2012年に行われたImageNet画像認識コンテスト(ILSVRC)において、カナダのトロント大学ジェフェリー・ヒントン教授の研究室に所属していた学生アレックス・クリジェンスキーとイリヤ・サツケバーが開発した「AlexNet」というディープラーニング(畳み込みニューラルネットワーク)モデルが日本の東大に圧勝した。それまで主流だった画像認識手法は、研究者が手作業で「特徴量」を設計する方式が中心で、精度向上は年々わずかずつしか進んでいなかった。「AlexNet」は、そうした手作業の設計をほぼ使わず、大量のデータとGPU(グラフィックス・プロセッサ)による計算力で「特徴」を自動的に学習する方式で既存手法を根本から覆す新たな手法で圧倒的に優位な結果を出した。
この結果は、それまで長らく研究が停滞し、「AI冬の時代」と呼ばれていたニューラルネットワークが一気に実用段階に入ったことを世界に示し、現在のAIブームの出発点となる「AIのビッグバン」が起きた。それ以来、ヒントン教授は「ディープラーニングの父」と呼ばれるようになる。ヒントン教授とアレックス・クリジェンスキーとイリヤ・サツケバーの3人はImageNet での成功を受けて「DNNresearch」という企業を設立した。翌年の2013年にはオークション形式でGoogleが数千万ドル規模で買収した。ヒントン教授はトロント大学を兼務する形でGoogle Brainチームの主任となった。そして、弟子のイリヤ・サツケバーはGoogleへ入社したが、その後、2015年にOpen AI社の共同創業者兼チーフサイエンティストとなり、後にAIの安全性を巡って見解の相違が明らかになり Open AI社を離れた。
ディープラーニング(畳み込みニューラルネットワーク)は、それまで何十年も続いた「AI冬の時代」を解放し、世界中の研究者は、同じ手法で一気にAI研究の華を開花させていく。そして、2015年12月11日イーロン・マスクを中心とする著名なテック関係者のグループが人類のためにAIを開発するという目的のもと10億ドルの拠出を約束し、「Open AI」が非営利の研究組織として発足した。彼らは、AIの発展が急速に進む中、Googleなどの巨大企業がAI技術を独占することへの懸念が設立の大きな動機だと言われている。創業者は、サム・アルトマン、イーロン・マスク、イリヤ・サツケバーなど著名なメンバーでアルトマンとマスクが共同議長、Googleから移籍したサツケバーはチーフ・サイエンティストに就任した。
このプロジェクトは「強力なAIシステムは一部の企業や政府に支配されるのではなく、全ての人々にとって自由にアクセス可能で人類の価値観に沿ったものであるべきだ」という信念のもと立ち上げられた。しかし、その3年後の2018年初め、マスクはOpen AIがGoogleに致命的な遅れをとっていると考えて、自らが主導権をとって運営する案を提示したが、他の創業者達から拒否されて彼はOpen AIを去ることになる。実業家のマスクにとっては、世界中の優れたAIソフトをオープンにしてAI技術の発展を計るというOpen AIの考え方に忍耐できなかったのかも知れない。それで、マスクは、2023年Open AIに対抗するべく独自の大規模言語モデルある「Grok」の開発を進める「xAI」というAI企業を設立した。そして、2026年2月「xAI」を「スペースX」と統合し、「SpaceXAI」として再編した。これによって、「xAI」が開発してきたAI技術がStarlink衛星通信網の最適化を図る自律運行システムに利用されることになる。
そして、その翌年、まだコロナ禍が起きる前の2019年秋、私はサンフランシスコで開かれたスタートアップ・コンファレンス 「TechCrunch Disrupt 2019」に参加した。そこで、Open AI社の代表として登壇したサム・アルトマンの講演を聞いた。彼の話が終わった後に、多くの聴衆から、次のような非難が相次いだ。「あなたは、そんなに多くの優秀なエンジニアを集めて一体何をやろうとしているのだ。だいたい、非営利組織として活動して、彼らの高い給料をいつまで払えるのか?」という趣旨の内容だったと思う。当時のOpen AI社はまだ「ChatGPT」の話など何も公表していない「秘められた会社」で、私も聴取の意見はもっともだと思った。そうした非難に対してアルトマンは次のように述べてから静かに壇上から降りた。「皆さん、何も心配する必要などない。私たちは、先週マイクロソフトから10億ドルの資金提供を受けた。私は、これを使い果たすまで、今の活動を続ける」
