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387 柳瀬唯夫さんのこと

2018年4月11日 水曜日

今、国会で加計学園問題を巡って、かつて安部晋三総理大臣秘書官だった柳瀬唯夫経産省審議官が大きな話題になっている。加計学園問題の本質が何であるか、その中で柳瀬さんが、どういう役割を果たされたのか、私には全く知る由も無い。それでも、私にとって柳瀬さんは、経産官僚として、最も尊敬する三人の方々の一人である。柳瀬さんは、本来、日本を救済できる数少ない英才官僚なのに、こんなつまらない問題に関わり、その将来を摘み取られてしまったとしたら、日本にとって、本当に大きな損失である。

そもそも、経産省で私が最も尊敬する三人の方々の、最初の一人は、特許庁長官を退官後、富士通の副会長、富士通総研の会長と、私と全く同じ職歴を経た高島章さんである。私の妻は、学生時代にカトリックの洗礼を受けているが、私がインドに初めて出張する際に、遠藤周作の「深い河」を読んでから行くべきと言った。実際に、それは実に深い意味があり、大いに役にたった。このことを、当時、富士通の副会長だった高島さんにお話しすると「それは、素晴らしいお話ですね。実は、私は、遠藤周作とは初台教会の仲間で友達なのですよ。でも、深い河は、未だ読んでいません。ぜひ、読んで見ます」と言って頂いた。

その後、私が、高島さんの後任として富士通総研の会長に就任した直後に、高島さんは病気で亡くなられたが、その時、私は胡錦濤主席の招待で、上海万博の開会式に参加しており、高島さんの葬儀には参列できなかった。その後、私は、ヨハネ・パウロ2世の列福式の記念品を持参して初台教会で行われた高島さんの1周忌に参列した。初台教会は私の妻が洗礼を受けた記念の教会でもあった。ヨハネ・パウロ2世の記念品を高島さんの奥様にお渡しした時に、次のように驚くような凄いお話を伺った。

高島さんご家族は、プライベートにバチカンを訪問されたそうだ。奥様は、高島さんからイタリアは治安が悪いから、良い服は持たずに普段着で行こうと言われて、そのようにした。イタリアについた後、当時のバチカン大使から「ヨハネ・パウロ2世と謁見する手はずがついたので、どうぞおいでください」という連絡がきたそうだ。奥様としては、法王様と謁見するなら、一張羅を着てくれば良かったと後悔したが、とにかく謁見をさせて頂くことにした。そんなこともあり、私が、持参した、ヨハネ・パウロ2世の列福式記念品を高島さんの奥様は大変喜んで頂いた。

二人目は、今回の柳瀬さんと同じ経産省審議官になられた岡田秀一さんである。岡田さんは、東大法学部で私の弟と同級生で、司法試験、公認会計士試験と合わせて上級国家公務員試験に合格された稀代の秀才である。各省から選抜された、省庁再編本部で、同じく郵政省から選抜された私の弟と机を並べて、1年で380本の法律を改変した。その後、岡田さんは、小泉内閣で総理大臣秘書官となる。余りにも優秀だったので、岡田さんは、5年間も総理大臣秘書官を務めて、経産省に帰任する時には帰任部署がなく、一時、大学教授も務めてポストが空くのを待たれていたほどである。

その岡田さんに私は本当に助けられた。当時、日本―EUビジネスラウンドテーブルに参加していた私は、通商政策局長になられた岡田さんのご支援を頂き、存分に活躍できた。岡田さんは、流暢な英語を駆使して、老練なEUとの会議を極めて上手に運営されていた。日本―EUビジネスラウンドテーブルは、ドイツ、フランス、イタリアと開催される国は順に変わるのだが、現地日本大使館公邸の晩餐会には、経団連会長以下、少数の選ばれたメンバーしか参加できない。私が、いつも、この晩餐会に招待されたのは、岡田さんの采配があったからだろうと感謝している。そして、岡田さんが経産省を退官された時、弟と一緒に会食した時のことは、今でも忘れられない。

