2011年10月 のアーカイブ

86 TPPについて考える (その2)

2011年10月31日 月曜日

ご案内のように最大のTPP反対勢力は農業関連である。「TPP締結によって、お米やコンニャクの関税がゼロになれば、日本の農業は壊滅的に崩壊する」という理屈であるが、それではTPPを締結しなければ、日本の農業に明るい未来があるのかと言えば、それも、かなり懐疑的である。多くの担い手として高齢者と兼業農家を中心に支えられている日本の農業の最大の課題は後継者問題である。意気のある若い人が後を継いでも農業だけでは食べていけないという厳しい現実がある。

非常にわかりやすい説明をすれば、日本の農業生産の規模は約5兆円で日本のGDPの約1%で、パチンコ産業の売上30兆円の6分の一にしか過ぎない。5兆円と言えば、私が所属する富士通グループの総売上に相当するが、富士通グループの従業員は、世界中で16万人である。つまり5兆円という売上規模は16万人に給与を支払うのにギリギリだということだ。一方、日本の農業は5兆円の売上高に200万人以上の生産者が関わっているので、当然ながら農業だけの収入では一家を構え子供を育てて一人前にするという普通の生活は出来ない。これでは、若い人が後継者として名乗りをあげることは難しい。

ちなみに日本の農家の平均耕作面積は2.8ヘクタールなのに対して、EUの平均は14ヘクタール。一方、食糧の自給率が100%を超えている欧州の先進国、英仏独の平均耕作面積は40-50ヘクタールとなっており、日本の10倍以上の規模を有している。野田総理が、「現状耕作面積の10倍の規模を目指す」と仰っているのは、この意味では正しい。しかしながら、先般、民主党が打ち出した戸別所得補償制度では、農家が既に農業法人に貸し出した農地を返してくれという、所謂「貸し剥がし」があちこちで横行している。野田総理が目指す農業の集約化とは全く逆の現象が起きている。

さて、欧米の先進国、アメリカ、英国、フランス、ドイツは、皆、食糧の自給率100%以上を満たしている。昨日、世界の人口は70億人を超えたわけで、食糧の安全保障は国家として最も重要なテーマである。その意味で食糧自給率40%以下の日本は極めて危ういと言える。そして、これら欧米の先進国はいずれも、かなり手厚い補助金を農業分野に支出している。農業補助金で、一番顕著な例は米国の綿花生産者への補助金と言われている。あのインドの綿花生産者が価格で米国産には敵わない。今、インドの綿花生産者の中では、事業が成り立たなくなって自殺する人が急速に増えている。わかりやすく言えば、アメリカの綿花農家は出荷価格ゼロでも生活が成り立つほどに多額の補助金を貰っている。

私は、たった5兆円しかないから農業はどうでも良いと言っているのではなくて、たかだか5兆円しかないのだから国が食糧自給率の拡大を目指して欧米先進国と同様、補助金を出すにしても、たかが知れていると言いたいのだ。つまり、日本の農業の将来は、TPP締結の是非に関わっていると言うよりも、むしろ補助金を含む日本の農業行政のあり方に関わっている。いわば日本の農業問題はTPPを含む外交問題ではなくて内政問題だと言える。ちなみに、日本の農家の年間農地売却代金の総額は純粋な農業生産額を超えている。つまり、今の日本の農家の収入の大半が農地売却代金から得ていることになる。売り先の大半は道路や公共施設などの公共事業である。日本中に誰が見ても不必要な道路をどんどん作ってしまった背景が実はここにある。こういう事実を知ると、日本の農政は自立した農家の育成と食糧自給率の拡大について、どこまで真剣に考えていたのかは、はなはだ疑問である。

ヨーロッパ最大の農業国であるフランス(平均耕作面積60ヘクタール)でさえも、その集約化にあたっては既存の零細農家との確執があった。つまり農業政策の最大の課題は零細農家が持つ既得権と、今後、集約化に向けて、どう折り合いをつけて行くかの着地点を探すことにある。こうした本質的な問題の議論を回避して、今回のTPP反対運動は、TPP問題を仮想敵として、現状の既得権を維持するための活動にしか見えない。私たちの子や孫の食糧を自前で確保し、若者が将来を託すことが出来る日本の農業のあり方について、もっと前向きな議論をしたい。次回は、医療問題の話をしたい。

