トランプ大統領が次々と発表する一見唐突と思われる政策の裏側には、彼が心配しているアメリカが抱える大きな懸念がある。それは、急速に発展するAIが、アメリカだけでなく世界の労働市場に及ぼす大きな影響と関連している。既に、Open AIが生み出した「Chat GPT」による生成AIは、高学歴に支えられた高給を得ていたホワイトカラーの職を少しずつ奪っている。なんと言っても、この生成AIは、プログラミング能力が抜群で難関なGoogleの入社試験も軽々合格するほどの能力を持っている。そのせいかコロナ禍が終息し、生成AIの登場以降、この3年ほど、アメリカのビッグテックに勤める従業員数は殆ど増えていない。
現在、最新の生成AIが保有する知識の量は、既に各分野の専門家を超えており、もはや人間を遥かに優れた「神の領域」に到達している。この生成AIは、どんな質問にも的確に回答するため、もはや余程の上級者ではない標準レベルのコンサルタントでは働く場所を奪われている。つまり、長い間、一生懸命勉強し、多くの知識を蓄えた高学歴の人々にとって、その間に培われた能力を持っているというだけで高い報酬を得ることが難しい時代になったと言えるだろう。そのためか、現在のアメリカでは大学を卒業して4−5年以内の22歳から27歳までの若年層の失業率が7-8%にも及び、全ての分野の平均失業率である3-5%より遥かに大きな数字となっている。
現在の日本では未曾有の人手不足時代と言われており、大学新卒者90%以上が職を得ている。若者にとって極めて幸いな時代である。しかし、お隣の中国や韓国では大学新卒30%近くが職を得られず苦しんでいる。その数字は、中国や韓国の高学歴の若者が、アメリカ以上に苦しんでいることを示している。ひょっとすると、これらの数字を見ると、日本の産業界におけるAIの利用状況が世界の中でとんでもなく遅れているのかも知れないと懸念する。日本はAI化以前に、既に起きるべきだった産業のデジタル化ですら世界から遅れているからだろうか。むしろ、今の日本では、この2、3年にわたって深刻な人手不足を反映して、従来に比べて高い賃上げが続いている。
しかし、賃上げ率以上に円がドルに対して安くなっていることを忘れてはならない。日本の賃金をドル換算で見てみれば、この円安の状況で世界的には賃金は殆ど上がっていないことがわかる。日本の食料自給率は低く、殆どの食材を海外からの輸入に頼っているので、食料品を含む毎日の生活費はどんどん高くなり生活が苦しくなっている。しかし、私たちは、このドル自体も世界の中でどんどん安くなっていることを忘れてはならない。つまり、円は今やアジアで最安値の通貨となっている。昨年、2025年は4,000万人を超える海外からの観光客を迎え過去最高のインバウンドと言われている。それは決して、世界中の人々が日本に魅力を感じるようになったことが最大の原因ではない。アジアに住んでいる彼らから見ると、日本は宿泊料や交通費、そして物価までが極端に安いからだ。
さて、話が少し脇にずれてしまったが、極端に人手不足に悩む日本において、今後、AIの普及によってアメリカや中国、韓国のように若者達が高い失業率に悩む時代になるのだろうか? 今、世界に比べてAIの普及が遅れている日本も、間違いなく早晩、アメリカや中国のような若者たちの高い失業率という困った状態に近づいてくるだろう。そういう意味で、アメリカで、今、何が起きているかを良く観察することは日本の若い人たちにとって、とても重要だ。現在、「Z世代」より若い「α世代」と称されるアメリカの若者達は、高学歴という「大学卒」の称号を得ても職に就くことが容易ではない。そのため、多くの「α世代」の若者は、大学を目指すよりも「土木工事」や「電気工事」など、手に職が付く技術を学ぶ専門技術学校を目指している。
さて、振り返って日本を見てみると、最近多くの巨大建築工事が入札辞退で中止となり、一体どれほどの金額があれば実現するのか全く見込みが立たなくなっている。その根本的な理由は、どこの建築現場でも熟練した技能職が必要人数分集まらないからだ。一人親方など熟練した技能職は、今や、一流企業の管理職以上の年俸を受け取っている。コロナ禍で一躍注目された「エッセンシャルワーカー」という職業は、コロナ禍が終息した後も、どこでも全く足りないという点で注目を浴びている。パソコンが置かれた机の上で終日仕事をするのが一般的となったホワイトカラーの仕事は、まず定型的な業務から始まって、今後は、どんどんAIに置き換わっていくことに異論を唱える人は、もはや少数派だ。
さらに、今後は、一般的なルールで決められた定常業務だけでなく、高度な知識を必要とする創造的な業務までもがAIによって置き換えられていく。アメリカや中国、韓国における大学新卒の若年層の多くが失業で苦しんでいることは、社会がそれだけAI化が進んでいるからだとも言える。今後の日本も、AIの進展とともに同じ道を歩むことになるだろう。一方で「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる、建築、土木だけでなく電力、ガス、上下水道の設備保全業務や交通、運輸、物流などの運転業務、さらに看護、介護、保育といったケアの仕事。そして、私たちの食糧を確保するための農林水産業、食品加工、調理の業務。鉄鋼、造船、機械、化学など製造業一般を担う人々が、これまで以上に注目を浴びる時代になってきた。
