2025年2月28日金曜日に行われたトランプ大統領とゼレンスキー大統領で行われる予定だった首脳会談は、事前の記者会見における言葉のやり取りで破談となった。最初は順調に進んでいた会談が、突然おかしくなったきっかけはバンス副大統領からゼレンスキー大統領に投げかけられた「失礼だ!」と言うクレームだった。いよいよ停戦に向けて何かが動き出すのではないかと言う世界中の人々の期待は、このバンス副大統領の発言で脆くも飛び散った。就任以来、次々と世界を驚かす大統領令を発し続けるトランプ大統領の政策は、世界を落胆させると言うよりも恐怖に陥れている。
アメリカの人々は、「どうして、この人を大統領に選んだのか?」と全く不思議に思わざるを得ない。前任のバイデン氏は、アメリカの危機に対して殆ど何もしなかったとは言え、これだけ奇異な政策を実行するトランプ氏は、本当に「アメリカを再び偉大にできる」のだろうか?トランプ氏が選挙期間中に訴えてきたアメリカの問題点は、大きく分類すれば、次の2つだった。一つ目はアメリカにおける製造業の衰退。二つ目が薬物障害に侵される人々の増大だ。トランプ氏に投票した人々は、こうした深刻な問題を解決するには、少々乱暴でも従来とは異なる革命的な手段を使わないと実現出来ないと思ったからに違いない。
何と言っても、現在のアメリカが抱える一番深刻な問題は「アメリカ製造業の衰退」だろう。第二次世界大戦後、アメリカ以外の世界中の全ての工場が爆撃で破壊された。そのため世界中の旺盛な需要を「アメリカの製造業」が支え、前代未聞の繁栄を築くことになった。その後、「アメリカの製造業」の象徴であった自動車産業がおかしくなり始めた。GMやフォードも、もはや在りし日の面影はない。今から25年ほど前、当時アメリカに住んでいた私は、毎朝の通勤時に道路脇に故障が原因で止まっているアメリカ車が、まだ買ったばかりのピカピカの新車であることに驚いた。職場でも、アメリカ車を買った仲間を、周囲の同僚は「あいつ最近、お金に困っているな!」と言う雰囲気で見ていた。品質の高いドイツ車や日本車がアメリカ市場を席巻して行ったのは当然の成り行きと言えた。
その後、世界中が製造業の見本と憧れていた「GE」が突然おかしくなった。リーマンショックが起きた2008年には、すでに金融業に転身していた「GE」は「製造業銘柄」としての存在価値すら無くなり「ダウ指定銘柄」から外された。そして、今や、かつて、アメリカがほぼ独占していた航空機製造業の盟主であった「ボーイング」がおかしくなっている。ボーイングは既に機体の多くの部分を日本メーカーに外注して航空機を製造していたが、昨今の相次ぐ品質問題で先行きが懸念されている。さらにボーイングは、将来を見越して新たに進出した宇宙産業でも相次ぐ失敗で「スペースX」に追いつく様子は全く見えない。日本の防衛省は、次期戦闘機の開発を英国、イタリアと3カ国で開発するプロジェクトを進めているが、既にアメリカの航空機産業を見切ったということなのだろうか。
さらに、最近ショックだった事は、あの世界一優秀な半導体製造業者であった「インテル」が巨額の赤字で、その存続さえも危ぶまれていることだ。インテルの最大の強さは、高い歩留率を誇る高度な製造技術にあった。インテルの驚くべき戦略は、常に「最新の製造装置」を使わないことだった。最大の強豪であるAMDが「最新の製造装置」で作った微細半導体に匹敵する性能を持つ最新製品を「AMDより一世代古い安定した製造装置」で製造する巧みな技術をインテルは持っていたからだ。このため、インテルの歩留まりはAMDより遥かに高く、同じ価格で販売すれば得られる利益で圧倒的な強みを発揮できた。しかし、AMDが自社製造を断念し、最新微細技術を巧みに使いこなす台湾のTSMCに製造を外注した結果、インテルはAMDに勝てなくなった。インテルとTSMCの製造技術の違いは、アメリカ国内の競争とは全く異なる次元の戦いを迫るものだった。
製造業は多くの熟練した労働者を必要とするので、彼らに安定した報酬をもたらす産業として、これまでアメリカの中間層を支えてきた重要な位置付けにあった。こうしたアメリカの製造業が次々と競争力を失った結果、アップルのように開発と設計はアメリカの技術者で行うが製造は中国で行った方がコストも品質も良くなると言う「ファブレス方式」がアメリカの製造業で主流となってきた。その結果、いわゆるラストベルトと言われる、これまでアメリカの製造業を支えてきた地帯が衰退し、多くの工場労働者が職を失った。さらに、失業した工場労働者の多くが男性で、彼らは収入を絶たれたことで、妻からは離婚され独り身となって薬物に身を投じる浮浪者となって街を彷徨っている。彼らが常用しているフェンタニルと言う薬物は、従来の覚醒剤より遥かに安価で毒性の強い物質である。
トランプ大統領は、このフェンタニルを製造しているのが中国で、カナダやメキシコ経由でアメリカに持ち込まれていると主張しているが、多分、大きくは間違っていないかも知れない。さらにトランプ大統領は、この薬物障害の問題とアメリカの製造業衰退とはリンクしていると主張している。それも概ね正しいだろう。そして関税政策でアメリカへの輸入を制限すればアメリカの製造業は必ず再生するとトランプ大統領は真剣に考えている。しかし、TSMCにアメリカ本土に最先端の工場を建設させて、アメリカの半導体製造業は本当に復活するのだろうか?日本の熊本にTSMCが建設中の半導体製造工場は、順調に調整が進んでいるようで、近日中に本番稼働を実現するだろう。一方でTSMCがアリゾナ州に建設中の半導体製造工場は想定以上に難航しているとの噂がある。
元来、製造業は資本と設備だけを持ち込めば工場を移管できるものではない。そこで働く人たちの存在が最も重要である。これだけ製造業が衰退したアメリカに最も欠けていたものは、実は工場で地道に働く人材に対する尊厳ではなかっただろうか?現在のアメリカで最も尊敬を受けているビジネスは、金融業とIT業である。この二つの主要産業でアメリカは世界を支配し、現在の繁栄を築き上げた。しかし、アメリカを支えてきた、この二つの産業は巨額の利益を生み出している一方で、多くの労働者を必要としていない。今後、ますますAIが進展する時代になれば、今以上に、ほんの僅かな優秀な人材だけで、この二つの産業は支えられるようになるだろう。しかし、金融業とIT業だけで人々は暮らしてはいけない。食糧を担う農林水産業と、ものづくりを支える製造業は絶対に欠かせないのだ。
こうした矛盾を解決するために、これまで多国間でお互いに得意な分野で協力し合うようお互いに知恵を絞って自由貿易を推進してきたはずだ。しかし、トランプ大統領が主張するように、アメリカの製造業を再生するためには、多額の関税を掛けて鎖国状態にしか策がないとすれば、アメリカの国民は、今後何十年も、毎日、普通に生活するのに従来以上に高額の支払いが必要となるだろう。つまり、昨年の大統領選挙で、アメリカ国民が、本当に正しい選択をしたのかどうかがわかるまで、もはや、それほど長い時間は必要ないだろう。