85 TPPについて考える (その1)

2011年10月31日 月曜日

現在、あらゆるメディアでTPPの話題が出ないことはない。しかし、TVや新聞をいくら読んでも国民としては、賛成したほうが良いのか反対したほうが良いのか、さっぱり判らないというのが本音ではないか? 日本のメディアは中立性を保つためと称して、必ず、賛成、反対の双方の意見を載せるから、余計にわからなくなる。こうした時に、海外のメディアは、どちらかに自社の主張の力点を置いて報道するので、聞いている方は、その方が判りやすいということもある。

これから、このTPPの議論を書く私は、基本的にTPP推進には賛成派である。それは、決して、私が経団連の産業政策部会長をしているからではない。私が、いつも主張していることは、政府に産業政策を提言するには、大企業の立場だけでなく、農林水産業、及び中小企業のことまで深く考慮に入れた政策を作る必要があるということだ。つまり、多くの国民が同意できる政策でないと、政治家に採択されることはない。昔のように、経団連が大企業と組んで、多額の政治献金で自らの利益誘導をする時代では既にないからだ。

私の、もう一つの立場としては、この6年間に渡り日本・EUビジネスラウンドテーブル(BRT)にプリンシパルとして参加し、ICT・イノベーションWGの主査を努めさせて頂いている。ご存知の方も多いと思うが、この日・EU BRTこそ、日本とEUの経済連携協定(EPA)を推進するために組織された、政界・官界・経済界の共同組織である。私が参加を始めてから昨年までは、日商会頭である岡村正東芝相談役が議長を努められ、昨年からは、経団連会長である米倉弘昌住友化学会長が議長を努められている。

この活動の中で、私は、経済連携協定(EPA)の持つ意味と、その締結にあたっての困難さについて多くのことを学んだ。そして、この日・EU EPAについては、日本の国論をどうするという以前に、EUにおけるドイツ、とりわけ自動車連盟の強い反対に遭って、これまで話し合いのきっかけさえも掴めなかった。昨年になって、先進国の中では数少ない日本に対して貿易黒字を持つイタリアとフランスが動き出し、それに英国や北欧が加わって、EU委員会からドイツ政府に再考を促し、ようやく話し合いが始まろうとしているところである。

そもそも、経済連携協定とは、主として関税を取り払い自由貿易を推進することであるが、そのためには、関税だけでなく、いわゆる非関税障壁(NTB)と言われる各種規制を取り払う規制改革の促進も目指している。それが市場開放と呼ばれるものである。そして、これまで、私達は小さい頃から、日本は島国で資源もないから、貿易で国を興すしかないと教わってきた。即ち、貿易立国の考えである。そして、アメリカからは、「日本経済は輸出に依存しすぎている。もっと内需を活発にするべきだ!」と何十年間も言われ続けてきた。その結果、膨大な赤字国債を発行して莫大な借金を作りながら、国中に大規模な公共工事を行い内需振興を図ってきた。しかし、借金だけは積みあがったが、経済は少しも成長することはなく、ご存知のように永年低迷を続けている。

さて、日本経済は果たして、本当に輸出依存度が高いのだろうか? それは全くの嘘である。日本のGDP当りの輸出比率を見てみると現在は約18%で、20年前の日本経済が好調なときですら10%にしか過ぎなかった。世界平均では約30%であり、今、世界で最も勢いがある3カ国、ドイツ、韓国、中国のGDPに占める輸出比率は50%近い。先進国で日本を下回るのはアメリカだけで12%である。つまり、日本経済の輸出依存度は決して高くない。逆に言えば、少子高齢化が進み内需振興が望めない中で、日本経済の活力を高めるには、もっと輸出依存度を大きくしなければならない。