そして、三人目が、今回話題になっている柳瀬唯夫さんである。柳瀬さんは、もちろん経産省の超エリートとして。麻生内閣の総理大臣秘書官を務められた。しかし、その後、民主党への政権交代があり、柳瀬さんは、経産省に戻って産業再生課長に就任された。その時、私は、経団連の産業政策部会長を務めていた。お互いに、経産省産業再生課長と経団連産業政策部会長として、日本再生のために何をするべきか、私は柳瀬さんと、何度かサシで議論をさせて頂いた。そこで、私は、柳瀬さんから次のような衝撃の話を伺うことになった。後にも先にも、経産省官僚から、こんな話を聞くのは初めてだった。

柳瀬さんの話は、以下の通りである。「バブル崩壊後、経産省は20年間に渡り、20回も、次々と手を変えて、日本の産業再生政策について提案をし続けてきた。その結果が、何と20連敗である。しかし、その反省が全く無いまま、目先を変えて、次々と新たな政策提言をしてきたのだ。何が、間違えていたのか、そのPDCAを議論しないで、新たな政策を作ること自体が全く間違っていた」 何と素晴らしい話だろう。私は、心底、こんなに素晴らしい官僚がいるのだと心から感銘を受けた。

柳瀬さんは、民主党が崩壊し、自民党に政権が戻って安倍晋三氏が首相に就任すると、再び、異例とも思われる人事で総理大臣秘書官に就任した。アベノミックスの基本ストーリーは、やはり、柳瀬さんが深く関わっているものと思われる。アベノミックスに、賛否両論があるのは、私は百も承知しているが、多くの経済人は、これを高く評価している。その意味で、柳瀬さんは、大変良い仕事をされて、今回、その成果が高く評価されて経産審議官になられたものと理解している。

しかし、今回、このようなつまらない問題で、柳瀬さんのような稀代の官僚を、国会招致に召喚するのは大変残念であり、本当に痛ましい。官僚にとっても、政治家にとっても、困窮する国家を再生することが一番重要な問題のはずであり、それ以外のことはどうでも良い。今回の一連の問題で、日本最大のシンクタンクである霞が関の官僚たちの士気が、どうなっているのか私は大変心配である。政治家は、所詮、国家のことより次の選挙のことしか考えていない。政治主導という考えに、私は全く賛同していない。

386 リタイア・モラトリアム(2)

2018年3月25日 日曜日

人生100年時代、65歳でリタイアした後、20年から30年近く働かなくてはならないかも知れない。日本の年金が、そう簡単に破綻するとは思わないが、元々、年金は100歳まで生きながらえることは、当初から想定していない。リタイア・モラトリアムとは、単に生き方の選択肢という問題より、天から与えられた寿命を経済的に全うできるかどうかにかかる深刻な問題でもある。今、私は、会社が庇護してくれた環境から飛び出て、まさにフリーターとして、毎日、しぶとく生きながらえている。ここで、その一端を、皆様に紹介して、少しでも、お役に立てれば幸いだと思って書いてみたい。

私が、完全リタイアした後に抱えた問題は、普通の方以上に極めて深刻であった。それは、一部上場企業の役員を10年以上も勤めさせて頂いたことと無縁ではない。むしろ、役員でなかった方が、リタイア・モラトリアムは、うまく順応できたかも知れない。一部上場企業の役員として与えられる恩恵は、以下の3つ。すなわち、「個室」と「秘書」と「車」である。この特権によって、役員として、極めて高い効率で仕事をこなせるわけだが、こうした恵まれた環境に10年以上もの長い間、慣れきった時に、それを一気に全て失ったショックは言葉に表せないほど深刻である。

まず、「個室」の問題である。私は、かなり広い個室に1,000冊以上を収納する書棚を持っていた。書籍は全て自身の費用で購入したものだが、それだけにタチが悪い。書籍は、業務に必要なビジネス書、環境やエネルギー、医療などに関するサイエンス書、歴史書、政治経済に関する書籍などで、いわゆる小説などは一切ない。私は、いつも超速読で閲覧した後、必要な時に後から読み直すため、手元に書籍をおいておきたかった。その意味で、広い個室は、大変ありがたかったのだが、いざ会社を出る時には、これをどう処分するかが大問題となった。

私のリタイア・モラトリアムとしては、将来、著述業というのも選択肢の一つとしてあったし、いきなり、これらの書籍を処分するというのはやはり躊躇した。そうは言っても狭い自宅に持ち込めるわけがないし、新たに起業するビジネスには不確実性があり、これほど沢山の書籍を収納できるだけの事務所を借りることも難しい。そこで、私が考えたのは、ストレージサービスである。寺田倉庫と契約して、30冊を一箱に入れて約35箱分を梱包して、会社から宮城県にある寺田倉庫のストレージサービスに預け入れた。1箱で月200円、毎月7,000円の負担である。

