2011年6月 のアーカイブ

55 Neusoft 創立20周年式典

2011年6月19日 日曜日

昨日、大連で行われたNeusoft 社の創立20周年式典に参加した。中国最大のITソリューションベンダーであるNeusoft社は、創業の地である瀋陽で、第一回目の20周年式典を行っており、第二の創業の地である大連の開催は二回目である。この後、来月8日、首都北京で第三回目の開催を予定している。Neusoft社は、中国では辺境に位置する中国東北大学が生んだITソフトウェアのベンチャー企業である。その会社名にあるNEUは東北大学の英語の頭文字をとっている。さて、なぜ、中国最大のITソリューションベンダーを生んだ母体が、中国でTier1クラスの北京大学、清華大学、上海交通大学や復旦大学でなくて東北大学だったのか、そここそが大変興味のあるところである。

もちろん、その最大の功績者は、創業者で、現在もNeusoft社の会長兼CEOである劉先生である。劉氏を先生と呼ぶ理由は、劉先生は、今でも東北大学の教授である他、瀋陽、大連、成都、仏山(南海)にてNeusoftが経営するIT技術専門大学の理事長でもあるからだ。そして、劉先生が生きてこられた、この四半世紀の歴史は、この度、大震災に遭った日本の東北地方が、これから、どう生きて行くか、もっと言うなら、日本全体が、これから、どう生きて行くべきかを示唆しているようにも見える。

もともと、東北大学がある瀋陽は、大連と並んで、戦前、旧満州の重工業地帯だった、しかし、日本が引き上げた後は、新たな設備更新もなく、老朽化した設備を抱える衰退するばかりの寂れた街となった。東北大学の学生だった劉先生は、そうした瀋陽の街は、このままでは将来がないと思い、単身、アメリカに留学したのである。時は、1986年、あの天安門事件の三年前である。アメリカで中国人として最初のコンピュータサイエンスの博士号を取った劉先生は、東北大学に戻り、33歳で、当時中国最年少の大学教授となる。そして、大学でコンピュータサイエンスの教鞭をとっているだけでは満足出来なくなった劉先生は、1991年、未だ天安門事件後の混乱が冷めやらぬ中で、数人の教え子達と共に、今のNeusoft社の前身を東北大学の一角で起業した。

たった三台の中古パソコン(286ベース)でスタートした、Neusoft社の創業は、まさに苦難の歴史で、創業から三年ほどは、殆ど売り上げはゼロであった。当時の北京大学や清華大学では紅旗Linuxなど、高度ではあるが、ビジネスモデルが見えない研究に没頭していたころである。Neusoft社も、そろそろ一世を風靡するようになったWindows上でのソフトウェアの開発に注力しはじめたが、何ヶ月も徹夜をして開発をし、良い評判が出来てくると海賊版が蔓延して売上は消滅した。そうした繰り返しが何度も続き、Neusoftの前途に暗雲が立ち込めた時の救世主が、日本のアルプス電気の子会社でオーディオビジュアル製品を製造販売しているアルパインだった。アルパインの沓沢社長は、アルパインの製品に内蔵する組込みソフトの開発を全てNeusoft社に委ねるのである。

このアルパインとの協業の中で、アメリカで教育を受けた劉先生は顧客のIPを徹底的に守るという方針を貫かれた。そして、アルパインの成功と共に、こうしたNeusoft社の経営方針が、欧米顧客の評判を呼ぶ。アメリカでは、Microsoft, Intel, HP, IBM, Oracle, Sunmicrosystem, Cisco, EMC, さらに欧州では、Siemens, Philips, SAP, NOKIA,と言った、世界で一流の企業を顧客リストに連ねることを可能ならしめた。そして、Neusoft社を従業員18,000人の大企業に成長させた、最大のキッカケは、1996年の大連への進出であった。大連市長として、大連を古ぼけた老朽設備で衰退しつつあった重工業都市から中国一のITソフトウェア開発都市へと変貌させていった薄熙来との連携である。一方、薄熙来は、大連の改革にNeusoftの力を最大限利用したし、Neusoftも太子党出身で中央政府と太いパイプを持ち巨額の開発投資を中央から引き出すことが出来る薄熙来の力を利用した。つまり、薄熙来と劉先生は一体となって大連を、中国一のITソフトウェア開発拠点を有する、東北の真珠と呼ばれるほどの美しい街に仕上げたのである。