オバマ大統領が、3年間でアメリカの輸出を2倍にするという戦略を打ち出したのは、アメリカの双子の赤字である、貿易赤字を減らすだけが目的ではない。アメリカのTOP1%の富裕層が、アメリカの富の25%近くを占めるという未曾有の格差社会を生んだ背景は、アメリカ製造業の没落があった。第二次世界大戦後のアメリカ製造業の繁栄は多くの中間層を生み出し、消費市場中心の経済を活性化させた。逆に、製造業を海外に流出させ、金融・サービス業に焦点をおいたアメリカ経済は億万長者と膨大な貧困層を生み出した。今、「ウオール街を占拠せよ!」と騒いでいるアメリカ社会を復活させるには、多くの国と経済連携協定を結んで、輸出によってアメリカの製造業を強化しよういう戦略がある。決して、安価な農産物を大量に輸出しようとだけしているわけではない。なぜなら、大規模農業が中心のアメリカの農産物の輸出をいくら伸ばしたところで、大した雇用を増やすことは出来ないからだ。

そうしたアメリカの思いは日本も同じであるが、なぜかアメリカは日本と二国間協定を結ぶことを拒んでいる。もし、日本がアメリカとのEPAを結びたいのであれば、それはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)しかないと言っているわけだ。さて、このTPPであるが、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国は協定を締結済みで、これにつづき、アメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルーが参加を表明し、ラウンド(交渉会合)に臨んでいる。次いで、マレーシア、コロンビア、カナダも参加の意向を明らかにしているのが実体である。

よく、TPPの実体はどうなのか?という質問に対して政府が、「交渉に参加するまでは、その実態は、未だよく判らない」と答えるので、何か不安を覚える感じもするが、それが実体なのだと私は思う。なぜなら、私が、日・EU BRTで日本とEU間のEPAの議論に参加している中での知識から言えば、経済連携協定(EPA)とは関税だけの問題に留まらず、議論は知的財産権や、競争政策(独占禁止法)、金融規制、会計制度、環境規制、医療政策など広範囲に及ぶからだ。だから、大変失礼ながら、当初締結したシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で、こうした問題にどこまで議論がなされているかは、はなはだ疑問である。だから、日本政府も参加してみるまで詳細は、わからないと言っているが、それは正しい。

さて、マスコミでは、このTPPの問題を国論を二分するように論じているが、果たして、それは正しいのか?ということを、次に論じたい。一つは農業問題であり、もう一つは医療問題である。次回は、この農業と医療の問題について考えてみたいと思う。

84 IBM製人工知能マシン「ワトソン君」から学ぶこと

2011年10月19日 水曜日

2011年2月16日、IBM製の人工知能(AI)コンピュータである、「ワトソン君」は Sonyが制作したアメリカの人気クイズ番組,「Jeopardy!」において、このクイズ番組で、76週連続勝ち抜いたグランドチャンピオン二人をぶっちぎりで打ちのめした。まさに、IBM創立100周年を飾るに相応しい快挙であり、世界中がAIコンピュータの新たな歴史が始まったことを感じた。私も富士通に入社してからパターン認識という分野で17年間も仕事をしてきたなかで、人工知能(AI)の勉強も一通りはしてきたつもりであるが、それだけに、このIBMの快挙には感動せざるを得なかった。特に、正解するときはともかくも、間違えるときの間違え方が、何とも愛らしい不思議な間違え方をする。そこに、また、機械とは違う生身の人間らしいものを感じてしまうからこそ「凄い!」と思ったわけである。

そして、このIBMが成し遂げた奇跡の”ワトソン”プロジェクトを書いたスティーブン・ベイカー著 「人工知能はクイズ王の夢を見る」を読んで、またまた、別な意味で感動してしまった。常に謙虚さを失わないIBMは、このワトソン君を「人工知能マシン」とは位置づけていない。彼らは、「質問回答マシン」と呼んでいたのだ。世界のIT業界をリードするIBMは「人工知能」と呼べるものは、まだまだ遠いレベルにあることを十分に心得ていた。

1997年、IBM製スーパーコンピュータ「ビッグブルー」がチェスの世界チャンピオンを破った。この「ビッグブルー」が、現在のIBM製スーパーコンピュータの主流となる「ブルージーン」の基礎となった。そして、今回のワトソン君の開発においてIBMが目指したものは、スーパーコンピュータの高速処理能力ではなくて、その潜在的な力を、いかに人間の思考能力に近づけられるかという人工知能の分野の開発に賭けたのだ。2011年のIBM設立100周年記念事業として、創立者「ワトソン」の名を背負ったワトソン君は、IBMに恥をかかせるわけにはいかなかったのだ。

