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481   変貌しつつある日本の人事制度

2024年5月2日 木曜日

コロナ禍を耐えた日本が、バブル崩壊後の日本経済が陥った30年間の低迷続きを抜け出して、今や、少しずつ前向きになっているように私には見える。日立製作所社長を経て経団連会長になられた中西宏明さんが、いつも私に言っていた口癖が「日本は早く普通の国になるべきだ」だった。つまり、中西さんが言いたいことは、日本が30年間停滞してきた最大の原因は「日本特有の人事制度」にあるということ。グローバルに活躍されてきた中西さんの心の中には、日本の政治や経済の硬直化を招いている「終身雇用、年功序列」という「日本特有の人事制度」だということだ。

富士通では、毎年、アメリカと異なりユニオン(労働組合)が強い労使環境にある欧州において、EU各国子会社のCEO、人事労務部長、労働組合長を集めて、毎年、労使協議会を開催してきた。この会議の中で、各国労組の組合長からは、いつも前向きの提案を頂き感謝していたのだが、最後に必ず出される質問が「日本の富士通本社は、いつまで日本独自の人事制度を続けるのか?」だった。彼らから見れば、「自身がグローバル企業だとの自覚があるのなら、早く世界共通の人事制度にすべきでしょ!」と言うわけだ。私は、こうした彼らの考え方に全く反論できずに「早く、日本の人事制度も世界標準に合わせて行きたい」と述べるしかなかった。

日本の人事制度が、どうして組織の活性化を削いでいるのかといえば、先ずは「終身雇用」による安定化がある。上司に逆らわず、毎日言われた通りの仕事を着実にしていれば、何か余程悪いことをしない限り解雇されることがない。そして、「年功序列」は特別な落ち度がない限り一定度合いの昇給が約束される。こうした安定した雇用関係の中で、会社は、そこそこの安定性を得るが、株主が期待するような発展・成長を遂げることは期待できない。一方で、企業を取り巻く環境は日々変化して、やがて大きな試練を迎えることになる。そうした危機を迎えた時に、多くの日本企業のトップは、自らリーダーシップを取って会社を変革する人材を育てて来なかったことを悔いた。

世界で「優良」と言われている企業は、常に自らを大きく変える改革を行っている。優れた業績に輝いていた過去を否定し、将来への変革を成し遂げるリーダーになるためには、入社以来同じ組織で長く仕事をして培ったキャリアでは無理だろう。一方、世界で優良と言われるグローバル企業で活躍するリーダーたちは、幾つもの企業で異なる仕事を経験して自身のキャリアを磨いてきた。どうして、日本の企業では、こうした物語が産まれなかったのだろうか?まず、第一の理由は、現在でも、多くの日本企業のトップは入社以来の生え抜きばかりだからだ。つまり転職を繰り返していたら日本の大企業のトップにはなれなかったのだ。

そうした、これまでの日本の人事制度が、コロナ禍を経験した、この2−3年で大きく変わりつつある。入社してから3年の間に約3割の社員が辞めていくのは、かなり前から当たり前のことだった。それでも、昨年末の日経新聞では「20代社員が転職で年収が上昇するようになった」と言う記事が出た。これまで30−40代社員は転職で年収が上昇することが多く見られたが、20代社員の転職では年収が下がるのが一般的だったと言う。つまり、今や、20代社員も単に「仕事が嫌だから、辛いから」と言う理由ではなく、しっかりキャリアを磨きスキルアップし、それを活かした転職を目指していると言うことらしい。

2040年代の日本では1,100万人の労働者が不足すると言う。つまり、これからの日本は圧倒的に求職者の方が有利な状況に変化しつつある。日本が欧米のように、キャリアアップのための転職が一般的な状況になってきている中で、人事制度でも大きな変化が見られるようになった。先週の日経記事でも3メガバンクの中途採用が新規採用者の40%以上を占めるようになったと言う。富士通でも、毎年800人程度の新卒採用を行なっている中で、今年の中途採用は2,000人を超えるという。もはや、多くの日本企業は優秀な人材をスキルベースで中途採用した方が効率的だと考えている。