しかし、リタイアしてから、既に4年経っても、未だに、これだけの書籍を収納するレンタルオフィスを借りる目処は全く立っていない。一方、講演資料を作成するために購入する書籍は、毎月、どんどん増え続けて、今や、預け入れる箱の総数は60箱以上に増えている。最後は、どこかの市の図書館に寄付させて頂こうと思っているが、個人ビジネスが軌道に乗って広いオフィスを所有することを、今だに夢見ている。つまり、この問題は、今でも私の頭を悩まし続けている。

書籍の問題は、さておき、もっと困るのは仕事場である。狭い家に住んでいるので、私が、仕事を許されているスペースは寝室脇の、2坪ほどの狭いスペースだけである。このスペースにある自作の長机には、WiFiルーターとWindowsとMacのパソコンが、それぞれ1台、スキャナ付きのプリンタが1台、PFU製のScanSnapスキャナが1台、シュレッダーが1台、書籍カッターが1台ある。サーバはレンタルで、自宅には存在しない。費用は年間10万円ほどかかるが、自身のブログは、毎日、1万ページアクセスほどあるので、無駄にはなっていない。スペース的に一番悩ましいのは、一般のオフィスで一番スペースを占めている紙ファイル類だが、今は、確定申告で定められた保管ファイルしか存在しない。

取締役会で頂く膨大な資料も含めて、入手した資料は、全てScanSnapでイメージファイル化した後、シュレッダーで裁断し、データはストレージサービスに格納している。今や、その格納総量は200GBにもなったが、1TBまでは、費用は、年100ドルほどで済んでいる。もちろん、ストレージサービスに万が一の事故があった場合に備えて、自身が保有する2台のHDDに定期的に保全収納している。問題は、シュレッダーで裁断した紙ゴミの量である。毎月の取締役会が終わるとシュレッダーで裁断された紙ゴミの量は、45リットル袋で3杯分にもなり、これは、直接、自身で、近くの横浜市リサイクルセンターに持ち込んでいる。

個室が無くなってというよりも、事務所が無くなって、一番困るのは、相手との打ち合わせ場所である。今の私は、基本的には、お相手の事務所に伺うようにしているのだが、お相手も、都内に事務所をお持ちでない時が、一番困る。その時には、都内のホテルでのランチミーティングにさせて頂いている。一流のホテルなら、2時間くらい話し合っていても文句は言われない。今、私は、品川、汐留、日比谷、丸の内、渋谷など、お相手のご都合に合わせて、私が、お気に入りのホテルを使わせて頂いている。相当に高級なホテルでも1万円前後で済むので、レンタルオフィスを借りるより、遥かに経済的である。

次に、困った問題は、自分専属の秘書がいなくなったことである。秘書は、いなくなって、初めて、その存在の大きさを知る。自分が、これまで、効率よく仕事ができたのは、秘書が居たからだと気が付いても、もう遅い。特に、一番困るのはスケジュール調整である。この点は、フリーターとして、マルチジョブワーカーになったのだから、自身が主体的に管理するしかない。これに、一番便利なツールはGoogleカレンダーである。携帯電話でもパソコンでも、機種に限らず、どこでも更新できて、参照できるからだ。そして、私の場合は、3社の社外取締役をしていて、それぞれの会社で、私を担当して頂いている秘書の方がいる。そのため、この3人の秘書の方に、定期的に私のGoogleカレンダーファイルを送っている。

最後は、車である。お陰様で、私は、この10年間、車が付いているおかげで、仕事で、今日は、どこに、どのように行ったら良いかという心配をする必要は全くなかった。私の、運転手さんは、初めて行くところは、必ず、事前に一人で行ってみて確認しておられたので、現地の近くで迷うというようなことも皆無だった。しかし、私は、どういうわけか極度の方向音痴で、地図を見ても迷うのである。これは、物凄く不安である。そして、この10年間で、東京の地下鉄は全く変わってしまった。地下鉄以外でも、沿線の私鉄との相互乗り入れが進んで、どこにどう行って良いかわからない。

