この1年間ほど、日本各地で「AIの進歩」が「求人と雇用」に与える影響について講演をしている。先週、ある所で講演が終わった後で、恒例の質疑応答の時間に入った。何問かの質問に答えた後で、最後列で車椅子に座って聴講されていた高齢のご老人が怒った顔で次のような質問をされた。ご老人は、マイクをきちんと持っておられなかったようで、私には、よく聞き取れなかったのだが「いくらAIが進歩しても、私たちは今より幸せになれるのか?」、「AIは、我々に一体何をしてくれるというのだ?」という内容だったと思う。ご老人の感想は、日頃、私のAIに対する感じとほぼ同じで、全く当然とも言える質問内容だった。しかし、私は、その場ですぐに適切な回答を思いつかなかった。
その直後に、咄嗟に言った言葉が「今後、AIにできなくて、人間だけにできることは子供を産むことだけになるかも知れません」と言ってしまった。全く、なんという乱暴な回答だろう。もちろん、この受け答えは根本的に間違っている。AIにできなくて人間だけしかできないことは、それ以外にももっと沢山あるはずだ。しかし、これだけAIが進歩すると、近い将来にあれもこれもAIが実現してしまうのではないか?と思ってしまい、つい出た言葉だった。それほどに、毎日、新聞や雑誌、テレビで報道されるAIの進歩は急速で、右往左往する私たちを微塵の情けも見せずに置いてきぼりにしている。この進歩が、どのような影響を及ぼすものか、昨今のAI技術の急速な進歩は、私たちにじっくりと考える時間さえ与えていない。
机に座ってパソコンに向かって行う定型業務が、会社に行かなくてもリモートで実行できるということがコロナ禍の中で証明された。私の友人で、ある会社で社長を務める経営者は、これだけ「何ヶ月もリモートワークで業務を行っていながら全く影響なくコロナ禍前と同じように業務を継続できる」ことが信じられなかった。それで、ある日、自ら会社に行って事務所を見に行った。そこで彼が目にした景色は、驚くことに働く人が一人もいない無人の事務所だった。ここで、彼は欧米の一流企業が人事や経理といった管理部門を自社に持たずに外部へアウトソーシングしていることを思い出した。雇用が流動的な欧米の企業では、どこの会社も事務管理業務が標準化されているため、日系企業よりもアウトソーシングすることに全く抵抗がない。
こうした一般事務管理業を標準化した欧米の企業群では、アウトソーシングするのが容易なため、「AIエージェントで業務を自動化する」ことも、全く問題なくできてしまう。いくつかの欧米企業がコロナ禍でリモートワークを一般化した。そのコロナ禍が終息した後に、これらの業務を元に戻す過程で従業員を復職させずに「AIエージェント」化を進めている。私は、「AIの進化」で、今後何が起きるかを予測するだけの見識を持っていない。しかし、米国駐在経験以来30年近くアメリカを注視してきた中で「今、アメリカで起きていることは、3年後の日本で必ず起きる」という法則を知っている。この2−3年で起きているアメリカの「大離職時代」は、コロナ禍で減少した労働参加率がコロナ回復後も元に戻っていないことを示している。この労働参加率の減少は、一時言われていた「ベビーブーマーの一斉リタイア」に関わるものではなかったのだ。
むしろ、今のアメリカでは、大学を卒業したばかりの23-27歳の若年層の失業率が7%近くまで上昇し、全労働者の平均失業率である4%より遥かに高い。つまり、アメリカでは、多くの日本企業が切望している若い高学歴労働者は、むしろ余剰労働力となってしまった。トランプ大統領が次々と奇妙な政策を打ち出すのは、彼のビジネス感覚が狂っているわけではない。私は、むしろ、本能的に今のアメリカに抱いているトランプ大統領の危機感は実は正しいのではないかと思っている。ただ、そのために行なっている彼の施策が、あまりに短絡的で辻褄が合わないだけなのだ。その結果、今のアメリカの若者(α世代)達は、大学へ行くよりも、医療検査、塗装や配管、電気工事など手に仕事を覚えられる技術を学べる技術専門学校を志望するようになってきた。
こうした大学を卒業したばかりの若者が就職に苦しんでいるのは、アメリカばかりではない。中国では大学新卒で就職できない学生が20%にも及び、韓国では30%にも達する。昨年、アメリカで最大のコンサルタント企業は大学を卒業したばかりの若手コンサルタントを5,000人ほど解雇した。大学で学んだばかりで、現場の経験が乏しい若手コンサルの能力では「AIエージェント」に簡単には勝てないというわけだ。しかし、もっと恐ろしいことに、こうした若手の就職難が日本では全く語られないだけでなく、むしろ、企業間では大学新卒の学生を死に物狂いの取り合いが起きている。この理由の一つとして、それだけ日本の少子化が深刻だということもあるかも知れない。しかし、私がもっと恐れているのは、日本だけがアメリカや中国、韓国に比べて「業務のAI化」が遅れているのではないかという懸念である。