こうした求人側の事情は、転職を考えている若者にもよく理解されている。彼らが転職を考える最大の理由は、一昔前のように給料が安いとか上司が気に入らないと言うことよりも「キャリアを磨く恒常的な仕組みが会社の中に存在しない」と言うことらしい。ひと昔前の社内教育と言えば、OJTと呼ばれる今やっている仕事に直接関係したスキルを上司が部下に教えることを指していたが、今、若者が求めているスキルアップの仕組みは全く異なるものである。多くの若者は、今、彼らがやっている仕事とは関係ないスキルを磨く機会を求めている。「どうして、今の仕事に関係ないスキルを求めるのか?」と言う経営幹部が居たら、「それは貴方の方が間違っている」と私は次のように言いたい。

つまり経営トップが、次のステップへの飛躍を考えるには、現在の社員が持っていないスキルが必要となるかも知れないからだ。そうしたスキルを持った人材をどのように探すのか?と言う命題は深刻である。今後、年功序列という人事制度は間違いなく崩壊する。将来、降りかかって来る企業を取り巻く変化は、ただ、年を取れば自然と色々な知識が積み重なるという程度のスキルアップでは対応できないからだ。つまり、今後、社員の給与水準は持っているスキルベースで決まる時代になる。世界の中で、日本人がスキルアップに積極的でなかった理由は、終身雇用でずっと同じ仕事をしていても年齢が上がれば自然と給与が上がるというぬるま湯のような人事制度の中で生きてきたからだ。

本当に、これからは、働き手がいなくて倒産するという企業が増えて来るだろう。そうした状況の中で、求職者と求人者の双方で改革に向けてスキル獲得競争が続いている。先ずは、人手不足で悩む企業側のアプローチとして、いろいろなことを考えた結果、従業員のスキルアップの仕掛けとして「生成AI(例えばChatGPT)」が一番良いとの結論を出している。「生成AI」は、あらゆる優秀な知識人を超える豊富な知識を持つ賢人であり、誰もが「自ら勉強する」ことを助ける教師としての役割を立派に果たすことができる。これまで、いわゆるAIを使うのは高度な理系の知識が必要だったが、「生成AI」を使うには、一般常識があればそれだけで十分である。横須賀市役所が、まず全員に「生成AI」を使わせてみることを決断したことは大変立派な人事施策だと思う。

私が関わっている企業でも、若い人たちに、この「生成AI」を使わせて、自身の業務効率化に向けてのチャレンジをさせている。私も、すでに、何回か成果発表会に参加させて頂いたが、業務として「生成AI」への挑戦を命じられた社員の士気はすこぶる上がっている。「生成AI」の使用で、一番苦労するのが「質問の仕方(プロンプト)」である。何しろ、「生成AI」は何でも知っているわけだから、きちんと質問すれば、それに対して正しく答えてくれる。この「質問の仕方」が一番のノウハウとも言える。

この発表会では、多くの参加者が自身の実務経験を話してくれるので、「次に、自分もそういうやり方で質問してみよう!」と気になってくる。さらに、この「生成AI」は叱ると、一度誤ってから、さらに詳しい答えを出し直してくれるそうで質問者は思わず「可愛い」と親しみを覚えるそうだ。多くの発表者が、普段1時間ほども考え抜いていたアイデアを10−15分で何十通りも提案してくれるので、自身は一番良いと思うものを選ぶだけで済んだとのことで、「これを使えば業務の効率化に役立つ」と言っていた。

まさに、今後人手不足で苦しみ企業としては、「生成AI」は少ない人数で効率的に仕事が出来る良いツールとなるであろう。さらに、こうしたスキルアップの経験を日常的な仕事の中で積ませることは、士気向上に繋がり転職を防止するための優れた人事施策となるに違いない。日本の人事制度を世界に負けないレベルまで大きく変えられるかどうか? この「生成AI」の活用が、その成否の鍵を握っているのかも知れない。

 

 

480  「生成AI」は人手不足を救えるのか

2024年4月4日 木曜日

日本は、少子高齢化による生産年齢人口の減少で、リクルートワークス研究所の予測では、2040年には1,1 00万人の人手不足に陥ると言われている。少子化 による人口減少の動向は、アフリカのサハラ以南の地域を除いて世界中が陥っている「赤ちゃん不足」という深刻な病である。これまで欧米諸国は労働力不足の大部分を移民受け入れで補ってきた。しかし、今や、英国のブレグジットを引き起こした移民増加を懸念する動きはドイツやアメリカなど先進国全体で蔓延している。