これに対して、本当に、有効なのは、Google Mapと乗換案内などのスマホアプリである。打ち合わせ場所が決まったら、まず、Google Mapに印をつけておく。そして、一番近い地下鉄の駅の出口を確認する。乗換案内で、所要時間と電車の乗り継ぎ方法を確認しておく。さらに、初めて行くところは、30分ほど迷っても良いだけの時間的余裕をみて家を出る。また、早く着き過ぎてしまった時のために時間潰しのカフェなどの場所を近くに確保しておくという準備をするようになった。最初は、こうした苦労も苦痛だったが、いまでは、むしろ楽しんでいる。

こうして書いてみると、リタイアする直前の自分は、むしろ、一人前の人間ではなかったことに気づく。私は、ようやく、当たり前のことが、当たり前にできるようになったとも言える。さらに、言い換えれば、これまで会社役員として行っていたレベルの仕事を、何のサポーターもない一介のフリーターとして、立派にこなしているとも言える。そして、もっと前向きに考えれば、私は、リタイア・モラトリアムとして、何だか、一丁前の起業家になったような気もしている。

385 リタイア・モラトリアム (1)

2018年3月24日 土曜日

 62歳くらいになった頃だろうか、もはや、これまで勤めた会社の社長になって、その後に、会長、相談役として生涯、会社に残れる可能性は、全くゼロだと覚悟した時に、日本経済新聞出版社 村田裕之氏著作の「リタイア・モラトリアム  すぐに退職しない団塊世代は何を変えるか」を読んだ。それで、突然、私は目が覚めた。リタイアしてから、「さあ、これから、どうするのかを考えるのでは、もはや遅い」と自覚したのだった。それから、2年後、3年後に迫る完全リタイア後の人生を今から設計しなくてはならないと真剣に考え始めたのである。

 幸いなことに、私の最後の職務は海外事業の総責任者だった。そもそも、海外事業は、日本の本社から直接経営に関与することは全く無意味であり、日常の経営は優秀な現地の責任者に任せるしかない。私の役目は、いかに優秀な現地人材をアサインするかということであった。その結果、アメリカ、ヨーロッパ、アジア地区において、経営を任せる優秀な人材を確保するため、世界レベルで活躍するヘッドハンターと日常的にお付き合いをさせて頂くことになった。村田氏が、その著作「リタイア・モラトリアム」で述べられているように、在職中に、どれだけ幅広く、社外の人脈を形成するかが、リタイア後の人生を決める大きな鍵となる。

 実際に、あと2年くらいで会社から去る時期になった時に、世界有数のヘッドハンターから、「社外取締役になりませんか?」というオファーを受けた。「どうしたものだろう?」と迷っている時に、本社の秘書室長に相談したら、「その会社、当社と直接利害関係にないので、お受けしたらどうですか?」と、あっさり許諾を頂いた。なんと、私は、社外取締役を兼任する富士通で、最初の現役役員となった。この秘書室長の寛大な措置は、今でも、本当に有り難いと感謝している。

 この社外取締役就任が、実は私の今後の展開で、大きなきっかけとなった。NHKのNC9で、日本を代表する社外取締役の一人として紹介されたからだ。その後、別のヘッドハンターからの紹介を受けて、あと2社の社外取締役に就任することになり、現在3社の社外取締役を勤めている。つまり、私のリタイア・モラトリアム生活は、40年以上勤めた富士通から特別な紹介があった訳でもなく決まったのだが、実は、最初の社外取締役就任に際して、寛容な許諾をしてくれた富士通に、私は多大な感謝をしている。

 東京証券取引所のご指導もあり、日本企業各社は複数の社外取締役の就任を義務づけられており、今、日本全体で4,500人の社外取締役がいるとも言われている。しかし、私の社外取締役としての同僚は、日本を代表する超一流企業の社長、会長経験者で、皆様、だいたい3社から4社の社外取締役を兼務されていることを見ると、実態は、とてつもなく厳しい競争であることがわかる。述べ人数は4,500人でも、実質は1,500人位なのだ。本当に立派な方々ばかりである。社外取締役として取締役会に出席する、一番の楽しみは、こうした同僚の社外取締役の方々と取締役会の前後に、フランクに議論できることにある。

