2011年5月 のアーカイブ

42 ハイブリッド車で自家発電

2011年5月21日 土曜日

妻が停電に備えて100万円近くする大型バッテリーを買いたいと言う。我が家は、幸運にも震災当日も、その後も停電には遭わなかったが、近くに住む、息子と姉が計画停電で苦しんでいるのを見て妻は酷い停電恐怖症になったようである。いくら何でも、こんな高価な買い物は簡単にはOKとは言えないが、つい最近、ネットで買わされたバッテリー付きLED電球は、大変なスグレモノだった。現在、この4WのLED電球を常夜灯として使っているが、40Wの電球くらいの明るさは充分ある。そして、いきなり口金から外すと立派な懐中電灯となる。しかも明るい。これで3時間持つというのだから、やはりスグレモノである。

さて、バッテリーというのが、いかに大変なものかをご存知だろうか? 私は、ノートブックパソコンを扱う初代の事業部長を経験したので、一応、バッテリーについては、だいたいの事は知っている。ノートブックパソコンは、軽くて薄くて、バッテリー駆動時間が長いことが「重要な価値基準」とみなされている。そのため、単位体積あたりのエネルギー格納密度が最も大きいリチウムイオン電池が早い時期から適用されている。さて、「単位体積あたりのエネルギー格納密度が高い」ということは、どういうことだかおわかりだろうか? それは、爆発や火災を起こす危険性が極めて高いということである。

ノートブックパソコンの開発に際しては、各機種ともに、リチウムイオン電池は、必ずマルチソース調達とするのが原則だった。それは、リチウムイオン電池の生産工場では、頻繁に火災や爆発が起きて生産ラインが年中止まっていたからである。このように危険なリチウムイオン電池を安全につかえるよう実用化するために、パソコンや携帯電話では、厳重な二重の防爆ケースに格納されて使われている。しかし、そのために、リチウムイオン電池の充電、放電のメカニズムが、未だに良く分かっていないのだ。動作中のリチウムイオン電池の中身を誰も見たことがないし、測定したこともない。厳重なケースに邪魔されて観測や測定が出来ないのだ。

さて、トヨタ自動車は、もうすぐプラグインハイブリッド車のプリウスを出荷する。これに搭載された大容量のリチウムイオン電池は、2ー3軒分の家庭の電力を賄えるという。それなら、高価な大型バッテリーを買うよりも、現在所有しているプリウスをプラグインハイブリッド車に買い換えれば良いではないか。早速、トヨタ技術陣のTOPに君臨する瀧本さんに聞いてみた。私と瀧本さんは、ハリアーハイブリッドを愛車としている仲間である。(因みに我が家のプリウスは妻だけの専用車である。)トヨタは、このハリアーハイブリッドを派手に宣伝していないが、加速度、馬力、高速安定性など、どれをとっても物凄い性能を持つ車である。瀧本さんも、トヨタの技術陣が誇る最高傑作だという。私も全く同意である。

その瀧本さんが、控えめに次のように答えて下さった。「確かにプラグインハイブリッド車のプリウスに搭載されているリチウムイオン電池は、普通の家なら二日分の電気は充分に供給出来るでしょう。しかし、そういう使い方には、多分問題があります。なぜなら、ハイブリッド車は電池の寿命を最大限伸ばせるよう電池に無理をさせないように放電させています。ガソリンエンジンが電池をいつも、無理をさせないように、いたわっているのです。ですから、プラグインハイブリッド車の電池に家庭の電気需要のために目一杯放電させたら、電池寿命について保証することが出来ません。私達は、ニッケル水素電池については、プリウスで10年使った経験があり、その振る舞いについては、ほぼ完璧に理解しています。ところが、リチウムイオン電池については、殆ど解っていないのです。」と仰った。多少、リチウムイオン電池に関わった私には、この瀧本さんの話は大変良く理解出来た。

さて、瀧本さんは、引き続き、もっと面白い話をして下さった。「ハイブリッド車ならではの活かし方があるんですよ。電池ではなくて、発電機として使うのです。家一軒分くらいの自家発電装置として充分に利用可能です。これなら電池は傷めません。ただし、一番大きな問題は、経産省や環境省は、長時間のアイドリングを認めないんですよ。でも、今回の大震災で、大分、彼らの様子が変わって来ました。自動車は、最高レベルの排ガス規制対応技術を持っていますからね。一般に市販されている自家発電機とは比べ物にならない位のクリーンな排ガスで済む。」 なるほど、そういう使い方があったのか。大震災による全国的な電力不足、これを補うには従来の発想だけでは解決出来ない。道路にいる時は自動車としてアイドリングストップすることを要求しても、自宅に置いて発電機として使う時には、「これは車ではない。発電機だ」という新しい定義でアイドリング規制をかけていく必要があるようだ。