「蒸気機関」が登場した産業革命以降、「ガソリンエンジン」や「電動モータ」の出現で、それまで「力の源泉」だった「馬」は、産業構造の中では「馬力」という力量の指標としてしか残らなくなった。一方、「人類」が「他の種」に対して、これだけ大繁栄を遂げられたのは、あらゆる生物に勝る「知的能力」があるからだ。しかし、「生成AI」や「AIエージェント」の登場で、「人類だけが独占していた知的能力」より「物量的」にも「処理速度的」にも優るコンピューターによる代替能力が、これまでの人類だけが独占してきた「知的職業の存在」を危うくしてきている。逆に、知能指数が高くさえあれば、やりたいことは何事も望みが叶うという世の中であり続けることが、今後はますます難しくなるとすれば、それは歴史的に見て、逆に一つの進歩と言えるかも知れない。
しかし、豊富な知識さえ得られれば必ず正しい判断ができると考えることは一体どれほどの意味があるのだろうか? もし、そうであるならば「政治」や「宗教」という活動そのものの存在が必要なのかが、今後問われることになるだろう。しかし、つい最近アンソロピック社から発表された「Claude Mythos」という脆弱性発見を行うAIエージェントの登場が、AIが登場する前には当たり前だった「普通の人々が毎日安全な生活を送る」ということが極めて重要だと認識させることになった。現在、アンソロピック社は「Claude Mythos」をマイクロソフト、アップル、グーグルなどOSなどの基本ソフトを提供している40社に限定提供を行ない、最初の1週間で極めて危険な脆弱性を4,000箇所発見した。その後、1ヶ月に10,000箇所以上にまで増えている。各社とも、全力をあげて修復を行なっているが、現在、発見された部分の修正箇所は全体の1%にも満たない。
「Claude Mythos」は、2026年4月アンソロピック社が「ソフトウエアの脆弱性を発見・悪用する能力が、最も熟練した人間を上回るレベルに達した」と公式に認め、一般公開しないという異例の決断を下した「AIエージェント」である。さらに、アンソロピック社はAIを使って重要なソフトウエアの未発見の脆弱性を特定・修正することを目的とした「Project Glasswing (透明な翅)」という枠組みを作り、50以上の技術組織に「Claude Mythos」のアクセス権と1億ドル以上の利用クレジットを提供することを決めた。この組織に、AWS, Apple, Broadcom, Cisco, CrowdStrike, Google, JPMorgan Chase, Linux, Foundation, Microsoft, NVIDEA, Palo Alto Networkらが参加を許されている。アンソロピック社が一般公開しない理由は、「Claude Mythos」が脆弱性を発見するだけでなく、それを武器化する攻撃コードを作る能力を持つことが判明したからだ。
米国のベッセント財務長官はトランプ大統領に同行し5月14〜15日に北京で行われる米中首脳会談に出席する前の5月11日に訪日し、高市首相、片山財務大臣、植田日銀総裁と会談したが、この会談での内容には為替問題だけでなく、「Claude Mythos」を用いた日米共同対策連携についても話し合ったと言われている。その結果を受けて、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行の3メガバンクは、直ちに「Claude Mythos」対策へ動き出した。これら3メガバンクは、揃って、これまでスマホ連携を含めてネットとの融合を深めていたのだが、これらの重要戦略を先送りにしても「Claude Mythos」対策を優先する方針へと戦略変更する模様である。
最近の日本では、複数の大手優良企業がランサムウエアで大きな被害を受けている中、今後、ビジネス拡大に向けてネット化を深めていく金融機関は安全性を第一に行動する必要に迫られている。そして遂に金融庁は、日本の金融機関の首脳に対して、「万が一脆弱性攻撃を受けた場合は、躊躇わずに全てのシステムを停止させるべき」との指示を出した。本当に、私たちは、今、テクノロジーに攻撃されるという恐ろしい時代に生きていると自覚するべきだ。このように、過度に発展しすぎたデジタル空間で人類の安全を担保する保安装置として、今後はAIが人類のために役に立つことを望んでいる。