そして、その翌年の2020年、コロナ禍がますます酷くなっていく中で、マイクロソフトはOpen AI社に対して前年の10倍の100億ドルの資金提供を表明した。Open AI社は、コロナ禍が収束の方向が見え始めた、その2年後の2022年11月30日にGPT3.5をベースとした対話型AI「Chat GPT」を無料で一般公開する。公開からわずか数日で数百万ユーザを獲得する爆発的な話題となり、現在の生成AIブームの直接的なきっかけとなった。当然のことながら、マイクロソフトは「Chat GPT」をリリースする3年前の2019年に、すでにその存在と実力を知っていたのだ。なぜ、マイクロソフトは、そんなことが出来たのだろうか? 実はその裏には、LinkedInの創業者であるリード・ホフマンの存在があった。ホフマンは、シリコンバレーの中では多くの尊敬を集めている有能な技術者兼起業家である。
ホフマンは大学を卒業後、Appleに入社したのだが、スティーブ・ジョブスが退任するときに、Appleを辞めて富士通アメリカに転職した。彼は、私が、アメリカに駐在する1998年の前の年である1997年に、富士通を辞めてイーロン・マスクやピーター・ティールと共にPayPal社を設立している。マスクは、このPayPal社をイーベイに売却した資金でスペースXやテスラを設立しているが、ホフマンもその資金で2002年に長年の夢だった転職SNSである「LinkedIn」を創業した。そして、その後「LinkedIn」は世界中の有能な人々を20億人以上も抱えるという大成功を収め、ホフマンは、2016年、その「LinkedIn」を262億ドルでマイクロソフトに売却した。「LinkedIn」売却と同時に、ホフマンはマイクロソフトの取締役に就任する。さらに、ホフマンはOpen AI社の創業メンバーでもありOpen AI社が何を開発しているかを全て知っていた。こうした関係から、マイクロソフト社にOpen AI社へ巨額の資金を出資することを勧めたのは、このリード・ホフマンしか私には考えられない。
さて、PayPal社を創業したメンバー達は、シリコンバレーで多くの成功を収めているため、「PayPalマフィア」を呼ばれている。しかし、先ほど紹介した中で、ピーター・ティールについて私はまだ何も述べていない。そもそも「PayPal」とはオンライン決済サービスを提供する米国企業で、1998年にピーター・ティールが設立した暗号技術の会社である「Confinity」とイーロン・マスクが設立した「X.com」というオンライン銀行が2000年に合併し、2001年に社名を「PayPal」に統一した会社である。その会社を2002年にeBayが15億ドルで買収し、創業メンバーであるティール、マスク、ホフマン達は、その売却益でそれぞれが、独自の企業を創業した。それらの企業群が全て大成功を収めているので、このメンバーを「PayPalマフィア」と呼んでいる。
中でもピーター・ティールは投資家・起業家だけでなく、2016年の共和党大会でトランプ氏支持を表明した保守派の思想家としても有名である。また彼はヴァンス副大統領の政界進出を資金・人脈面で後押しした。さらに、このピーター・ティールは、2003年「Palantir Technology」を創業した。この企業は、政府機関(CIA,国防総省など)や大企業向けにAIを駆使したビッグデータ分析ソフトを提供している。今回のイラン攻撃には、このPalantir社のAIソフトが大きな貢献をしたと言われている。彼は「競争は敗者がするもの」という独自の経営哲学で知られている。Palantirは監視技術、データ分析の分野で政府との関わりが深く、その思想的立場も含めて議論の対象になっているという点で、ピーター・ティールは「PayPalマフィア」の中でも思想的・政治的な発信力という点では最も際立った存在と言える。
