津波や原発の被災者たちが集団移転を開始した。数十年に一度は必ず襲われる津波の恐ろしさを誰よりも熟知している三陸の人たちが故郷を離れなかったのは風光明媚な三陸海岸の景色のためだけではない。皆、津波の恐ろしさ以上に、コミュニティーの大切さを理解していたからだ。今回、各自治体が、こぞって被災地の住民に対して集団移転の受け入れを表明しているのは素晴らしいことである。住民にとって命より大事なコミュニティーの連帯が保存されれば、皆で力を合わせて再び故郷の再建に取り組むことができる。日本は災害大国である。こうして、日本各地の自治体が相互に連帯して助け合うことが出来れば、これほど素晴らしいコミュニティーの連合体は世界中どこを探しても見つからないだろう。
経済中心の社会が見直しを迫られている中で、今、「コミュニティー」が持つ本質的な価値に注目が集まっている。昨年、鈴木寛文科副大臣から熱のこもった「コミュニティー・スクール」の話を伺った。鈴木副大臣は、元々、経済産業省の出身で産業振興が本職であったが、これからは人材育成こそが、国の繁栄の鍵だとの信念から教育分野に政治生命をかけている。特に英国で始められた「コミュニティー・スクール」を東京から全国に広めることに尽くされてきた。せっかくなので、ここで「コミュニティー・スクール」の概要を紹介したい。
鈴木副大臣の話によると、今の学校は、ほんの少数のおかしな教師と、ほんの少しのモンスター・ペアレントで学校全体が掻き回されているのだという。教育に対して情熱を持った大多数の教師たちと、常識をわきまえた多くの立派な父兄達が、この擾乱に対して全く無力だった。これを救ったのが学校周辺に住む人たちで構成される「コミュニティー・スクール」の応援団だ。教師でも父兄でもない第三者が紛争の調整機能を持つ事で、学校運営は世間の常識の範囲で行われるようになると言う。それだけではない。今、地域にはリタイアをした後でも未だ未だ健康な方々が沢山おられて、「コミュニティースクール」では学校教育の中味にまで参加している。例えばインターネットで、ある小学校の教室で「分数」の時間で個人授業の先生を10人募集すると、その5倍以上の応募があり、むしろ選抜に苦労するのだという。まさにコミュニティーの力である。
もう一つ、コミュニティーの話をしたい。それはイタリアである。イタリアは、もう20年以上も前に精神病院を廃止した。アルコールや麻薬の依存症患者、心の病を持った人達を、イタリアでは地域コミュニティーの力で治癒していく。日本でも政府は精神医療に年間2兆円近くを支出しているが、イタリアのように地域と共に患者に優しい治療をコミュニティーの事業として有効に使っていくことも一考の余地があるのかもしれない。
話は変わるが、今、Facebookの勢いはGoogleを大きく凌いでいる。一体、Facebookの何処に勝因があるのだろうか?よく言われていることは、左脳のGoogle、右脳のFacebookということだ。数学が得意なエンジニアが創業したGoogleは統計数字こそが全てのビジネスモデルであった。世界中で一番注目されている情報、日本で一番関心がある情報をGoogleは直ぐに教えてくれる。事実こそが全ての真実であり、それを一番顕著に示しているのが統計情報だというわけだ。一方、Facebookは、単に数字が積算された統計情報よりも「人と人との繋がり」である「コミュニティー」にこそ本質的な価値があるという。つまり、全世界でいかに多くの人達が「いいね!」という事よりも、自分の仲間達、つまり自分の属する「コミュニティー」で自分の大事な友達が「いいね!」と言ってくれる方が、より大きな価値があると思っているからだ。私たちは、もっと「コミュニティー」が持つ大きな力や価値に注目する必要があるだろう。