福島や 柏崎など巨大な原子力発電所を幾つも抱えてはいるが、原発依存度は25%に留まって いるので、休止火力の再稼働や節電をきちんと行えば、万が一全ての原発が休止しても、 何とか耐えられる構造にはなっている。東日本大震災の影響で電力供給危機が懸念された、 東京電力や東北電力よりも、むしろ関西電力、九州電力、四国電力(原発依存度38%)の 方が、より供給不安が高まったというのは何とも皮肉なことである。大震災後は、 電力を食う産業は、西日本にシフトするのかと思われたが、今は、とても、 それどころではない。逆に、西日本の産業こそが大きな危機なのだ。

原発を除くエネルギー自給率が、たった4%しかない日本にとって原発はエネルギー問題 における唯一の救いであった。ましてや、CO2を出さないという意味でのクリーンな 原発は地球温暖化問題においても、いわば救世主であった。もちろん、放射能という大き なリスクは抱えてはいるが、それは、日本特有のキメの細かさでコントロールすれば、 マネージャブルだと誰もが思っていた。

しかし、今回の福島第一原発の事故は、そうした論理の全てを変えた。私が知る東京電力の 関係者ですら、「よく、あそこで食い止められた」と語っている。チェルノブイリに相当 するレベル7という事故が起きてしまったのにも関わらず、本当は、それでは済まなかった と言っているのだから、何とも言いようがない。もう、この日本で原発を新設することは 不可能だし、現在稼働中の原発も、住民の不安の中で、このまま継続できるかどうかわからない。 しかし、今回の九州電力のように、代替手段が確立していない状態で、いきなり稼働停止 に追い込んでしまうと、もはや人々の暮らしは成り立たない。タダでさえ、求人倍率が0.2とか 0.3とか言っている九州で新たな雇用を創出することが、より一層難しくなるだろう。

さて原発を停止すると電力会社には、どのような影響を与えるのだろうか? ドイツ最大 、欧州最大の電力会社、エーオン(E.ON)は政府が決定した脱原発政策により大幅に収益 が悪化、超優良企業が赤字転落となったため、ドイツ政府を訴えている。エーオン社が 、持っていた原発はたった2基しかない。それでも、もう2度と稼働出来ない原発の 残存価値はゼロだとして減損をせざるを得なかった。さらに、本来はもっと先に予定して いた廃炉に向けての経費を計上し始めなくてはならない。その上、ドイツでは残存の核燃料 にも税金がかけられ続けられるため、赤字は一層大きくなるというわけだ。

一方、日本では、既に廃炉を決めた福島第一原発以外は、浜岡原発も含めて「休止中」である。 「休止中」であれば、発電が出来ない不健全設備とはなるが、将来稼働する可能性を含んでいる ので減損の必要はない。ましてや、廃炉費用の計上もしなくて済む。少なくとも、日本政府が ドイツのように「脱原発」を法制化しない限り、事実上は「廃炉」状態にありながら、「休止中」 の健全資産ということになる。しかし、こうした状態が長続きするのは、やはり異常である。 欧州最大の電力会社エーオンが、たった2基の原発の廃炉で赤字転落するわけだから、エーオン より遥かに規模の小さい日本の各電力会社は、「脱原発政策」の法制化で一挙に存続が不可能 な会社に転落する。これは最早、日本の各電力会社が民間企業として自力更生できる限界を超 えているように見える。

さて、原発に代わるべき再生可能エネルギーの筆頭として挙げられている太陽光発電と風力発電 は、本当に頼りになるのだろうか? はっきり言えば、全くの実力不足である。原発一基分 、100万キロワットを発電するのに、太陽光発電では山手線内の全ての面積が必要で、 風力発電では、さらにその3.5倍の面積が必要となるからだ。日本に現存する54基の原発を 代替するには、一体、どれほどの太陽光パネルと風車が必要なのか、全く気の遠くなる話である。

しかし、だからと言って、日本の貧困なエネルギー自給率を考えるときに、それをしないで済 むような状況では全くない。太陽光発電も風力発電も可能な限り増設していく必要がある。 むしろ、こうした太陽光と風力だけでは全く足りないので、地熱や潮力、小水力、バイオマス発 電など、ありとあらゆる再生可能エネルギーの可能性を追求しなくてはならない状況にある。