41 ITの利活用先進国 韓国から学べ

2011年5月20日 金曜日

2015年には一人当りのGDPで日本を追い越すと言われている韓国。我々は、産業政策、電子政府など、韓国から学ばなくてはならないことが沢山ありそうだ。本来、日本のお家芸だった産業立国、特に、エレクトロニクスや自動車の分野で、現代、サムソン、LGのグローバル市場での活躍を見ていると、日本勢とは、その勢いが違う。そして、決定的に差をつけられたのが電子政府だ。韓国の電子政府システムは、今や、世界のTOPクラスである。特に欧米の社会システムに疑問を持っている新興国からは、韓国の電子政府は究極の目標として熱い視線で注目されている。

いろいろ話を聞くと、こうした現在の「韓国の勢い」とは、1997年のIMF介入による屈辱から出発していると韓国の方自身が分析している。詳細なお話を聞くにつけ、我々は、近くに居ながら、その時代の、お隣の韓国の人々が経験した塗炭の苦しみを完全に理解していたとは言い難い。韓国と韓国国民は、あのIMF介入で、従来の伝統的な考え方を全てをリセットし、世界市民となる覚悟を決めた。つまり徹底的に合理性と経済性を中心に国や地方の政府の在り方を見直した。もし、日本と日本国民が、今回の東日本大震災を契機に、韓国におけるIMF介入と同じく、ある「覚悟」を決めるきっかけとなれば、きっと世界が注目するほどの「日本の勢い」を再び取り戻すことができるに違いない。

今回の東日本大震災の悲劇、特に三陸海岸の悲劇は、市や町や村と言った住民に直接サービスする行政機関が津波と共に崩壊してしまったことにある。これだけの大規模で広域の災害にになると、避難した方々の居場所は行政境界を飛び越える。そして、さらに、時間を経て、次々と移動していく。さらに、未だに、膨大な数の行方不明の方々の存在が混乱を一層大きくしている。だから、震災から2ヶ月経った今でも、義捐金は被災者の元には届いていない。

やはり、根本の問題は、住民である「個人」を認識できるのが、地域の行政機関しか存在しないシステムで、その行政機関が津波と共に崩壊してしまったからである。「それは、仕方がないだろう」と仰るむきもあろうが、先進国で行われている標準的な住民サービスを見れば、決して「仕方がない」で済む問題ではない。例えば、アメリカである。私が住んでいたのはカルフォルニア州クパチーノ市で、もちろん市民税も収めていたし、各種住民サービスを受けていたばかりか、国勢調査の対象にもなった。何を間違えたか、裁判所からは陪審員の通知も貰ったことがある。しかし、4年間、私は一度もクパチーノ市役所には行ったことが無い。そういえば、市役所が何処にあるのか、未だに知らない。

「どうして?」と思われるかも知れないが、それで済むのである。大体、アメリカには住民票というものがない。だから市役所に住民登録などしない。あたりまえだが、印鑑登録システムなどあり得ない。それでは、どうしてクパチーノ市は、私が住民であることを知っているのだろう。その答えは運転免許証である。連邦自動車局(DMV)という国の機関の地方事務所で運転免許証が発行される。この運転免許証は、アメリカでは飛行機に搭乗するときには必ず提示を求められる国が認めた写真付き身分証明書である。つまり、運転免許証がないと車を運転できないばかりか飛行機にも乗れないのだ。そして、この運転免許証は、年金の支払い、及び受給に使われる、アメリカ社会の個人共通番号である社会保障番合(SSN)に裏打ちされ、アメリカの国の電子政府システムの中で連動されている。即ち、アメリカでは、住民の一人一人を地方自治体ではなく、国が管理しているのだ。だから、ハリケーン カトリーナによってニューオリンズの街が全面崩壊しても、被災者が全米の10州以上に避難しても、今回三陸で起こったような混乱は全く起きなかった。

こういう話をすると「アメリカは日本と行政のシステムが全く違うから参考にならない」と仰る向きもあるだろう。それは確かにそうである。それなら、「韓国が世界一流の電子政府と賞賛されるのはどうしてなのか?」と問い直せなくてはならない。なぜなら韓国と台湾は、かつて日本統治の歴史があるため、行政のシステムが日本と全く同じだからだ。戸籍、住民票、印鑑登録など、地方自治体の行政システムは日本と全く同じである。だから、韓国は電子政府を構築するに当たって、当初は日本を模倣したのである。ところが、いつの間にか、日本は電子政府の領域で韓国に圧倒的に追い抜かれてしまった。

