363 働き方改革について (6)

2017年4月14日

連日、メディアを賑わしている「働き方改革」というテーマについて、よくよく考えてみると政府と企業で、それぞれ思惑が少し異なることが見えてくる。政府は、とにかく労働者の所得を上げたいのだ。GDP600兆円を目指す、安倍政権としては国内の景気を少しでも喚起させたい。そのためには日本国内の総需要を増やしたいので、まず国民の年収を増やしたい。経団連を通じて大企業にベースアップを強く要求しているが、日本における大企業の労働者は就労人口全体の1割にしか満たず、中小企業、とりわけ非正規従業員の給与水準をあげたいと考えている。

それで、安倍政権は、欧米では当たり前になっている「同一労働同一賃金」という考え方を日本でも導入して正社員と非正規労働者とのギャップを縮めたいと考えている。現在、少子高齢化の進展で生産年齢人口が極端に減少しているので、結果的に非正規労働者の賃金のアップ率は、正社員のアップ率を超えており、両者の収入ギャップは少しずつ減少してきている。しかし、それでも正社員と非正規社員のギャップは未だ大きい。もともと、日本企業は儲けを社員に分け与える労働分配率においては先進国の中でも極めて高いので、これ以上賃金水準を上げることは極めて困難である。むしろ、まず日本企業が、最初に改善しなければならないのは世界水準に比べて際立って低い利益率である。

もう一つ、「同一労働同一賃金」という課題において、日本社会が抱えているもっと大きな問題は、年功による職能別賃金体系である。同じ仕事をしていながら、50歳代の社員は30代の社員の2.4倍ほどの年収がある。戦後から続いてきた日本企業の一家の大黒柱に対する「思いやり賃金体系」である。最近、既に、同一労働同一賃金の体系を導入している外資系企業から、日本企業に入社して10年ほど経つ30代の油の乗り切った優秀な社員が、どんどん引き抜かれている。日本企業では、40代社員に与えられる30-50%増の給与を外資系企業から提示されれば、30代の社員の心は揺れて転職しようかということになる。

しかし、外資系に転職した彼らも、40代になっても、30代と同じ能力しか発揮できなければ、日本企業とは違って給料が増えることはない。そうこうしている間に、50代になると、日本企業に勤めているかつての仲間に給与で抜かれてしまうのだ。同一労働同一賃金の外資系に転職したなら、もっと自己研鑽に励み、仕事の中でキャリアを磨き、より高度の仕事ができるようにならなければ、高い報酬を目指して外資系企業に転職した意味がない。しかし、よく考えてみると能力を向上させなくても年齢が上がれば自動的に給与が上がる日本企業だからこそ国際的に見ていつまでも低い利益水準を甘んじているのかも知れない。

さて、日本企業が給与水準を上げるためには、まず、原資となる利益を上げなければならない。先進国では最低と言われている日本の労働生産性を、いかに上げるかを先ず考える必要がある。日本人は、自分のことを世界でも一番の働きバチと思っている。それなのに、なぜ労働生産性が世界最低なのだろうか? つまり、無駄に働いているのである。日本の労働者は、一切の付加価値を生み出さない、無益な仕事に精を出しているのだ。「就職」でなく「就社」であるが故に、周囲との協調性に一番の力を注ぎ、「空気を読めない」と言われたくなく、仕方なく無駄な仕事を沢山しているので、会社も利益が上がらず、結果として給料も上がらない。

一方、そうした安倍政権が考えている「働き方改革」とは全く違った観点で、企業が進めている「働き方改革」は、残業ゼロ、有給休暇取得推進、在宅勤務など、ブラック企業とは正反対のホワイト企業としての懸命なアッピールである。とにかく、人材不足で必要な人が採用できない。新卒の学生に向けての、働きやすい会社としての訴求である。日本の学生は「就職」活動と言いながら、実態は「就社」活動であり、なんとか一流企業に就職できれば一生安泰と考えている節がある。毎日、少しでも新聞を読んでいれば、何十年も安泰な企業なんて殆どないことなど直ぐにわかるだろうに。

シリコンバレーで最も尊敬されているインキュベーター(スタートアップ企業の育成者)である、Yコンビネーターの創業者の著書に私は大変感銘を受けた。シリコンバレーで成功する起業家の3条件は、「25歳以下」、「独身」、「男性」であるという。いや、これは一種の比喩で、別に25歳以上でも良い、家庭を持っていても良い、もちろん女性でも良いのだが。シリコンバレーで成功するには、まず、第一に疲れない強靭な体力があること。第二には、失敗しても、路頭に迷わせる心配が要る家族がいないこと。第三には、朝から晩まで、なりふり構わず、髪振り乱して仕事ができることの比喩なのだ。