2040年の日本は1,100万人の労働者が不足すると言われているが、この不足する労働者の殆どが「ホワイトカラー」ではなくて「エッセンシャルワーカ」だと考えたほうが自然である。「円」がアジアで最安値の通貨となっている中で、こうした労働者不足を日本が欧米のようにアジアからの移民で補うことは極めて難しい。日本も、アメリカや中国と同様に、今後は、AIの進展により、典型的な「ホワイトカラー」は、むしろ余剰となる。そうした労働市場の変革に対して、これから若い人々は何を目指せばよいのだろうか? 先ほど、大工さんの年俸が一流企業の管理職レベルに上昇したことは、「エッセンシャルワーカー」全般で見れば、今は未だ一般的ではない。現在、多くのエッセンシャルワーカーが極端に足りないのは、その賃金が例えばホワイトカラーに比べてかなり少ないことと、仕事の内容がハードなことである。この2点を改善しないことには、日本人だけでなく、アジアからの移民からも「エッセンシャルワーカー」は嫌われていき、必要な人員を充当することはますます難しくなるだろう。
この「エッセンシャルワーカー」の業務を多くの若い人たちにとって魅力あるものにするために必要なことは「生産性の向上」と「給与水準の引き上げ」である。この生産性の向上にあたり必要とされる施策は「現場に密着したAI」、すなわち「フィジカルA I」の適用である。現在、世界のAI力指数を国別に見てみると、一位がアメリカで2位が中国、それからドイツ、英国、フランス、インド、韓国、日本の順位となっており、日本は世界で8位である。日本のAIの開発能力が低いのは、AIの開発能力が英語力に比例することに関連していることと無縁ではない。しかし、日本人の英語能力は、そうすぐに改善できるものではない。一方、これから述べる「フィジカルAI」は現場で力を発揮するもので、その本質は必ずしも言語にバインドしない。
日本が世界で一番誇れる産業が製造業なのは、日本人の知的特性が汎用的な論理よりも現地・現物に強いということだからだと私は信じている。論理的な知識データベースで、日本はAIのリーダーシップを取れなかったし、今後もリーダとなるのは難しいだろう。しかし、「フィジカルAI」の分野で活躍できそうな企業は日本には山ほどある。日本人が得意な緻密で繊細な技術が各所に必要だからだ。その発想は、論理的な発想から生み出されるものではないため高い論理的な知識水準を有するAIエージェントでも、そう簡単には思いつかない。こうした点について、多くの日本の経営者は既に気が付いている。しかし、現場ベースの技術者は今の日本では圧倒的に足りない。さて、こうした現場ベースの技術者は、どのような教育環境で育つのだろうか?
私は、そうした現場に役に立つ教育環境とは、例えばTV でよく見るロボット競技会で活躍している高等工業専門学校だろうと思っている。私が以前勤めていた富士通でも、綺羅星のように光り輝くエンジニアに高専出身者が多かった。そのため、私は、今から30年も前にもなるが、何度か高専に行ってリクルート活動をした。しかし、高専の先生の話をよく聞いてみると、30年も前の時点で既に優秀な高専学生は、卒業後に就職しないで一流の工業系大学の3年生に編入する傾向にあった。これは、私の想像だが、彼らは理系科目には優秀な成績を収めることができるが文系科目はあまり得意ではないのかも知れない。そのため総合的な学力を試される大学入試では合格が難しい一流の工業系大学に高専卒業後には簡単に編入することができる。そのようにして育った人材は、きっと本人もハッピーだし、採用する側の企業の経営者はとっては本当に欲しい人材であるに違いない。AIが進展する時代に向けて、日本の高度人材育成制度は理系教育に重きを置いたSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)施策を見直す必要に迫られている。
(追記)
本日のTVでは、トランプ大統領が「ハメネイ師が死亡した」とアメリカの戦果を強調しているニュースが流れた。一方、ベネズエラのマドゥロ大統領の身柄を拘束するのに役に立ったと言われているAIエージェントを開発したアンソロピック社のダリオ・アモディCEOは、今後、①完全自律兵器②米国民の大規模な監視――の2つの用途で自社技術を使わないという利用制限で国防総省の同意を得たと説明した。この発言に激しい怒りを表明したトランプ大統領は、国防総省を含む連邦政府に対してアンソロピック社技術の使用停止を指示した。現在、アンソロピックはオープンAIやグーグルに対して優位な技術を保持しているが、今後、それがどうなっていくか注目をしていきたいと思う。