日本は、現在、400万人近い外国人を受け入れているが、今後この人数を1,100万人にまで大幅に増やすのは極めて難しい。その理由の一つは、近年、日本が移民を目指すアジアの国々が揃って出生率が減っていることにある。そして、第二の理由は、こうしたアジア諸国の賃金が日本以上の上昇率となり、日本との賃金格差が減ってきていることにある。さらに、第三の理由は、使用する言葉の問題だ。今や、途上国の人々は誰でも英語を話すようになってきているが、受け入れ元の日本では相変わらず英語は難解な外国語であり続けている。

さらに、2040年まで待たなくても、今や、人手不足はどの企業にとっても極めて深刻な問題となっている。経営者にとって、現在、一番深刻な問題は離職問題だろう。今から25年前にアメリカで経営者になった私は、日本の経営者から「アメリカでは簡単に解雇できることがメリットだね」と言われて驚いた。当時、バブル崩壊後の日本は終身雇用制度で抱えた余剰労働力をどう減らすかが大きな経営課題だった。しかし、こうした考えは、とんでもない誤解である。欧米の経営者は日夜「キーマンの離職問題」に悩んでいた。早い人で半年、長い人でも3年経てば多くの従業員はより良い雇用条件を求めて転職する社会だからだ。

従って、欧米の経営者は、優秀な社員に「いかに長く勤めてもらえるか」という「リテンション・プラン」をいつも真剣に考えている。毎年、社員に対して提示する新しい賃金改定は、その企業の業績とは関係なく、その地域で起きている賃金上昇率に沿って行われるべきだとされている。つまり、賃金改定が平均賃金上昇率より低ければ、瞬く間に社員は居なくなってしまう。もう一つ、皆に平等な賃上げは必ずしも好まれるものではない。頑張った社員には厚く、成果がよく見られない社員には薄くするという差が出る制度にしないと、優秀な社員は長く残らない。

しかし、今、コロナ禍を過ぎて、ようやく訪れた好景気と、恐ろしいまでの人手不足が、日本の労働市場を一気に流動化させた。今の若者とって、転職はごく一般的な思考方法となった。アメリカでは46%の社員が常に転職を考えていると言われているが、日本でも殆ど同じ状況になったのではなかろうか。しかも、これだけ人手不足が深刻になると中途採用する企業側も高い賃金を提示するので、心を動かされる社員も多くなっている。しかし、転職後の様子を見ると、一度転職を決断した社員は、その後短期間に次々と会社を移っていく。転職した社員と、それを受け入れた企業側とのお互いの期待が必ずしもうまくいかないことも少なくないからなのか。

そういうことも踏まえて、私は、社員が転職をする場合は、無理に押し留めようとせず、気持ちよく送り出して、「また、戻ってきたくなったら、いつでも、いらっしゃい」と声をかけてあげて欲しいと何度も言ってきた。その結果、最近では30%くらいの転職者が、また元の古巣に戻ってくるようになったという話も聞く。しかも、「前より逞しくなって戻ってきた」というのだから素晴らしい。転職しようとする動機は、必ずしも「今の職場が嫌だから」、「上司の扱いが酷いから」というわけではない。

そして、今の若者は必ずしも給与水準だけに焦点を当てているわけではない。多くの若者は「会社は、自身のスキルアップに対して、何をしてくれるか?」ということを「固定化された仕組み」として提供すべきだと考えている。今の若者は、勤続年数によって年功序列制度で給与水準が上がるという従来の仕組みに魅了を感じない。つまり、給与はスキルに準じて上がるべきで、そのために常にスキルを上げる制度や仕組みの中で働きたいと考えている。しかし、スキルを上げるために他人よりガムシャラに働くことはしないし、3−5年かけてスキルを身につける職人的下積み生活も求めてはいない。

こうした若者の意を汲めなければ、社員は集まらないし、どんどん辞めていく。かつて、売り上げはどんどん増えているのに、売上金の回収がうまくいかずに黒字倒産する企業があったが、今や、社員が満足する給与や働き方が与えられずに社員がどんどん辞めていき、結果的に人手不足で倒産する企業が増えていくだろう。ということは、今後の基本的な経営方針は、より少ない人手でキチンとした仕事ができる仕組みを考えていかなければならない。しかし、そんな制度はあるのだろうか?それが、どうもありそうなのだ。