「一体、どこが韓国に追い抜かれたのか? 電子政府が韓国に追い抜かれたとは、どういう意味で言っているのか?」と不審に思われる方は、佐賀市CIO補佐官、青森県CIO補佐官を務められている 廉 宗淳さんの著作、「行政改革を導く電子政府・電子自治体への戦略―住民視点のIT行政の実現に向けて“韓国と日本”」を読まれると直ぐにわかる。廉さんは、この本の中で、住民票の発行を例に、非常にわかりやすく解説されている。つまり、住民票の発行のIT化には、下記の5段階があるというのである。

1.役所で原本を複写機でコピーして印鑑を押して申請者に渡す。
2.役所の窓口で、コンピュータに登録されているデータをプリントして申請者に渡す。
3.役所以外の場所でも、申請を受け付けてプリントして渡すようにする。
4.申請者が自宅のプリンタで住民票や印鑑証明書を印刷できる。
5.住民票や印鑑登録証明書が要らないシステムにする。

日本は、現在、第三段階がこれから進行するはずだ。今後、全国のコンビニに大量の住民票発行機を設置し、利便性を図るというものである。韓国は、現在、既に第四段階が終了していて、600DPI以上の解像度を持つプリンタを持っていれば、改ざん防止措置がなされた住民票を自宅で印刷できるという。さらに、今、韓国で進められているのは、「そもそも、何故、住民票が必要なのだ?」という原点に戻ってシステムが見直されているというのである。大体、住民票を要求する殆どの機関は、「官」である。「官」は「官」から住民票を照会すれば良いはずだ。大体、住民が「官」への申請のために必要な住民票や印鑑登録証明を「官」に請求に行くことがおかしいと韓国では議論になっている。やはり、韓国の電子政府、世界TOPレベルのITサービスを、この目で見に行かないと話にならない。来月初旬、私は、廉さんに韓国のIT利活用の最新事情を案内して頂く予定である。

40 成長戦略の見直し

2011年5月18日 水曜日

 一昨日から報道されている、福島第一原子力発電所の1号機から3号機までメルトダウン(炉心溶融)している可能性が濃くなったということと、それが地震発生後5時間足らずで始まっていたということを聞いて、軽い眩暈を覚えたのは私だけだろうか。そうではないかと疑いつつも、実際にTV報道で聞かされるとショックは隠しきれない。私は、これまで原発の積極的な推進者ではないにしても、原発なくして日本の未来図を描くことは極めて難しいのではないかと考えて来た。多くの方々も、私と同じだったのではないか。しかし、このような状態になってみると、そして、先週、今週と福島の現地の方々から、いろいろな話を聞くにつけて、少なくとも、この日本では、もう原子力発電に国の未来を託すという構図を描くことは非常に難しいのではないかと思わざるを得ない。

「原発を止めろ!」というのは正論であり、ある意味で、言うのは簡単である。ただし、それで、日本国民全員が幸せに暮らせるという見込みがあればの話である。不幸にして、日本は風力も太陽光発電も世界の他所の地域から見たら決して適地ではない。そして、福島に行く途中の新幹線の車窓から見える異様な景色。立派な瓦屋根を持つ家々に覆われているブルーシートである。福島駅から乗車したタクシーの運転手さんから聞いた話は、「今回は、立派なお屋敷ほど被害が大きい。お金をかけた瓦屋根ほど壊れている。また、軒下に駐車していた車が落ちてきた瓦で皆やられた。それも、いい車ばっかりさ。」である。つまり、高級で立派な瓦は重たいから地震には危険なのだ。同じような話が仙台でもあった。太陽光発電器を屋根に載せている家が、皆、やられたのだという。中には、あの重たい太陽光発電パネルが2階の床を突き抜けて1階まで落ちてきたというのだから人命に関わる問題である。もともと、太陽光発電は雪が沢山降る地域には向かないが、仙台は殆ど雪が降らないので、金銭的に余裕のある家では太陽光発電パネルを設置する家が近年増えてきたのだという。先の宮城県沖大地震以来、仙台市内から地震時に危険なブロック塀がほとんど消えた。今後、仙台市内から木造家屋の屋根から太陽電池パネルが消えるのは殆ど間違いない。

さて、昨年6月、菅政権発足と同時に発表された新成長戦略が大きな見直しを迫られている。この成長戦略は、菅総理及び民主党が、その策定に大きな貢献をされたことを否定するものではないが、基本構想の策定は前の自民党政権から始まっており、経産省を中心とする霞ヶ関の各官庁、経団連の産業政策部会を始め、日本の多くのシンクタンクなど総力を結集して作成されたものである。いわば、広く国民のコンセンサスを得て策定されたものだと言える。だから、この成長戦略の資料を読んでいても全く違和感がない。ただし、原子力発電を含むエネルギー政策を除いての話である。