そして、この本に書かれているワトソンプロジェクトの詳細を読むと、2007年から2011年まで足かけ5年間かかった、この奇跡のプロジェクトの困難さと、それを克服したプロジェクトチームの、とんでもない苦労がわかる。やはりコンピュータは人間に遠く及ばないのだ。コンピュータは、未だ暫くの間は全知全能にはなり得ない。この本を読んで、そのことを知って、ふと安心する。

だから、IBMの開発チームは決してワトソン君を全知全能の人工知能マシンに仕立てようなどと最初から思っていない。人気クイズ番組「Jeopardy!」で勝てるための方策を5年間もかかってワトソン君に教え込んだのである。それも 1年前の2010年ですら、過去のJeopardy!の普通のチャンピオンに少し近づいた程度で、グランドチャンピオンには程遠い成績だった。担当者は焦った。このワトソン君はIBM100周年記念事業に泥を塗るのではないかと危惧したわけである。

どうして人間はコンピュータに比べて凄いのか、いくつかの例で説明がされている。その一つに「コンピュータには冗談が通じない」ということだった。 Jeopardy!では、時々、ジョークも質問やヒントの中身に入っているから性質が悪い。そして、人間は明らかに虚構や嘘だとわかる「常識」を備えているがコンピュータにはそれがない。過去100年分に発行された書籍の内で、今でも人気の高い数十万冊をワトソン君の記憶にぶち込んだのは良いが、その中には100年前の医学書も入っていた。なぜ、100年前の医学書に人気があるのかわからないが、そこに書かれている内容は、殆どが、今では真実ではないことが分かっている。人間は、それが真実でないことを知った上で、好んで読んでいるのだ。

次に性質が悪いのは、お伽話や、空想小説である。Jeopardy!には、こういうテーマも質問に出るから、当然、記憶に入れておかなくてはならない。しかし、そこに書かれている内容は真実ではないのだ。人間は、当然、書かれている記述の幾つかはフィクションだと分かって読んでいる。コンピュータには、そうした芸当は出来ない。だから、ワトソン君が間違える時は、常識外れの、とんでもない間違えをする。こうした、多くの課題を克服し、社内での模擬テストを何年間も行ってきた。2年前からは、実際にJeopardy!でチャンピオンをとった人たちと模擬試合を何度も行って学習を重ねてきた。しかし、2011年 2月16日に挑戦をした二人のグランドチャンピオンは、これまでの普通のチャンピオンとは比べ物にならないくらいの、圧倒的な強さを誇っていた。これにぶっつけ本番で、しかも公開番組で挑戦するのだから、IBMの開発チームのリスクは大きかった。

結局、ワトソン君は未曾有のクイズ王達に勝ったのだ。しかも、圧倒的な勝利で勝った。このことは、将来の人間社会に何をもたらすかである。確かに、コンピュータは暫くの間は全知全能からは程遠い。しかし、ある特定な分野で、しかるべき訓練を施せば、その道では世界一と言われるスーパー人間に圧倒的に勝利することができることを証明した。

このワトソン君が勝利した翌日の2011年2月17日のWSJ紙に、「Is Your Job an Endangered Species ?:貴方の仕事は既に絶滅危惧種では?」」という記事が載った。つまり、「テクノロジーが消滅させる職種は高速道路の通行料金徴収員だけではない」と言っている。そして、職業をホワイトカラーとブルーカラーを区別する時代は古いとも言っている。今後は、コンピュータプログラマーやLSIチップの設計、創薬、作曲、画家など新たなものを創り出す「Creators」とサービスを提供する「Servers」に分別されるという。そして、その「Servers」の多くは機械によって代替されていくというのである。そして、さらにショッキングな話は、その絶滅危惧種の職業として、現在高給のエリートと目されている、弁護士、医師、金融トレーダーまでもが入ってくると言うのであるから考えさせられる。