Neusoft は、この大連にソフトウェア開発拠点を有するだけでなく、学生総数二万人規模のIT技術専門大学を経営している。ソフトウェア開発は、人材こそが最大の資産であり、製造設備でもある。Neusoftは、この人材を自ら育てている。それも、今では、大連だけではない。成都、仏山市(南海区)と次々と大学を設立している。だから、Neusoftを従業員18,000人だけの企業と考えたら、それは誤りだ。その背後に、数万人規模の予備軍が居ると思った方が良い。だから強い。欧米の一流企業から、品質とコストで圧倒的な強さがあると評価されている。

そして、劉先生の魅力は、一流のグローバル企業のTOPによく見られる、あのギラギラした感じが全くないことだ。とにかく、優しい。あの四川省大地震の時に、大きな被災をした成都のキャンパスに自ら行き、陣頭指揮をとって4600人の学生を160台の軍用トラックと260台のバスを使って一気に大連と南海区のキャンパスに避難させた。今回も、大連工業大学の巨大な体育館で行われた式典は、顧客と共に大連地区の従業員全員が参加。踊りや歌の催し物も半分は、従業員のボランティアである。全社カラオケ大会の歴代の優勝者が演ずる歌と踊りは、まさに玄人はだしであった。とにかく、楽しい催しだった。そして、圧巻は、劉先生の講話である。さすが大学の先生、そして創業者としての迫力。原稿もなく、滔々と語られる、この20周年年の劉先生の講話は、10周年の時のように感激で泣き崩れることはなく、無事終了した。

大きな志を持つベンチャー経営者が、地域の人々や地方政府と一緒になって全く新しい街を築き上げた良き見本がここにある。中国の東北地方で起きた奇跡は、日本の東北地方でもきっと起こせるに違いない。韓国では済州島に対して、中国と香港の関係を模した、一国ニ制度を導入しようとしている。あらゆる国の規制を撤廃して、済州島に、新たに国を作れと言う訳だ。閉塞感で満ちた日本を変えるには、こうした思い切った制度の導入が必要である。大震災に遭った東北地区を蘇らせるには、そうした大きな決断が要る。

54 本当に心配なのは電力不足の問題か

2011年6月16日 木曜日

現在稼動している原発が定期点検に入ったあと、その後、現地の知事による再稼動の認可がおりなかった場合の電力不足が懸念されている。確かに、太陽光や風力発電で原発分を補うには、最低でも10年ー20年かかるだろうし、短期的には、電力不足は相当深刻な問題となるだろう。しかし、電力不足より、もっと心配な議論を忘れてはいないだろうか?

それは、電力の供給過剰の問題である。そんなことは、あり得ないと思っている方も多いだろう。この話は、短期的に起こる話ではないが、中長期的には起こりえる話だと思ったほうが良い。経団連が、あるシンクタンクに委託した調査によれば、政府が何ら有効な産業政策を行わなかった場合、今から20年後の、2030年に、日本の電力需要は15%減るとの予測が出されたからである。

私は、この結果に驚かない。まず、民需は、高齢者社会となり電力需要は明らかに減る。そして、産業分野では、特に製造業は、日本のインフラコスト、エネルギーコスト、税金、賃金など国際的に見て、とても勝ち目の無い立地競争力によって、殆どが国外移転すると考えられる。今でさえ、政府に要求すべき立地競争力の強化策の議論に対して、日本の殆どの企業が、もはや冷めている。つまり、もう今の政府には多くを期待していないのだ。そんな議論をする暇があるのなら、どんどん海外に出て行けば良いというわけだ。

昔、私が小学生のときに勉強したときには、「日本は加工貿易で国を興す」と習った。石炭や鉄鉱石を輸入して、高品質の鉄鋼に加工して輸出するという産業形態である。しかし、これは、石油がタダみたいに安く、重量物を運ぶ運賃を大きなコストとして考えなくても良いという前提があった。しかし、今のように、燃料費が高騰すれば、原料も製品も重量物である鉄鋼産業は、消費地に立地する方が理にかなっている。日本市場が世界の大消費地でなくなった現在、鉄鋼業が、日本の地で、これ以上繁栄するはずが無い。