大した疲れもなく、毎日が楽しく過ごせる働き方で、君たちの将来はあるのだろうか?と若い学生諸君に、私は言いたい。それ以前に、そんなちょろい考え方の会社が、厳しい国際競争の中で長続きするとは思えない。早晩、君は、会社もろとも明日を失うだろう。会社倒産で放り出された君には、世間に自慢できる、どのようなスキルが備わっているというのだろうか。世界では、70億人のほどの人々が命がけで明日のために命を削って頑張っているのだ。

さらに、大学を卒業してから漫然と会社で言われたことだけをこなして、大したスキルを磨くこともなく、人並みのことしかできない君の仕事は、明日からは、もう人工知能が見事に果たしてくれる。昨日まで、人手不足でちやほやして甘い言葉をかけてくれた上司や人事部門は、「君、もう辛いなら、いつまでも休んでいいのだよ」と言ってくるに違いない。連日、メディアを賑わせている「働き方改革」など、君にとって幻想だったと気がついてももう遅い。

362   働き方改革について (5)

2017年4月9日

多くの職業が人工知能に置き換わるかもしれない近い将来に向けて、若者、特にまだ幼い子供たちには、今からどのような教育を受けさせたら良いのだろうかを考えてみたい。少なくとも、私たちが受けた教育の主眼は「知識の習得」であった。一流大学へ合格したいと思う生徒は、たくさん勉強して多くの知識を蓄えることに専念した。社会でも尊敬される人は、多くの知識を得た「学識経験者」と呼ばれる人々であった。しかし、これからは知識の豊富さでは圧倒的な人工知能との競争において勝てない。人間にとって、もっと重要なことは「知識力」より「考える力」や「創造力」である。

3年ほど前に、当時のスタンフォード大学のジョン・ヘネシー学長から、スタンフォード大学の教育方針を伺った。スタンフォード大学では、これまで、私たちが見慣れたような、先生が教壇に立って生徒に一方的に講義をする形での授業は行われないのだという。教材や参考書は事前に生徒に渡しておいて、授業では、生徒が解らないことを先生に質問する、あるいは先生が生徒に対して、どう理解しているかを質問する形で、いわゆるアクティブ・ラーニング授業が行われているという。

そもそも、私たちが受けてきた先生から生徒への一方向性の学校の授業の形は、近年になってからプロシャで始まった軍事教育訓練学校からだと言われている。つまり、生徒には余計なことは全く考えさせない、ある意味での洗脳教育であった。日本の教育体系はプロシャを引き継いだドイツから学んでいるので、生徒に考える余地を与えないで、皆に「右向け右」と同じ方向を向かせる、兵隊の養成教育方式が主流となった。先生と生徒が個別に習う、明治維新以前の寺子屋の方が、むしろ「考える力」を養う教育のやり方としては優れていたのかも知れない。

ただし、明治維新に貢献した多くの長州や薩摩の若い下級武士たちは、幕末からロンドン大学に入学して西欧の先進文化を学んでいた。当時のロンドン大学は世界で最も先進的な大学だった。オックスフォード大学やケンブリッジ大学が、英国貴族の男子しか入学を許さなかったのに対して、ロンドン大学は英国の平民以外に英国国籍以外の外国人、そして女性までにも門戸を開放していた。こうした多様性がロンドン大学の名声を高め、その評価がオックスフォード大学やケンブリッジ大学を超え始めた時に、両大学はロンドン大学を潰そうと画策したらしい。

さて、さらに明治政府が素晴らしかったのは、日本が西欧先進国に追いつく為に多くの優れた外国人教師を招聘したことだった。その外国人教師への給与支払い額は、当時の日本の国家予算の三分の一にまで達したという。まさに、「国家百年の計は教育にあり」である。その意味で、人工知能時代でもサバイバルできる子供達を育てる教育の本質とは何か? 英国やアメリカが、K12(初等中等教育)に対して、どのように考えているか、日本は再び、英国やアメリカから学ぶ必要があるのかもしれない。

英国教育省で伺った話は、次のようなものである。英国政府は、移民の流入増加や貧富の格差拡大で社会が、今以上に不安定になることを恐れている。私たちが訪れた部門の責任者の名刺にはInternational Education Divisionと記されていた。もはや、英国の小学生の20%近くが英語以外の言語を話しているからだろう。 そこで、英国教育省が力を入れているのが公立小学校の技術教育(デザイン&テクノロジー)である。たとえ大学を卒業できなくても、社会で立派に働いていけるための技術を子供達に身につけさせたいと考えている。その技術とはプログラミングであった。それも、5−7歳のクラスからプログラミング教育を始めるのである。

