368 光り輝く女性たちの物語(16)

2017年6月23日

このシリーズで、どうしても書きたかった女性である水戸部優子さんと、ようやくお会いでき、その軽やかで変化に富んだ半生について大変感動的なお話が聞けたので、ここで、ご紹介したい。そもそも、私が優子さんを知ったきっかけは、ある女性の友人が「水戸部優子さんという凄い女(ひと)に、ぜひ一度会って話を聞いてみたら」と推薦して下さったからである。早速、Facebookで優子さんと友達になったのだが、まずそのプロフィールの学歴を見て驚いた。宝塚音楽学校、慶應大学経済学部卒業という記述には想像を超える大きなギャップがある。

そして、その優子さんのFacebookには日常生活をうまく切り出したセンスある写真に言葉少ないコメントが付された投稿が数多くアップされている。言外にミステリアスな世界を彷彿とさせる余韻がなんとも言えない。やはり、どうしても会って見たいという気持ちを長い間持ち続けて、この度、ようやく実現した。待ち合わせたレストランに優子さんは先に着いていて、しかも多くの女性客で混んでいたが、私は初対面の優子さんをすぐに見つけることができた。宝塚歌劇で10年近く舞台に立っていた優子さんは、それほどのオーラを全身から解き放っていたからである。

優子さんは、東京の下町、秋葉原で生を受けた。今でこそ秋葉原は、AKB48や各種サブカルチャーといった芸能の発信地であるが、優子さんが生まれた時の秋葉原は、日本一の電気街、パソコンやインターネットの聖地であった。だから優子さんの小学生のとき「将来はプログラマーになりたい」と書いていた。また、当時私が開発責任者だった富士通のマルチメディアパソコン「FM-TOWNS」の愛好者で、まさに当時流行した「デジタルキッズ」の一人でもあった。そんな優子さんは秋葉原から少し遠い国会近くの永田町小学校へ越境して通っていた。

レーガン大統領が訪日した際に、ファーストレディであるナンシー夫人が永田町小学校を訪問し、数人の生徒と一緒に合唱するイベントが催されることになった。TV報道までされる、この重大イベントに優子さんは見事に選ばれたのだ。そんな初舞台であった優子さんは、少しずつ舞台に立つことに興味が湧き、いくつかの習い事の中でもバレエに興味を持っていた。しかし、ピアノ教師だった母上は、ピアノそっちのけでクラシックバレエに専念する優子さんの行動が気に入らず、バレエの習い事をやめさせてしまった。

それでも舞台に立つという夢を諦められなかった優子さんは、カトリック系女子大学付属高校2年の時に一念発起して宝塚音楽学校を受験。普通に考えたら17歳からのスタートはあまりにも遅すぎる。しかし、何のコネも無く1,600人の応募者の中から100人を選ぶ一次試験を通過したことで、その道に進んでも良いという母上の了解を取り付けた。流石に半年では準備不足で、当時、寄宿舎生活であり、満足にバレエ教室に通うことも出来なかったこともあってか二次試験は手も足も出なかった。しかし、翌年、高校3年生のラストチャンスで、寄宿舎を出ることを説得し、最後の半年は新幹線通学をして平日も宝塚音楽学校を目指す予備校で稽古に励んだ。その結果、見事に、難関を突破して、宝塚音楽学校への入学を果たした。身長170cmを超える長身の優子さんは、当然、男役である。同期では娘役トップの「彩乃 かなみ」「紫城 るい」がいる。同じ組の先輩には娘役トップの「壇 れい」がいた。

自分は本当に不器用で下手だったと優子さんは言う。しかし、その10年間は自分にとって決して無駄ではなかった。宝塚は、毎回、新しい作品と出会え、毎日が楽しかったし、長い間舞台に立つことによって自信と度胸もついた。そして、何よりも、そこで出会った仲間達はかけがえのないものだった。そんな優子さんの生活は、他の劇団生とは少し違っていた。仕事が休みの時、優子さんは公演の合間にニューヨークやパリでホームステイをして芸術鑑賞をし、周囲がいわゆるタニマチやファンに会っているときに、むしろ宝塚に興味の無さそうな、別の世界で活躍している人々と交流していたそうである。それが、宝塚を卒業した後で、経済活動の仕事をしてみたいと思うきっかけとなったようだ。

