世界中をくまなく歩いているような気もするが、私にとってローマは初めての街である。それも、そのはずで大体世界を歩いているのは商売のためだったが、イタリアでは本社から直接応援に行くほどの規模の大商談が私の時代にはなかったからかも知れない。一昨日の夕方、ローマ空港に着きホテルでチェックインを済ませると、まず一番に向かったのはバチカン市国のサンピエトロ大聖堂である。日本で日曜日のイースターのミサに出て、東日本大震災で亡くなられた方々へのお祈りをするとともに、僅かばかり義援金を神父様から仙台の教会宛に送って頂いた。翌、月曜日に成田を出て、ミュンヘン経由で、一昨日の水曜日に、ようやく憧れのサンピエトロ大聖堂に着くことができた。やはり、凄い。さすがはカトリックの大本山である。サンピエトロ大聖堂が、今の姿になったのは江戸時代の初期だというから1,000年以上も建築を続けたのであろう。何もかも圧倒される。ここで、大震災で犠牲になられた方々に、お祈りできたことは何よりも良かった。
今週の日曜日、5月1日には、このサンピエトロ大聖堂で故ヨハネパウロ二世の列福式が行われるので、世界中から200万人の信者がミサに参列するのだという。それだけ沢山の信者が集まるのも、やはり世界の平和に貢献されたヨハネパウロ二世の人徳であろうか。そのため、この数日間は、ローマのホテルは全て一杯だという。私たちが泊まっているサンピエトロ大聖堂を見下ろせる丘の上に建つカバリエホテルに何とか泊まれるのも、日・EUビジネス円卓会議のために1年前から予約して頂いたローマ市とイタリア政府及びEU政府の方々のお陰である。さて、この列福式とは、聖人になる前の位である福者に推挙される儀式だという。聖職者でない一般人は生存中に何か一つ奇跡を起こさないと福者には成れないのだが、法王はしっかりとした業績を残されれば奇跡を起こさなくても福者にはなれるのだそうだ。
サンピエトロ大聖堂に参拝した、ご利益のせいか、今年の日・EUビジネス円卓会議の様子は例年とは大分違う。5年前から参加していて、その違いがよくわかる。単に、この度の東日本大震災に同情しているという単純な理由ではない。EUの日本政府代表部、丸山大使の説明に依れば、それはEU側の変化だという。特に、2009年12月に発効したリスボン条約はEUを政治的に統合する挑戦的な試みであり、そう簡単にはうまく行かないだろうと言うのが大方の見方だった。しかし、リーマンショック以降の欧州の金融危機、さらにはギリシャ、アイルランド、ポルトガルと立て続けに起きる財政破綻の危機で、各国は、もはや単独で、この難局を乗り切れないと覚悟した。もともとEUに加盟できる基準である、GDP比率で3パーセント以下の財政赤字を守っている国は、EUの17カ国中、3カ国しかなくなった。
そして、もっと大きな変化はEU域内における地政学的な変化である。EUを支えているのはユーロという共通通貨の存在である。EU域内に為替リスクが無くなったことが、EUの目覚ましい繁栄を支えてきた。そして、そのユーロが、それだけ安定した通貨価値を保てたのはドイツのお陰である。そう、ユーロ=マルクなのだ。だから、英国はユーロには参加しなかった。栄光あるスターリング・ポンドをマルクに埋没させたくなかったからである。リーマンショック以降、ユーロが危機に瀕した時にユーロに参加しなかった英国の見識が評価されたが、今、そういうことを論じる人はいない。むしろ、ユーロが安くなったことで、ドイツが未曾有の好景気に湧き、相変わらず金融業に代わるリアルエコノミーを見出せない英国とは大きな差を付けてしまった。ミュンヘンで富士通の欧州大陸本社で聞いた話では、未曾有の好景気で全ての価格が上がっていると言う。ICT機器も、その恩恵を受けて好調な業績を上げている。少なくとも私の40年間の経験で、IT機器の価格が上がるなど想像だに出来なかった。
特に、ドイツの好景気の要因は自動車産業である。中国に行けば、その理由が良くわかる。企業人でお金を儲けた人は例外なくメルセデスのS500、S600といった最高級車を買う。そして、政府要人は決まってAUDIの最高級車を買う。ドイツの高級車はドイツ国内でしか生産をしていない。大体、価格が安くなることは、新興国での富裕層向けのドイツ車としての意味がない。従って、高揚した中国経済の恩恵を最も受けているのがドイツ国民である。ユーロ安で輸入品の値段が上がっても給与水準が上がれば相殺するので、全く問題が無い。便乗してICT機器まで値上げをさせてもらっているというわけだ。この好循環で、ドイツは未曾有の好景気となっている。しかし、そのことがEU域内での各国の関係を微妙に変化させている。つまり、従来、ユーロ圏の外にいた英国はEU加盟国でありながら、他所者であった。ところが、リスボン条約発効後は、英国とフランスが蜜月関係になってEUの支配権をとりそうな雰囲気である。ドイツだけが一人勝ちで、EU域内での仲間外れになりつつある。この度のリビアのカダフィ攻撃もドイツの反対でEUが一枚岩に成れなかった。
従来の、日・EU BRT(ビジネス円卓会議)は、いつも最後はドイツの自動車連盟の横車で、それまでの議論がたち消えになってきた。しかし、ドイツは誰が見てもEUの盟主である。ドイツがEUから脱退したら、ユーロは吹けば飛ぶような弱体の通貨になってしまう。だから、皆、多少疑問を感じながらドイツの言うことには従わざるを得なかった。それが、今、変化の兆しを見せている。なぜなら、今回の日・EU BRTの前に、英国と北欧、フランスは、共同で、EU政府に対して、日本との経済関係を前向きに見直すよう勧告を出している。そして、考えてみれば、フランスとイタリアは先進国の中で数少ない日本への輸出超過国である。彼らは、もっと日本への輸出を増やしたい。つまり、日本との経済連携にチャンスを見いだせると思っているのだ。日本との経済連携協定は何の国益にもならないとするドイツとは大きな違いである。
フランスは、今年、G8、G20の主催国である。しかし、福島第一原発事故の直後に来日したフランスのサルコジ大統領のリスクを取る覚悟は日本では好感を持たれている。自国が原発大国であるというリスクもさることながら、福島第一原発事故終息支援に向けて、今ひとつ腰が引けている米国の代わりに、フランスが数千億円かかると言われている廃炉処理に国家的事業として乗り出すビジネスチャンスだと考えているに違いない。やはり頼もしい大統領である。そうした、いろいろな情勢の変化の中で、従来通り、日本とは疎遠な関係を保ちたいドイツの意向は、もはやEUの主流ではなくなりつつあるのかも知れない。私も、5年間、この日・EU BRTに関わり続けたかいがあったという思いである。しかし、油断は禁物である。日本とEUとのEIA(経済統合協定)で最大の難関は、実は農業の関税問題ではない。彼らが最大の非関税障壁として取り上げているのは、日本の巨大な国営金融機関、即ち『郵貯』と『カンポ』の存在である。