答えは、「生成AIの活用」である。これまでのAIは、画像を認識したり、音声を認識したりする「認識AI」だった。この「認識AI」をうまく使うには、デジタル技術や、ものづくり技術が必要で、誰でもすぐに目的のシステムが構築できるわけではなかったが、ChatGPTに代表される「生成AI」なら誰にでも使えそうである。何しろ、「生成AI」は知りたいことを聞けば何でも答えてくれるからだ。私は、常々、講演資料のストーリー作成や、その英訳に「生成AI」を使っている。「生成AI」を使っていると、新訳聖書、ヨハネによる福音の中にある「始めに言葉ありき、言葉は神と共にあり。言葉は神であった。」ということを思い浮かべる。つまり、これは「ただのAIソフトじゃあないな」と感じるのだ。

つい最近、若手の社員に自由に「生成AI」を使わせて、どんな成果が出たのかという発表会に出席させて頂いた。30人ほどがリアル会議に出席し発表を行い、50人ほどがオンラインで聴講する会議だったが非常に熱い議論が行われた。ここで私が一番驚いたのが、彼らは決してAIの専門家でもないし、殆どが理系エンジニアではない。広報、マーケッティング、広告、教育、資料翻訳など事務管理部門を含むあらゆる部門で「生成AI」に挑戦し、素晴らしい成果をあげている。もちろん、ソフト開発部門では「生成AI」を使ってプログラムの自動生成にも挑戦して大きな成果をあげている。

これらの殆どの報告で共通しているのは、「生成AI」は決して人間ができない素晴らしいことをやってのけているわけではない。殆どのケースが、「生成AI」を利用しなければ1時間掛かっていた仕事が10分で出来たという効率化である。つまり、利用者が「生成AI」に指示することによって、簡単には思いつかないアイデアを次々と打ち出してくれるというのである。人間は「生成AI」が大量に打ち出してくれたアイデアの中から優れた成果物を選択すれば良い。もちろん、アイデア出しをさせる場合に、「生成AI」が、どんな性格の持ち主になって欲しいのかという指示も綿密に行なっている。

こうした若い人たちが成果発表時に多少興奮気味に話しているのも私には良く理解できる。私も、「生成AI」を使っていて、そのように感じるからだ。「生成AI」という、この会話の相手は一体何者なのだろう。時に叱れば、キチンと正確にやり直すし、褒めれば喜んで次々と仕事をこなしていく。こんなに、よくできる部下は滅多に見つからないだろう。こうして「生成AI」を使いこなして成果を上げる社員は、もう部下なし管理職として昇格させても良いはずだ。

一方で、こうした「生成AI」のような新しい動向には、全く興味を持たず、従来の仕事のやり方をも変えようとはしない中間管理職は、今後、どのように処遇したら良いのだろうか。「人が足りない」という未曾有の危機を乗り越えるためには、高い給与を支払う価値のある少数の人々で仕事をこなしていくしかない。そのための人事制度や評価基準をどう変えていくのだろうか?

既に、英国では公立の初等中等教育制度において、英語、数学、理科の三科目を必須科目として他の科目は好きな科目を選べば良いというSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)中心の教育方針に変えている。もはや「生成AI」を使いこなすために必要な教育とは、大学で理系を学んだ生徒を増やせば良いという単純な話ではないのかも知れない。

 

479  湯山一郎さんを悼む

2024年3月3日 日曜日

一昨日、湯山さんのケアを最後まで続けてこられた方から湯山さん御逝去のお手紙を頂いた。今年1月13日に横浜市役所で行われた孫娘のコンサートを聴きに来られた湯山さんの姿が最後となってしまった。当日の湯山さんは、田園調布のご自宅から横浜市役所の駐車場まで自ら運転してのご参加だった。お手紙によれば、1月末になって急に容体が悪くなり、2月14日に亡くなられたとのこと。2月16日には葬儀を行い静岡県のお母様が葬られた墓所に納骨されたとのことだった。

私が湯山さんを孫娘のコンサートに招待したのは、かつて湯山さんは「子供たちのための音楽会」を主催されており、孫娘が未だ小学生の頃に聴きに行かせたことがあったからだ。当日、湯山さんは孫娘の席まで来てくださり励ましの言葉をかけて下さった。その甲斐も会って、一昨年、孫娘は毎日新聞社主催の日本学生音楽コンクールバイオリンの部高校生部門で一位を取ることが出来た。横浜市は、このコンクールの協賛をしており、今回は一位の受賞者の披露会が市役所のホールで開催された。