宝塚を退団した後の、優子さんは新興コンサルティング企業に就職する。そして、社長に働きながら大学に行かせてくれと懇願し、慶應大学経済学部へ入学した。優子さんは、今でも、この時の社長の英断には感謝しているという。大学に通いながら先輩コンサルのアシスタントにつくが、そのプロジェクトがことごとく成功を納めたのである。もちろん、優子さんが強運の持ち主であったこともあるだろうが、私は、異文化の融合による共創が成功の大きな要因であろうと推察する。

やがて、今度は同じ会社でヘッドハンターとして独り立ちすることを勧められた優子さんは、時期尚早であると何度も断ったそうだが、やってみるとさらなる快進撃を続けることになった。ヘッドハンターは、文字どおり、今まで会ったこともない企業のVIPとやり取りをする一匹狼である。この時に、宝塚歌劇の舞台に立っていたという経歴はVIPと会うという障壁を低くしたことは間違いないだろうし、また彼らと堂々と渡り合えたのも、宝塚で培った度胸が役に立ったとかも知れないと優子さんは言う。気がつけば、優子さんの担当クライアントの年間の売上が社内で1位になっていた。そんな充実した生活を続けていると「また、違うことをして見たい。人材業の幅を広げたい。引く手あまたな方の転職よりも、本当に自立が困難な方の支援をしたい」と言う優子さんの挑戦者魂が頭をもたげてきた。

こうした時に優子さんの頭をよぎったのは「発達障害」と言う言葉である。「発達障害」は、「障害」という一括りの言葉では語れない。Apple創業者のジョブスやFacebook創業者のザッカーバーグも「発達障害」と言われており、発達障害者達は、他の人が普通に出来ることが出来ない代わりに、普通の人が出来ないことが出来る人もいる。あるいは、視覚や聴覚が過敏なために、普通のコミュニケーションが取りづらいとも言われている。今から思えば、ヘッドハンティング時代に出会った数多くの優秀なキャンディデートにもその兆候が見られた。

優子さんも、自分は、たまたま運よく順調に人生を切り開いてきたが、ひょっとしたら自分も発達障害の兆候を一部共有しているのではないかと思い始めたのだ。優子さんの、その感覚は、私にもよく理解できる。私は小さい時、皆と群れることが好きではなくて、その結果、友達も少なく、いつも兄弟三人で遊んでいた記憶がある。私と優子さんも、出会った瞬間からお互いに発達障害的な匂いを感じて、今回、中身の濃い話しが出来たように思う。とにかく、優子さんは、ヘッドハンターを辞めて発達障害者の就労移行支援組織に参加することにした。

その組織は、NPOではなくて株式会社である。優子さん以外にもユニークな職歴のメンバーが勢ぞろいしていて、もちろん、公的な支援はあるものの、この会社は、その支援金によってのみ発達障害者をケアするという考え方ではない。公的支援が抜け落ちる期間である大学生向けのサービスも含めて、発達障害者の才能を活かすことによって、本人も雇用者も共に利益を得られるようにすることを目的として難度の高い職業訓練も用意されている。東京都が出している指標として年間6人就職すれば優良事業所と認定される中で、優子さんの事業所は約40名が就職。さらに定着率も良いとのことである。

はじめは困っている方の支援をしようと思い飛び込んだが、結果として、発達障害の支援を学ぶことは、人と接する際のヒントが沢山つまっていて、自身の学びのほうが大きかったそうだ。賛同してくださる企業や、障害者の家族の方々がどんどん増えてきて、今や、入所希望者が収容能力を大きく超えており、順番待ちの長い行列ができているのだと優子さんは言う。確かに、こんな元タカラジェンヌの綺麗なお姉さんから優しく褒められて励まされたら、今まで、少し落ち込んでいた人たちも、これから頑張ろうとやる気を出すに違いない。またもや、華麗な転身を遂げた優子さんである。しかも、今度の仕事は社会の共通善に根ざしており大義に沿っている。なんとも素晴らしいとしか言いようがない。