もちろん、2030年に電力需要が、今より15%減ると予測したのは、この度の東日本大震災の前である。大震災後に、今、何が、起きているだろうか? 世界中の会社が、部品表を再点検して、「Made in Japanリスク」をクリアしつつある。つまり、日本以外からの部品調達に変更しつつあるのだ。彼らが考える「Japan リスク」とは、決して地震と津波だけではない。最大のリスクは「政治家」である。どう見ても、国をまともに統治する能力が見出せないからである。従って、日本からの部品調達の回避は、東北三陸海岸、福島地区だけに留まらない。日本の全ての地区を含んでいると思ったほうが良い。

その上、福島第一原発事故の後処理費用を電気料金に上乗せしてくるとなれば、ますます日本の立地競争力は低下の一途を辿り、世界中の顧客の要請とは別に、日本企業自身の判断によって製造業の海外移転は、一層加速することは間違いない。東京電力が一時的責任を負っているのだから、損害賠償は東電が払うべきという論理は、一応、筋が通っているように見えるが、結果的に、それが電気料金に反映して、日本の立地競争力の低下に繋がっていく。そして、多くの雇用が失われ、日本政府の中では辻褄が合っている話が、世界の視点から見れば、日本を滅亡に導く愚かな政策にしか見えない。

これらを考えると、2030年の電力需要の減少は15%どころではない。下手をすれば、20-30%の低下にだってなるだろう。この電力需要の低下は、そのまま、GDPの低下に繋がると思ってよいだろう。その上、昨今の省エネ技術は素晴らしいものがある。照明用電力は従来の10分の1近くなるし、エアコン、冷蔵庫など動力系の省電力化も目覚しいものがある。そして、もっと大きな省電力の余地は、AC-DC変換ロスである。ここには、極めて大きな改善の余地が残されている。まだまだ、電力需要は減る一方である。そうなると、賠償費用の電気料金への上乗せ分の比率は、今、予想されている17%では済まなくなる。

そう考えていくと、我々が本当に心配しなければならないことは、電力不足の問題ではなくて、いかに、日本の電力需要を減らさないか。つまり、日本の立地競争力を国際水準にまで高めるかという問題になる。リーマンショック以降、世界の金融業は、もう一度、リアルな産業を活性化する血流としての役割を再認識するようになった。電力業も金融業と同じく、単独で成り立つ生業ではない。リアルな産業と、そこで必要とされる雇用を守るための電力業のあり方を議論すべきである。日本には、金融業と電力業だけが残り、製造業は一切なくなるなど、そんな社会が成立するはずがない。

53 韓国のデジタル教科書

2011年6月13日 月曜日

昨年から、日本でも、電子黒板とタブレットPCを用いたフューチャースクールプロジェクトが始まった。世界有数のIT利活用先進国である韓国では、ITを道具とした授業が、どのように行われているか、ソウル郊外のモデル小学校を見学させて頂いた。もともと、韓国は教育熱心な国で、大学進学率も既に80%を越えており、平均的な家庭における家計の中で、教育費が50%を越えているという、少し加熱気味の熱心さでもある。日本と異なり、公立の小中学校が大変しっかりしていることは良いことだが、評判の良い小学校の学区の土地の価格は高騰して庶民では手に入りにくいという。

そのように、国民全員が教育に対して熱心な国での、「デジタル教科書」導入プロジェクトであるから、政府も自治体も徹底的にやらないと、国民全員から総スカンを食うので真剣である。今回の、私の見学にもソウル市の教育委員会の責任者が立ち会って下さった。そして、今、韓国のデジタル教科書は第二クールに入っているという。電子黒板は従来の黒板の中に埋め込まれ、教師卓には、生徒全員のPC画面をモニターできる表示装置がついている。生徒の机の上には、それぞれHP製のペンタッチ式で画面が前後に回転するPCが装備されている。第三クールとして全国展開するときには、サムソン製のiPad相当PC($300の予定)になるという。