昨年、12月に新横浜で開催された大学のクラス会で、筆談で話をされるほど元気だった湯山さんは、「これが最後になるかも知れないが、頑張って聴きに行くよ」と言って下さった。湯山さんは、2019年に咽頭癌を宣告されてから、東大病院で何度も手術を繰り返し、皆が驚くほど頑張っていた。私は、今年1月のコンサートだけでなく5月に開催される、孫娘の初めてのソロコンサートにぜひ湯山さんを招待したいと思い、パンフレットとチケットをお送りした。今回のお手紙は、最後まで湯山さんを看取って下さった方が送り状の私の住所宛にお手紙を下さったというわけだ。

湯山さんは、先に亡くなった中西宏明さんと同じく、現役合格が85%というベビーブーム生まれという私たちの学年の中では数少ない浪人合格組だった。しかし、湯山さんも中西さんも、なんと最初から現役合格など全く目指していなかった。湯山さんは、東大合格者数日本一の日比谷高校で、東大受験不合格者は4年生として都内最強塾としての日比谷高校の中で東大受験の面倒を見る制度が出来ていた。一方、中西さんも現役受験生としては文二で不合格になった翌年には、何と理系に転換して理一で合格している。こんな剛毅な二人は、いつも私たちの兄貴分として人生全般の指導者であった。

東大紛争で7ヶ月間も授業がなかった私たちの学生生活は、かなり危ういものだった。そんな中で、私たちは、田園調布の湯山さんのお宅に皆んなで集まって徹夜で麻雀をしながら議論する日々も多かった。湯山さんのご両親には随分ご迷惑をおかけしたと、優しいご両親に、心から感謝している。そんな中で、湯山さんは就職先としてNHKの技術研究所を選ばれた。湯山さんのお父上も私たち東大電気電子の先輩で沖電機に勤められていた。「父親と競合する企業に就職するのもどうかな?と思って公営企業を選んだ」と言っていた。

湯山さんのNHKにおける最初の勤務地は神戸放送局で、業務は生駒山の放送アンテナの保守業務だったと思う。私は、湯山さんの勤務地に遊びに行ったことがある。NHKの独身寮が八尾市にあり、そこまで案内してくれた記憶がある。放送アンテナがある生駒山山頂は奈良県生駒市と大阪府東大阪市の県境にある。湯山さんが、いつも誇りにしていた一人息子、湯山壮一郎氏は東大を卒業後、財務省に入省し、現在は奈良県に出向し副知事を勤めておられるのも何かの縁だろう。昨年末、私が「立派な息子さんだね」と言った時も湯山さんは大変嬉しそうだった。そういえば、湯山家は、親子三代の東大卒となる大変立派な家系であった。

NHK技研(放送技術研究所)での湯山さんの業績は、NHKが世界で最初に開発したHDTV(ハイビジョン)の実用化だった。この大事業を見事に成し遂げられた湯山さんは、博士号を取得されて宇都宮大学教授に就任し、日本の若手研究者の育成に尽力された。2019年に咽頭癌を発症した直後に湯山さんは自身の音声を録音し、手術で声帯が使えなくなった後に、自ら入力したテキストを自身の声で発生する仕掛けを作って話ができる道具として使っていた。専門の映像技術だけでなく音声技術についても自作することに挑戦していたことに対して心から敬意を表したい。

湯山さんが2019年に癌を発症した後に、日本の病院はコロナ禍で多くの機能不全に陥った。それでも湯山さんは、自ら運転し東大病院に通院し、何度も入院・手術を繰り返してきた。そうした中で、エジプトのシナイ山に登頂したり、ヒマラヤへの航空機観光など海外への冒険旅行も果敢に挑戦されていた。そう言えば、湯山さんは、先日まで日経新聞に私の履歴書を投稿されていた医師で登山家の今井通子さんとも友人だと言っていたような気がする。一体、どれだけ広い人脈をお持ちだったのだろうか?本当は、もっと長生きして頂き、いろいろな話も聞きたかった。しかし、湯山さんは、与えられた条件の中で精一杯の生き方をされていたと思う。心から「ご苦労様でした」と申し上げたい。