 月曜日から金曜日まで五日間、月に4週間あるから、一般的な労働者の1ヶ月の実働は、大体20日間である。今、完全リタイアした、私が外に出かけるのは、およそ15日間である。その3分の1である月の5日間が社外取締役としての私の仕事である。内訳は、原則、月に一度の取締役会だが、四半期の決算時期には取締役会は月に2回開催される。また、最近は、社外取締役と社外監査役の意見交換会や、監査役からの独立社外取締役の定期評価も実施されている。その他にも役員研修会への参加や、私の場合は、昔の経験から、研究開発会議やグローバル会議への参加を要請されることもあり、これが実に充実した時間となっている。これらを平均すると、ほぼ月5日に相当する。
 
 私にとって、次の5日間は、講演と研究会で過ごしている。講演については、現在、日本を代表する、2つのエージェントに所属していて、だいたい平均して月に3回ほどの講演依頼がある。日程は、6ヶ月前に紹介され、大体が事前に登録している演題だが、結構、カスタマイズの要請がある。また、時には、主催者の要請でゼロベースから作成することもある。また、最近多くなってきた大学での講義の要請には、こうした題材を流用させて頂いている。私も、学生時代、大学の先生より、実業界で活躍されている方々の特別講義の方が面白かった。フレッシュな学生さんを前にお話しすることは、大変、やりがいのある仕事である。特に、今年は、一流国立女子大のリケジョ向けに講義する機会を頂き、大いに楽しみにしている。

 講演や講義をするというのは、実は大変な緊張感がある。やはり、人前で話す限りは、いい加減なことは言えない。私は、大体、自分が直接、見聞した話を、自分が撮った写真を使って話すのだが、それにしても、ベースになるデーターは必要だし、裏付けに必要なストーリーも要る。このために、いくつかの私的な研究会に所属している。こうしたインナーサークルは、参加資格も大変だ。価値のある素晴らしい話を、ほとんど無料で聞ける機会も多いのだが、その代わりに自身も話を提供しないといけない義務を持つ。皆さん、一流企業のTOPや大学教授を経験された方ばかりだから、いい加減な話はできない。そのための勉強も半端では済まない。

 最後の5日間は、病院への通院に費やされる。自分の分は、既に、治癒したガン、これから危惧されるガンの経過観察、睡眠時無呼吸症候群や、高血圧の定期診断など、月に3日程度なのだが、最近は、これに、93歳の母親の定期検診が加わった。昨年、瀕死の状態から蘇生した母親を、循環器、呼吸器の外来として、毎月、連れて行かなくてはならない。ご存知のように、最近の病院は、専門医が、週に1回しか来ないので、循環器と呼吸器を同じ日にすることは全く不可能である。病院の外来は、本当に、1日仕事である。しかし、母親と、長い時間を一緒に過ごすには良い機会ともなっている。母親と、面と向かって、数時間も、一緒に過ごすことなど、普通は全く不可能だからだ。

 こうして、私は、社外取締役関連で月に5日。講演、講義関連で、月に5日。病院通院関連で、月に5日。合計、大体15日は、外出している。一般サラリーマンの通例である、月に20日の就業日に比べて、残りの5日は、取締役会資料の査読や、講演、講義資料の作成などに費やされて、今のところ、趣味や遊びに費やす時間は殆どない。しかし、それでも、現在の、私のリタイア・モラトリアムは、極めて充実しているので、特に趣味を持とうとも思わない。いずれ、あと数年したら、取締役会もなくなり、講演や講義の機会もなくなるので、それから、ゆっくりと何をしようか考えていこうと思っている。

そうはいっても、出掛ける日とは言えども、全て終日ではない。空き時間は、殆どカミさんから依頼された買い物に費やしている。男も老いるが、女も老いる。70歳近くなったら、毎日、洗濯や掃除の他に、三度のご飯の料理まで、全てを自前でやってはいられない。ある程度の惣菜の購入は必須である。それも、毎日、同じところばかりから買ってきたら飽きるだろう。今日は、どこへ買いに行こうかと考えるのも、これまた楽しみである。

リタイア・モラトリアムとは、仕事ばかりの話ではない。リアルな実生活も含めて、神様から与えられた長い時間を、どのように有意義に過ごすかという重要であり、時には切実な問題も含めて解決する命題でもある。