さて、優子さんは、これからどんな人生を歩むのだろうか? 優子さんは宝塚在団時からアート作品に興味があり、最近は若手アーティストを支援するプロジェクトの一員にもなっている。また、10年ほど前から相撲が大好きになり高砂部屋へ応援に通っている。もっとも、優子さんのタニマチは、お金持ちでお大尽のタニマチではなく、デジタルキッズらしく、ネットを使ったプロパガンダを行なっているタニマチではないだろうか。今の相撲人気も相撲界の近代化が大きく貢献しているのであろう。

確かに、今の相撲は面白い。私も、今や大好きなスポーツ番組は、プロ野球やサッカーより、とにかく大相撲になった。昔に比べてスピードがあるし、やはりガチンコ相撲は見ていて迫力がある。今度、私も、高砂部屋に招待して頂けるらしいので楽しみにしている。そう、次の優子さんの仕事は、アート・芸術に関わる仕事なのか、ひょっとするとどこかの相撲部屋の女将さんかも知れない。こんな素晴らしい話を聞かせてくれる優子さんは、日本を代表する「光り輝く女性たち」の一人である。

367 アマゾンがホールフーズを買収

2017年6月18日

ネット通販の巨人、アマゾンが高級食品スーパーのホールフーズを137億ドル(1兆5千億円)で買収した。この記事は、私にとって、いろいろな意味で感慨深い。それは1998年から3年間にわたるアメリカ駐在生活においてホールフーズは毎日通っていた食料品店だったからだ。私が住んでいたアパートがあるクパチーノ市は、アップルの本社もあり、シリコンバレーでもどちらかと言えば高級住宅地であった。ホールフーズは、その自宅から300mからしか離れていない所にあったからだ。

ホールフーズが他の大手食品スーパーより価格が高いにも関わらず、いつも繁盛していたのは、あくまで「食の安全」に拘っていたからだ。例えば、多くのアメリカ市民は遺伝子組換作物など全く気にしたりはしない。それにも関わらず、ホールフーズは遺伝子組換作物が含まれた商品は一切販売していなかった。また、野菜や果物はパック詰めしないで1個単位で量り売りしてくれるサービスもやっていた。これは効率から見たらとんでもない手間を発生する。しかし食材廃棄問題の観点から見ても、特に単身赴任だった私からしてみれば、必要な量だけ買えるのは大変ありがたかった。

今、アメリカの生鮮食品業界で妙なことが起きている。貧困者が多く住むスラム街から八百屋など生鮮食品を売る店が消えたと言うのである。つまり、アメリカで起きている貧富の格差は、生鮮食材を買って家庭で調理するという習慣をなくしてしまったのだ。彼らは、政府から支給されるフードチケットでファストフードを買うのが精一杯だからだ。つまり、生鮮食品は、もはや中間層以上の生活にゆとりがある世帯の購入品となってしまった。アマゾンは、こうして高付加価値商品となった生鮮食品に注目したのだろう。

もう一つ、私は若い時に大手食品スーパーの仕事で半年ほど、現場に常駐したことがあるが、驚いたのは生鮮食品が鮮度を保つために30%近く廃棄されていることだ。つまり、仕入れと販売をもっと効率よくやれば、さらに値下げできるし、利益率も上げることもできる余地があるということだ。そうした、諸々のことがアマゾンを生鮮食品市場に参入するきっかけになったのだろう。

それにしても、本や衣料品と異なり生鮮食品の搬送は厄介である。そうした中で、アマゾンは日本でも東京都内から生鮮食品を扱うアマゾンフレッシュを開始した。ヤマトですらクール宅急便では相当に苦労されてきた。しかも、現在、ヤマト自身も宅配ビジネスに関しては人出不足で悩んでいて、アマゾンとヤマトの価格交渉も熾烈な戦いの中で、アマゾンは、この新ビジネスをどう拡大していくのだろうか? もう、だいぶ前だが、ヤマト運輸の社長をされた都築さんとお会いした時に「アマゾンとの関係は、今後どうなるのでしょうか?」とお伺いしたことがある。都築さんは、「多分、将来、アマゾンは自分で宅配業務をやるでしょう」と仰ったことが、今でも忘れられない。