第二クールまでに、判ったことは、デジタル教科書が適合する教科と、そうでない教科があるということ。向いている教科は、社会、理科が圧倒的に向いていて、数学が比較的向いているという。そして、私が見せていただいた授業は、社会科、それも歴史である。これは、教え方、内容ともに、いろいろ考えさせられる授業であった。時代は、中国が唐の時代。韓国は、高句麗、百済、新羅と3国が朝鮮半島を支配している時代であった。実は、私は、韓国の歴史について、あまり詳しくはないので、この日の授業の中身の真偽について論評する知見を持っていない。先生が、この日のテーマとして取り上げたのは、百済と新羅が中国の唐と組んで高句麗を滅ぼしたことを議論したいらしい。

まず、先生が最初に質問するのは、当時の高句麗の領土は、どの範囲まであったかということである。生徒は、既に配布されているデジタル教科書とは関係なく、それぞれが自由に、自分の検索手法で高句麗のことを調べるのである。そして、先生から指名された生徒が、電子黒板の上に高句麗の版図を書いていく。どうやら、高句麗は、今の北朝鮮と中国の旧満州の3省(黒龍江省、吉林省、遼寧省)を領土としていたらしい。先生は、そこで、デジタル教科書を参照して、旧満州の真ん中に高句麗の王の墓があることを事実として示す。

次に、先生が生徒に質問するのは、「もし、百済と新羅が高句麗と戦わないで、3国が組んで、中国の唐と戦っていたら、今の、朝鮮民族の領土はどうなっているでしょう?」ということだ。ここで、生徒が、自分のPCに意見を書いていく。さて、その次の質問に移る。次の質問は、「もし、高句麗が唐と組んで、百済と新羅を滅ぼしていたら、今の朝鮮民族の領土は、どうなっているでしょう?」と来る。いずれも、小学生には、大変厳しい設問である。こうした問題を小学校の授業で取り上げる背景としては、中国側での歴史教育として、「そもそも、高句麗の領土は、すべて中国の中に入るべきで、北朝鮮も早晩、中国に編入されることが歴史的に正しい」と教えているかららしい。韓国としては、こうした中国の歴史教育に対抗する必要があるのだという。

韓国と中国、どちらの国の歴史教育が正しいかを論評する見識を、私は全く持っていないが、デジタル教科書を使った教育は、歴史教育を、従来の記憶一辺倒の教育から、考えさせる教育、意見を言わせる教育へと変貌させていることは良くわかった。小さいときから、こうした教育を受けていれば、大きくなって外交官や企業のM&A担当役員になった時に、合従連衡に関して、巧みな交渉能力を発揮させるのではないかと思われる。それこそが、歴史に学ぶということだろう。歴史を変えることは出来ない。しかし、歴史から多くを学び、未来の歴史を作っていくことに役立てられるとしたら、それは素晴らしいことだ。

さて、この韓国の「デジタル教科書」導入試験を見て、私が強く印象に残ったことが3つある。まず、第一は双方向性であるということ。生徒は、単に、先生の言うことを聞いているだけでなく、自ら能動的に手を動かしている。もっと正確に言えば指を動かしいているということ。だから、ボーっとしている暇が無い。もちろん、寝ている暇も無い。

第二は、教科書は、議論のきっかけを与える部分と最後に設問があるだけで、生徒は、その中身の知見を、一般のインターネット検索を用いて調べていく。そもそも、最初から、教科書にすべて盛り込むなどということを考えていない。インターネット時代に生きる子供達は、教科書の範囲を遥かに超えた知識を世界の知見から得ることが出来るからだ。日本のように歴史の教科書の中身の詳細を国家で検定しようなどとは韓国では最初から思っていない。世界の民衆は、もはや教科書よりもインターネットで得られる情報の方を信用するからだ。

第三は、この授業は、従来の教職課程だけを学んだ先生では出来ないということ。PCの使い方は、もちろん、講義の仕方、生徒の導き方まで含めて、全く、新しい教育手法を学ばないと実現出来ないように見える。つまり、もう一度、大学の教職課程をやり直す必要があるかも知れないということだ。韓国のデジタル教科書は2013年から第三クール、即ち、本番に入る。既に、完了した、第一クール、第二クールを通じて、韓国の教育界が一番力を注いだ課題は、電子黒板などの設備でもなく、教科書のコンテンツでもなく、新しい教育手法で教える先生方への教育が、最も重要なテーマだと言っていた。