「原発は恐ろしい、もういやだ。」という機運が蔓延している中で、これから日本国内に原子力発電所を新たに建設することは極めて困難になるだろう。しかしながら、私達は、これまで、その「原発」のお陰で毎日を何とか平穏に暮らすことが出来ていた。それをやめるには、生活レベルを今より相当落とす覚悟と、国民全体でかなり大きな負担をする新たな投資を覚悟しなくてはならない。
平成22年7月16日付けで経産省が出した、「2030年に向けたエネルギー政策」を見てみると、まず目標として、2030年までには、自主エネルギー比率(原発を含むエネルギーの自給率)を現在の38%から70%にする、そしてゼロ・エミッション電力(CO2を発生させないで作る電力)を現行の34%から70%にすると書かれている。つまり、この計画によって日本は国際社会に向けて先に鳩山政権が約束したCO2削減目標の責任を果たすとともに、資源ナショナリズムが台頭していくなかで、エネルギーの安全保障に対しても万全を期すということである。
ここで言う「自主エネルギー比率」というのは、原子力発電に使う核燃料は長期的に確保でき、かつプルサーマルのようにリサイクルも可能なので、「一応自給の範囲とみなしましょう」という意味だ。仮に、この原子力発電も核燃料は外部調達だから、「自給とは言えない」と定義を変えれば、日本のエネルギーの自給率は電力換算で、たったの4%になってしまう。食料の自給率が40%しかないことで、多くの日本国民が危機意識をもっているなかで、エネルギーの自給率が、たった4%しかないことが広く国民に流布すると、大きなパニックになることを恐れて、「自主エネルギー比率」という難解な言葉を導入していると思ったほうがよい。
この「自給」と「自主」の間を取り持ってきた「魔法のエネルギー」が原子力発電だ。だから、この「2030年に向けたエネルギー政策」では、2020年までに、原子力発電所を新たに9基建設し、日本の原子力発電所の設備稼働効率を85%にまで高めることを計画している。加えて、2030年までには、原子力発電所を新たに14基建設し、設備稼働効率を90%にまで高めると書かれている。このことによって、2030年には、CO2排出が真水で30%削減できると言っている。
つまり、日本のエネルギー政策は、その主体が原子力発電をベースに構築されていると言ってよい。CO2削減とエネルギーの安全保障は原子力発電があって初めて実現できる。一方、「原子力がなくても、太陽光や風力があるじゃないか」と言われるむきもあるに違いない。しかし風力は台風もカミナリもなく安定した強い風が絶えず吹く北欧でこそ有力な資源であり、日本では殆ど期待できないのだ。私が、コペンハーゲンで世界一の風力発電機メーカーであるデンマークのベスタス社のCEOと昼食をとったときに聞いた話では、「日本をくまなく調べて歩いた。日本で風力発電に適している地域は北海道と東北の一部だけだ。日本で風力発電のビジネスをすること非常に難しい。」という情けない話だった。
「それでも太陽光があるではないか!」と言われるむきもあるだろう。しかし、今の太陽光発電は、他の発電手段に比べて、とてつもなくコストが高い。そして太陽光よりも、より現実的と言われる太陽熱発電も、雨天、曇天が多い日本では日照時間の関係から決してうまくはいかない。つまり、太陽光も太陽熱も、少なくとも10年の間は、量的なレベルで原子力発電の代替になりえないということである。
じゃあ、どうするのか?ということだが、こうした窮状を救うには、日本は、とんでもないイノベーションを世界に先駆けて起こさなくてはならない。要は、今、世間で議論されている代替エネルギーのメニューではどうにもならないのである。例外は、日本に豊富にあり、日本が技術的にも世界一と言われている地熱発電が有力な候補である。保安林や国立公園などの関連法規の規制緩和が急がれる。また、地熱源は地中高深度なので温泉源とは競合しないことも理解して、温泉地の観光組合は、もう余計な邪魔はしないで欲しい。何しろ、日本の将来の存続が掛かっているのだから。
また、大いに発想を変えて、この際、世界中に豊富にある石炭火力に注目したい。石炭を焚いて出るCO2を、ノーベル化学賞に輝いた根岸博士が提案されているように光合成の原料に出来ないだろうか?など途轍もないアイデアはどんどん出てくる。困窮した状態こそが、次の時代に向けてのイノベーションを起こす。まだまだ、諦めてはいけない。どんなに困難な科学技術の探求であっても、資源を巡って他国と戦争をするよりは遥かに楽な戦いである。