それにしても、アマゾンの積極的な事業領域の拡大は、一体、どこから来るのだろうか? アマゾンの創業者であるペゾスはキューバ移民の子供である。しかもペゾスは生まれて直ぐに両親は離婚して彼を捨てた。そのペゾスを引き取り育てた養父もキューバからの移民であった。やはり、裕福なアメリカの家庭で育った若者とは最初から覚悟が違うのだろう。ネット通販の本屋を始めたのも、アメリカではバーンズ&ノーブルが全米でチェーン店を展開していて独占していた書籍市場が一番難しいので、本から始めたのだという。

ペゾスは、まず、ネット販売で不可欠なインフラであるIT投資よりも倉庫を作ることに大金を使った。ネット通販で最も重要な投資は倉庫だと思ったからだ。この辺が、他のIT創業者と全く違うところである。ペゾスはバーチャルよりリアルなビジネスを優先したのだった。しかし、売り上げが拡大して来ると脆弱なITインフラが次々と問題を起こす。そこで、ペゾスは、二度とITインフラが原因となる障害を起こしてはならないと部下に無制限の投資をするように命令する。その結果、アマゾンのクラウド能力は、アマゾン以外の全てのクラウド事業者の総合計を超えるほどの過剰なインフラ能力を持つに至った。

この過剰なITインフラを使ってアマゾンは世界を席巻するクラウドサービスであるアマゾンウエブサービス(AWS)を開始した。もともと、赤字を全く気にしないペゾスの強引な戦略はAWS事業で60回以上の値下げを断行し、競争者を次々と駆逐した。それでも、価格が安いだけのAWSの信頼性はどうなのか?という不安は誰もが持っていた。それを覆したのが、アメリカ政府の国防総省商談においてアマゾンがIBMを破って獲得した「アマゾンショック」であった。最近、日本でも三菱UFJ銀行が基幹システムにAWSを導入すると発表するところまで来ている。そして、AWSは、今や、アマゾンの稼ぎ頭になった。

さらに、アマゾンは米国で人工知能を内蔵し会話ができるAIスピーカー「Amazon Echo」を、この7月から発売し、近々日本語版も発売する予定だという。一方、Googleも「Google Home」も、今夏よりアマゾン対抗としてAIスピーカーを発売する。人工知能と言えば、Googleが一歩先を進んでいて、この勝負はGoogleが勝つように見えるが、私は、そうは思わない。なぜなら、Googleは、実にいろいろな分野に着手し、多くの話題を提供しているが、今もGoogleの利益の殆どは広告から得ていて新規事業は全く成功しているとは言えないからである。

一方で、アマゾンは、最初から純粋なIT企業というより、リアルな業態で事業拡大し、後からITを付加している。今後、アマゾンは、Amazon Echoを利用して、これまでITリテラシーが乏しくネット通販に親しめなかった人たちに参加させる機運を高めることになるだろう。買い物難民は交通手段が乏しい地方だけではない、高齢化に伴い都会でも買い物難民は増えていく。きっと、Amazon Echoはアマゾンの生鮮食品ネット通販を支えることになるだろう。

ただ、ネット通販の先進国であるアメリカで何が起きているか?は、やはり気になるところである。今、アメリカではショッピングモールが、どんどん潰れている。例えば、スポーツ用品の店は、もはや、街では殆ど姿を見ないという。最も取り扱いが難しい生鮮食品までもがネット通販で行われるようになると、リアルな店舗でしか買えないものは一体何が残るのだろうかという不安もある。街を歩きながらのショッピングは、誰でも楽しいものである。お店が全てなくなったら、私たちは、どこへ行けば良いのだろうか?