私が、見学に行った公立小学校では、正規の授業が終わる午後3時から、3−4年生クラスのプログラミング教育が行われていた。希望者だけというので、日本で言うと部活に相当するのだろうか。30人くらいのクラスに先生が二人、この方達は、かつてIT企業で働いてリタイアされたボランティアの方々である。皆、「スクラッチ」と呼ばれるビジュアル言語を使ってゲームソフトを開発している。それぞれが、ストーリーを考えて独自のゲームに仕立て上げている。先生は、生徒から呼ばれるまで助けることはない。私は、日本から半年前に転入したと言う小学校4年生の女の子に「楽しい?」と聞いてみた。「物凄く面白い。英語を話すのは、未だ上手ではないけれど、プログラミングは簡単に出来る」と自信ありげに答えてくれた。

この英国のプログラム教育では、与えられた命題をプログラム化すると言う教育ではない。自分で好きなストーリーで、どんな形のゲームに仕立て上げるのも自由なのだ。未だ小学生なのに、数式を使ってフラクタル図形を描いている子供もいる。それぞれが、自分のレベルに応じて好きにやらせている。もちろん、出来上がったものに対して先生は何の評価もしない。自分で、良くできたと思えば、それで良いのである。こうした、自由な教育こそが創造性を育てるのであろう。

次に、MITで長年、初等中等教育(K12)の研究プロジェクト(Blossoms)をリードして来られたLarson教授の研究室を訪れた時のお話をしたい。教授は、小学生が講義を聞いていて集中できるのは、たった2分間しかない。それ以上は、いくら話をしても頭には残らない。2分たったら、生徒の側に主導権を渡して、アクションをさせないとダメだと言う。それで印象に残るようにして、頭に刻んでから、次の説明に入ると言う手順が必要なのだと言う。それでも、頭に刻まれて知識として残ること自体も、さほど重要ではないと言う。その間、頭の思考回路が動いて、考えると言うことこそが最も重要なのだとLarson教授は言う。

Larson教授は、また、知識を習得すると言うことではなくて、「考える力」を習得するのに、一番有効な学科は「数学」と「科学」であると言う。皆が、エンジニアやPh.Dになるわけではないので、この「数学」や「科学」が得意にならなくても良いし、成績が優秀である必要もない。この「数学」や「科学」の問題を解き明かしていくプロセスの中で、頭にたくさん汗をかくことこそが重要であると言う。たくさん汗をかいた事で培われた子供達の「集中力」や「発想力」が、将来の可能性を高めるのだと言う。

人工知能が社会の中で大きな役割を果たす中で、重要なことは「記憶力」ではなくて、「好奇心」や「発想力」で、それらが「創造力」に結びついていく。私たちは、これまでの子供達の教育体系を大きく見直して行かなければならないかもしれない。

361  働き方改革について (4)

2017年4月7日

職場の中で、乳児を抱えて「時短」で働いているママさん社員を見つけるのは簡単だ。脇目も振らずに、ひたすら集中して仕事をしている姿は周囲から際立って見える。彼女たちは、限られた時間の中で最大限の成果を出そうと頑張っているからだ。だとすれば、彼女たちの働きを「時短」として扱うのが本当に正しいのか疑問である。アメリカでは、ホワイトカラー・エグゼンプションという制度で働いているので、殆どの、オフィスワーカーは成果だけで評価され、労働時間の多寡は問われない。もちろん、自宅で残務を行うのも行わないのも全く自由である。

アメリカ駐在中の同僚で、4歳の子供を抱えるシングルマザーがいた。彼女は既にマネージャーだったが、毎日、子供を保育園へ預けてから出社するので、会社に着くのは午前10時くらいだった。一方、帰りは、子供を迎えに行くため午後3時には帰社し、子供に夕食を食べさせて、お風呂に入れ、寝かしつけてから深夜に、また、会社に戻ってくることもあった。ある日、私が珍しく休日出勤すると、会社の廊下を子供が走り回っている。彼女は、子連れで休日出勤していたのだった。そんな彼女は、周囲からの尊敬を集めていて、その後、ディレクターに昇進した。

日本でも、男女雇用均等法案が制定されてから久しいが、いろいろな意味で、男女が同じ働き方をしているとは言い難い。そんな中で、各企業とも、女性の管理職比率を高めるための工夫を、いろいろされていると思うが、一方で、女性を管理職候補として推薦しても辞退されるケースが少なくない。彼女たちの言い分は「管理職になっても責任が重いだけで良いことはない。むしろ担当者として腕を磨きプロフェッショナルになりたい」ということらしい。