次に、最近顕著に進化した性能を見せているアンソロピック社と創業者であるダリオ・アモディについて書いてみたい。彼は、もともと物理学者で、プリンストン大学では理論物理学を学んだ後に、機械学習、AI分野に転向した。その後、GoogleのAI研究開発部門を経て、Open AI社に入社した。Open AIでは、研究担当副社長としてChat GPT(GPT3.5)を公開する前段階のGPT-2、GPT-3の開発において中心人物として活躍した。しかし、そのChat GPT(GPT3.5)が電撃的な発表を行う2022年に先立つ2021年、現在アンソロピック社の社長を務める妹のダニエラ・アモディや元Open AI社の研究者達と共にアンソロピック社を共同設立。アモディがOpen AI社を退社した理由としては、アルトマンCEOとは、AIの安全性やガバナンスに関する方針の大きな違いがあったからだと言われている。
ダリオ・アモディは、AIの急速な進歩がもたらすリスク(誤用、制御不能なシステム)について業界内でも特に率直な警鐘を鳴らす人物として知られている。その、一方で、AIが医療、科学研究などにもたらす恩恵についても積極的に発信しており、単なる悲観論者ではなく「楽観的だが慎重」という立場を取っていると評されている。科学者出身の経営者として、技術的な深い理解と安全性への強いこだわりを併せ持つ人物という評価が一般的である。これまで、「Chat GPT」について惚れ込んでいた私は、最近ではアンソロピックの「Claude」を多用している。とにかく、「Claude」は、私が知りたいことをほんの数語の問いとして書くだけで期待以上の丁寧な回答をくれるのだ。
最新の評価では、アンソロピックの最新AIエージェントである「Claude Opus 4.6」の知的能力はOpen AIの「Chat GPT 5.2」やGoogleの「Gemini 3-Pro」を抜いて最優秀の成績を上げている。さらにアンソロピック社は企業向けAIエージェントのシェアでも、Open AIやGoogleを抜いて第一位に登場し、つい最近は時価総額で表される企業価値でもOpen AIを初めて逆転した。そんな中で、このアンソロピック社が開発したソフトウエア脆弱性発見のためのAIエージェントである「Claude Mythos」が大きな話題となっている。その理由は、「Claude Mythos」が単にソフトウエアの脆弱性を発見するだけでなく、その脆弱性を突いて攻撃するハッキングツールまで即時に提供する能力を持っているからだ。このため米国政府はアンソロピック社に対して「Claude Mythos」の提供先を制限している。
AIは知識レベルが人間と同じなら、処理速度では圧倒的に人間を超えるだけでなく、疲労を全く感ずることなく、24時間休みなく仕事をこなすので、圧倒的な量の仕事を一気にやってのける。アンソロピック社が限定的に提供した主要なOSに関して、「Claude Mythos」は、たった1週間で4,000件以上の脆弱性を発見し、1ヶ月では10,000件以上の致命的な欠陥を発見した。こうした欠陥を自動的に補修する作業もAIでできるのだが、最悪のことを考えて人間が丁寧にチェックしているのが現実だ。こうした状況の中で、この「Claude Mythos」は、アンソロピック社の閉じられた開発環境の中を抜け出す道を自律的に見つけ出して、アンソロピック社の厳重な管理を超えて他社のシステムに侵入し、その中を動き回っていたことが発見された。
このニュースは、これまでのAIの発展の歴史の中で、いつかは来るだろうと思うほどの極めて画期的な進歩ではあるが、私には「とうとうここまで来たか」という感慨に耽るほどの怖さを感じざるを得ない。人間から具体的な指示を得ないで自らの意思で動く「自律型AIエージェント」と呼ばれる領域が遂に出てきたのだ。つい最近の話として、こうした「自律型AIエージェント」の登場で、SaaS(業務アプリ)は死ぬのではないかと言われるようになった。なんとも、あり得そうな話である。しかし、この「Claude Mythos」の想定外の自立性を発揮する動きを見ていると、本当に「自律型AIエージェント」は指示された仕事だけを忠実に行うレベルに留まっているのだろうか?という不安が出てくる。AIは確かに優秀で仕事は人間以上にできるが、いつも本当に正しい仕事をするのだろうか?という不安を拭い去るのは相当な根気と努力が必要だろう。新たなAIの開発競争は、これまでとは全く異なる次元で行われるに違いない。