366 シリコンバレー最新事情 (3)

2017年5月14日

シリコンバレーは、これまでとは全く異なる手法で既存ビジネスを破壊し、新たな起業を成功させる。そうした破壊的創造という観点で、世界の注目を集めてきたイノベーションの聖域である。この度、その典型とも言えるスタートアップに巡り会えた。その名はZymergenというバイオ・テクノロジー企業だった。この会社は微生物によって新素材を生み出すことを目的としている新興企業である。この会社の共同創業者で最高技術責任者(CTO)と会食をして話を聞くほどに、ソフトバンクが、この会社に$120M(134億円)を投資した理由がよくわかった。さすが、孫さんの目利きは凄いものだと改めて感銘した。

このCTOはバイオ・テクノロジーとは全く関係ない、門外漢の物理学者である。IPS細胞の発見でノーベル賞を受賞された山中博士も4つの遺伝子がIPS細胞の出現に関与していることでノーベル賞を授与された。そこに至るまで、チーム山中にとっては、本当に涙ぐむほどの努力が必要だった。このZYmergenのCTOは、そうした山中教授のIPS細胞発見物語の景色を見て、これは、なんだか少しおかしいと感じたのだ。何で、Ph.Dを取得した高級人材が、毎日朝から晩までスポイトと試験管の間で、黙々と同じ作業をしなくてはならないのかと思ったのである。

こんな作業はロボットがやる仕事だと彼は直感した。ロボットにやらせれば、誤ってミスしたりしないし、24時間365日、文句も言わずに、ただひたすら作業を続けるに違いないと考えたわけだ。もちろんPh.Dまで取得した高級人材にはインテリジェンスもあるので、可能性が高そうな遺伝子を選んで実験をするので効率は良いのかも知れない。しかし、遺伝子工学というのは、どうも理論的に納得できる結果を必ずしも得られるわけではない。それよりも、何も考えずに、あらゆる組み合わせを、ただひたすら総当たりで実験した方が、よほど効率が良いのではないかと、その物理学者は考えた。こうした発想は、バイオ・テクノロジー専門の研究者では発想できないものだったと思う。

実際に、それは正しかった。その次に、総当たりで見つかった遺伝子を二つ組み合わせてやってみることも、総当たりでやって見た。例えば、10%新素材の生産効率を向上させる遺伝子を二つ組み合わせれば、20%の性能向上というわけには必ずしも行かないのだ、殆どの組み合わせが0%に戻り、僅かの組み合わせが30−40%の性能向上につながることを発見した。次に、この有効な2つの遺伝子変更をした同士を、また総当たりで組み合わせて、その効果を測ってみる。そうした繰り返しで、衝撃的な新素材を生み出す、新たなバイオの発見につながるのだという。そうしたプロセスで発見された新素材を見せてくれた。透明な薄いフィルムだが、摂氏400度以上の高熱にも耐えられるのだという。

遺伝子組み換えというバイオ・テクノロジーの世界に、これまでバイオとは全く関わってこなかった物理学者が、バイオ・テクノロジーの世界の開発手法を一変させた。まさに破壊的創造である。これまで、閉じられてきた世界でひたすら研究開発してきた人たちには全く想像もつかなかった新たな開発手法を、全く別な分野の人たちが考え出す。これこそが本当のオープン・イノベーションであろう。祖国を捨ててアメリカに移り住んだ、不退転の決意を持った移民が作り出した破壊的想像力の文化こそがシリコンバレーの底力となっている。

よそ者だからこそ、何かおかしいと気付くことがある。それこそが多様性の強みであろう。私も富士通をリタイアして、富士通とは全く関係のない業種の社外取締役を務めさせて頂いている。もちろん、その業種に対しては全くの素人であり、長年、それをやってきた人たちには本来敵わないはずである。しかし、当たり前のように議論されていることで、私から見れば、全く腑に落ちないことが少なからずある。そうした時には、恥を忍んで、ご意見を申し上げることにしている。「この方は、何を言っているのだ?」と直ぐには理解いただけないことも多いのだろうが、後で、そういえばと気がついて頂ければ幸いと思っている。

オープン・イノベーションとは、何も競合企業と仲良く協業をするということを意味するわけではない。幅広く、異なる業種の人々の意見に耳を傾け、自分たちがやっていることは本当に正しいのかを改めて検証するという意味で価値があるのだと思う。イノベーターは、常に現状システムの破壊者でなくてはならない。そのためには、社内の既存勢力の抵抗にも贖わなければならない。その贖うことへの正当性を立証するのに、シリコンバレーは役に立つこともあるだろう。何しろシリコンバレーは、現状に対する破壊者ばかりの集団だからだ。