今年も、私は規制制度改革分科会のエネルギーWGのメンバーに入れて頂いた。昨年に引き続き、 再生可能エネルギー(以下再エネと略)分野で、これから頑張ろうとされている、太陽光発電、 風力発電、地熱発電、バイオマス発電、小水力発電の事業者協会の方々からのヒアリングを行っ てさらに驚いた。こうした再エネ事業の発展を妨げる規制の改革や緩和が、この1年半の間、 全く進展していないからである。もともと、民主党は規制制度改革には熱心である。自民党時代 は、全く進展がなかったものが、政権交代で、随分進展していると言えるだろう。それでも、 このザマである。

私は、もう我慢がならなくなり思わず発言させて頂いた。「要は、昨年までは電力問題で誰も困っていなかったんでしょ。 電力は十分にあった。原子力が達者に動いていれば、再エネなんて、頑張ってもらわなくて良い。 そんなものは電力事業から見ても迷惑だ。静かにしていて欲しい。そういう状況だった。 しかし、今は違う。明らかに違う。だから、きっと変えられるし変わらないと日本は死んでしまう。」

発電事業者たちが一番悩んでいるのは送電線問題である。電力会社の既存の送電線に繋ぐまでの、 新規送電線を設置する費用負担は発電業者にあることは、皆、承知している。しかし、電力会社 が、まず繋いで良いという許可を出してくれないと繋げない。さらに、どこの地点に繋ぐかという 場所を教えてくれないと繋げないし、また繋ぐ費用の算定も出来ない。そして、送電線の費用算定 も出来なければ、金融機関は再エネ発電事業の採算性もわからないので、資金を貸してくれないのだ。 まず、再エネ発電業者が、一番悩んでいるのは、電力会社が繋いで良いという許可が簡単には降り ないことだという。もちろん、電力会社はダメだとは言ってない。しかし、「わかりました。ここに繋いで下さ い。」とも言ってくれないのだ。要は、「しばらく検討期間が必要です」で止まってしまうのだ。

発送電分離の是非の議論がある。私は、どちらが良いと言えるほどの見識を未だ持ち合わせていな いが、少なくとも、こうして既存の電力会社が新規再エネ発電会社の首根っこを押さえている状態 では、日本で再エネ発電事業が盛んになるはずがない。一方で、既存の原発は住民の反対運動で、 どんどん休止に追い込まれていく。石原知事のように、火力発電の増強を声高に唱える人も居ない。 それでは、日本の電力はどうなるのか?少なくとも、この原発休止と再エネ発電事業の強化という 視点からだけでも、もはや、既存の電力会社だけに頼っていける状態にはなさそうだ。これは、西日本だ けの問題ではない、日本全体の命運に関わってくる大きな問題である。

103 条約、契約書における中国語の課題

2011年12月21日 水曜日

北京大学 法学院教授 賀 衛方教授の講演については、既に、このカラムでご紹介したが、 私は、中国の法律の専門家である賀先生に、ぜひ聞きたいことがあった。それは、掲題にも ある、「条約、契約書における中国語の課題」についてである。私も、少しばかり中国語の 勉強をしたことがあるが、中国語は、私が知っている、日本語や英語、ドイツ語、ロシア語 に比べて、実に包容力が高い。言い換えれば、表現や記述方法にすこぶる柔軟性がある。 これは、とりも直さず、いろいろな解釈が出来るということである。多くの西欧人が、これ で困っている。中国政府、あるいは中国企業と条約や契約書を取り交わす時に、大抵の場合 は中国語と英語と2通作る。しかし、中国で係争が生じたときは中国の裁判所で争うことに なるので、論争のベースは中国語の契約書になる。この時に、契約書の文言の解釈が、いろ いろと何通りも出来るのだ。このことに、諸外国も皆、頭を悩ましている。