そして、その本音は、ご主人の転勤で、一度は退職し、次の転職先を探すときに、どのようなプロフェッショナルであるかが重要で、単に管理職であったことは何のキャリアにもならないからだと言う。それは、全く正しい考え方で、男性の元管理職が、定年後、次の就職先を探している中で、ようやく気づく法則である。課長だ、部長だと威張っていられるのは、その会社にいる間だけなのだ。ましてや、定年後、家の中でも、管理職面されて、あれこれ命令される奥様は耐えきれずに離婚したいと思うだろう。

いつになったら女性が男性と対等な立場で働けるのか?という課題が解決される前に、ひょっとしたら、女性たちは、近い将来、リープフロッグ現象で男性を一気に追い越してしまうかも知れないと私は考えている。リープフロッグ現象とは、インフラが遅れている新興国が、インフラの世代交代で、一気に先進国を追い越してしまうことをいう。例えば、固定電話の普及が一向に進まなかったナイジェリアが携帯電話の普及に関して一気に先進国を追い越した例を言う。

そうした将来を予感させる女性の著書を二つ紹介したい。その一つは、リンダ・グラットン女史が書いた全米のベストセラー「ワーク・シフト」である。彼女は、10歳になった我が子が、将来、一家の大黒柱となる30年後には、どんな職業についているだろうか?と考えた。今の日本で考えてみても、30年前に、大学生の就職ランキング上位だった大企業が、瀕死の状態にある例がいくつもある。特に、日本は「就職」と言いながら、実態は「就社」であり、今、業績が良く輝いている会社に就職しようとする学生が殆どである。しかし、現在の優良企業が、そのまま定年まで輝き続けるなどということは単なる幻想でしかない。

それに加えて、グラットン女史が考えたのは、人工知能のような技術革新によって、現在、存在する職業の6割は消滅してしまうのではないかということである。さらに、医学の進化で人の寿命は伸び続けて人生100年時代がくる。しかし、長寿社会は必ずしも良いことばかりではない。年金制度が持続できなくなるからだ。そうすると、人は70歳を超えてでも、何らかの形で働き続けなければ生きていけない。そうした世の中を迎えるにあたり、この10歳の子を、どう指導したら良いのだろうか?と彼女は考えた。

グラットン女史が主張する、孤独と貧困から自由になる働き方の未来図は、次のようなものである。世界の多くの人たちとの競争を避けるために、ニッチな領域で腕を磨いてプロフェッショナルになるということだと言う。そのためには、お金とか、昇進とかではなく、「経験」を求める働き方にシフトすべきだと言う。働く中で、日々進歩していく。そんな、働き方が出来れば、経験を重ねるほどに、年を取るほどに周囲から尊敬され、より生きがいのある人生を送れるのではないかと言うことらしい。

もう一つの著作は、エミリー・マッチャー作の衝撃作「ハウス・ワイフ2.0」である。ハーバード大学卒のバリバリのキャリアウーマンが新しい形の専業主婦になったと言う自伝である。マーケティングのプロフェッショナルとして業績を上げていたマッチャー女史は、会社と交渉し、フリーランスとして、今の仕事を半額近い報酬で引き受けることにした。彼女は、空き時間を使って家庭菜園で健康に良いオーガニック野菜を栽培し、子供も学校を辞めさせてホーム・スクーリングで教えることにした。実は、アメリカでは、子供を学校に行かせないで自宅で教える人が結構いる。集団活動については、ボーイスカウトとか、アイスホッケーとか学校以外で学ばせる。

そんな彼女は、SNSを駆使して、友達とワークシェアをしたり、新たな契約先を紹介してもらったりして、現在の年収は、会社勤務の時とほぼ変わらない水準まで戻っている。ガラスの天井を突き破るべく、毎日、昇進競争に明け暮れていた会社生活から脱して、自由な働き方をする専業主婦になったグラットン女史を真似て、今、アメリカではエリート女性の家庭への回帰志向が流行っているらしい。その要因としては、アメリカ社会でも職場の男女格差への不満がある一方、女性は男性より環境問題に敏感で、エコ志向が強く、現代消費社会への警鐘として手作り価値を見直そうと言う考え方もあるからだと言う。

そして、こうしたマッチャー女史のような考え方が、今、アメリカの20-30代の男性にも少しずつ浸透してきている。まさに、リープフロッグ現象である。ひょっとしたら、21世紀の新たな働き方改革は女性がリーダーシップを取って進められるのかも知れない。