そして、この度の大震災である。しかし、岩手県から宮城県にかけての津波被害は状況は悲惨ではあるが、この成長戦略を大幅に変更しなければならない理由にはならなかった。もともと、この成長戦略には、「国際競争力のある農林水産業」が盛り込まれているので、むしろ、それを東北三陸地域から始めるという前向きの対処の仕方もあったはずである。ところが、福島第一原発の事故が引き起こした一連の状況は、単なる自然災害の範囲を大きく越えた。

もともと、この新成長戦略を策定した根本、それは日本という国と日本国民が永年培ってきた競争力、「美しき自然」、「安全な水と食」、「木目細やかなおもてなしの心」などが基盤としてあった。その論理の延長線上に、「海外から大量の観光客誘致」、「高級食材のアジア富裕層向け輸出」、「成人病やガンを対象とした医療ツーリズム」と言った具体的施策がブレークダウンされてきた。しかし、これらの殆どに対して、今回の原発事故は、むしろ否定的要素となりつつある。もちろん、実体は、それほど深刻ではないと私も思っているが、もともと、こうした産業はイメージが重要である。実際の数値をきちんと公開して納得してもらうしかないのだが、それには相当の時間を要するに違いない。

そして、成長戦略に最も大きく関係するのは、エネルギー問題だ。原子力発電抜きのエネルギー政策というのは、相当シンドイものがあるが、今後は、否が応でも考えていかざるを得ないだろう。当初電力供給問題は、東電と東北電力を含む、東日本だけの問題と考えられ、西日本の60Hz電力を東日本の50Hz電力に変換する巨大な設備を、現在、3機発注しているはずである。だが、浜岡原発の停止で中部電力にも余裕が無くなった。そして、最大の問題は関西電力である。総発電量の48%を原子力に依存している関電は、日本で最も多く原発に依存している電力会社である。仮に、関電が原発依存を止めると、近畿地方は日本で一番厳しい電力事情に苦しめられる。つまり、福島第一原発事故に端を発した日本の電力危機は、東京電力だけに留まらない日本全体の問題となった。こうした中で、日本のエネルギー政策は、今の、9電力体制の是非、発電と配電の分離の可能性の是非まで含めて抜本的な再考が求められるであろう。

戦後、一貫して、日本の各電力会社は日本の成長と発展を陰でしっかり支えてきた。今でも、各地域に行けば、電力会社は、その地域の経済全体を担う盟主である。その心意気は地元の企業からも熱い信頼を集めてきた。その日本の産業の盟主である電力会社が最も忌み嫌ってきた、地域分割の是非、発電・配電分離の是非の問題を議論し始めることは、これまでも、これからも非常に大きな困難を伴うことは間違いない。しかし、電力産業だけが栄えて、他の産業が滅びてしまっては、元も子もない。電力供給産業と電力需要産業とは、原子力発電と言う強力な共有資源をベースにしてこそ共存共栄の道を進むことが出来た。しかし、その原子力が難しくなってくると、両者は、電力の価格や供給の安定性を巡って対立する関係になる危険性を孕んでいる。

経団連の産業政策部会で議論したなかで、仮に、今から日本政府が何の産業政策も講じないとすると、2030年の日本はどうなるか?というシミュレーションをしてみたことがある。私が、一番ショックだったのは、2030年には、今よりも電力需要が13%も減ることだった。つまり、それだけ、日本の産業が空洞化して、産業の電力需要が減少してしまうと言っている。タダでさえ、アジアの周辺近隣諸国に対して産業立地コストが高い日本が、今後、さらなる電力料金の高騰、あるいは電力供給の不安定性の懸念が出てくれば、まちがいなく日本企業の日本からの脱出はさらに一層加速する。そうなれば、13%と言わず、鳩山前首相が世界に約束したCO2の25%削減は、特に何も策を講じなくても達成可能となるだろう。その時の、日本の姿を想像できるだろうか? 終戦後、まもなく生まれた、私には、多くの餓死者も出た、その悲惨な状況が想像できる。しかし、そんな日本にしてはならない。原子力に依存しないと決めた以上は、それなりの覚悟をもったエネルギー政策の見直しが必要である。そして、そのエネルギーコストを一番安易な形で産業界に転嫁すれば、多くの雇用が失われ、日本は間違いなく沈没する。今こそ、日本の電力供給体制をどうするべきか、これから真剣な議論が望まれる。