西欧のように契約社会ではない日本の企業は、もともと契約書には慣れていないので、契約書 の文言よりも、人間関係を重要視する。この点は、中国側も同様に大事なのは人間関係である。 逆に言えば、人間関係が確立していない場合に、資本提携や共同開発などの協業は行わないと いうほうが正しいだろう。しかし、西欧社会は、こうした考え方には全くついていけないのだ。 私が、日本とEUのEPA締結に向けた政官民の会議に出席していて、EUのメンバーから 、中国との関係について、いつも聞かされる悩みである。だから、同じ東洋文化を共有する 日本にEUと中国の橋渡しの役目、つまり、インタープリター(翻訳者)をやって欲しいとい うのである。しかしながら、EUは中国との関係以上に日本との関係に手こずることが解って 、日本に、その役割を期待することを諦めた。

EUは、結局、日本の代役として韓国を選んだ。同じ東洋文化圏にありながら、韓国の発想 は日本よりも遥かに欧米に近いからだ。その所産が、EU・韓国FTAである。当然、同じ 西欧文化圏である米国も、同じ役割を韓国に求めて米国・韓国FTAの締結に調印した。 韓国には大変失礼ながら、韓国の市場規模は、EUから見ても、米国から見ても、無理をして FTAを締結するほどの魅力はない。あくまで、近い将来世界最大となるであろう、中国市 場を睨んでのことである。そして、韓国は空路は仁川、海路は釜山という巨大な物流のハブを 抱えており、IMF介入を契機に資本市場も、かなり自由化されている。つまり、韓国は 巨大ではあるが、契約ベースでは極めて難解な中国市場へアクセスする絶好の前線基地だと、 EUも米国も考えた。ある意味で、韓国全体を中国市場向けの保税倉庫にしたのである。

私は、そうした中国語の特殊性に関して、このたび賀先生に質問をさせて頂いた。以下、 賀先生の大変丁寧な解説である。

ペリーが米国海軍の3分の1の勢力を引き連れて、日本に開国を迫るときに、日本語がわかる 通訳の問題があった。そこでペリーは日本に向かう前に、まず香港に立ち寄った。香港で、 ペリーは日本語と英語がわかるサミュエル・ウイリアムスという中国系香港人を通訳として 雇った。しかしながら、やはりウイリアムスも、条約文に関わるほど日本語が堪能ではなか ったので、交渉は英語、日本語と合わせて中国語の3か国語でなされ、実際に条約も、その 3か国語で作られた。そういう意味で、中国語が法律用語として不適であるとは思わない。 ただ、いくつか貴方のご指摘(法律記述に関する中国語の問題)は正しい面も持っている。

一つは、中国の法律は、厳密な定義を記述するというよりも、音や韻の美しさや品格が重ん じられてきた。現在の中国政府の高官も含めて、中国の政治家は漢詩の素養が極めて高い。 ある意味で、中国がこれまで法治国家ではなくて、専制独裁国家だったので、法律の存在価値 が西欧とは異なってきた面もあるだろう。しかし、現在は、法律記述は、これまでの漢詩調 ではなくて白話文(会話文章)で記述するようになっている。

そして、日本は明治時代に西欧の法体系を導入する際に、中国にも日本にも存在しなかった 概念を表す「新語」を創作した。福沢諭吉を含めて、日本は西欧語(独語、英語)に1対1 で対応する新たな言語を作り出したのだ。このうち、幾つかは既に中国でも導入済であるが 、今後、中国の法体系を整備するに当たっては、もっと多くの日本で作られた用語を導入す る必要があるだろう。企業間の契約書などで、中国語で記述する際の問題は、西欧語に厳密 に対応する中国語が見つからないということかも知れない。

さらに、中国が高度な法治国家となるためには、以下の3つの課題を解決していかなくては ならないだろう。

1)立法の専門性

2)条文の意味・解釈性

3)判決の適用性と判例の蓄積

特に3番目の判例集が最も重要かも知れない。法律の条文は一字一句を解析することよりも 、これまで裁判所が出した判例の方が重要である。残念ながら、中国では、まだ中国全土で 統一がとれた判例を出すだけの体制が出来ていない。また、十分な量の判例の蓄積もない。 中国語記述の厳密性を問うよりも、そうした判例の問題に大きな課題があると思われる。

素晴らしい解説である。私の、これまでモヤモヤしていた悩みが一気に払拭された。 しかし、賀先生が指摘されたように、中国が世界の法治先進国と法体系で肩を並べられるように なる日は、まだ少し遠いと言わざるを得ない。