379 色覚異常について考える

2017年12月9日

今、TBSの報道特集で色覚障害の問題をやっていた。このTVを見ながら、我が家の色覚異常の問題を思い出した。今から半世紀ほど前、私たちの小学校時代は、毎年、身体検査の時に、世界でも最も厳しいと言われる石原式色覚検査が行われ、男3人兄弟で長男の私は正常だったが、弟二人は赤緑色弱と診断された。色覚異常は母親の遺伝子に影響され、主として男の子にしか発症しない。私たち3人兄弟は、皆、AB型でよく似ているのに、この遺伝子だけは違ったらしい。

兄弟3人とも理数系が得意で、私は東大の理一を受験し、工学部に進んだが、次男は、私以上に理数系が得意だったが、色覚異常は、技術系の就職にも影響するという噂もあり、あえて東大の文一を受験し合格、法学部に進学した。彼は、東大を卒業後、郵政省に入省し、郵政民営化後の日本郵政にて専務まで務めたので、結果的に成功したと言えるのだろう。しかし、彼の息子は小学校6年生の時に世界数学オリンピックで銀メダルを取っているので、彼も本当は理系に進んだ方が良かったのかも知れない。

さて、三男が大学に進学する頃には、世の中が少し変わってきていて、色覚異常は実生活には殆ど影響なく、理系に進学しても就職差別には至らないという社会常識に少し変化が生じてきた。こうした情勢を踏まえて、彼は、私と同じ東大の理一に進学した。もっと、丁寧に説明すれば、彼は小さい時から医者になりたかったのだ。そうは言っても、東大の理三は、並大抵のことでは入れないので、大学受験の一期は東大の理一を、二期は東京医科歯科大学を受験した。予想通りというか、案の定、東大は合格したが、東京医科歯科大は不合格だった。

家族会議においては、三男は、東京医科歯科大を落ちても、東大に合格したら、医師の道は断念して東大に進学するという約束だった。それでも、彼は、小さい時からの医師になるという夢を、どうしても捨て切れなかった。ところで、色覚異常という障害を持ちながら医師になるということは本当にできるのだろうか? 私たちは、必死になって家族皆で調べて見た。しかし、こういうことは、きちんと明文化されていないのだ。

それでも、色々なアングラ情報をかき集めてみると、東大医学部眼科の初代主任教授が色覚異常だったらしく、東大医学部は色覚異常に対して、どうも寛容らしいという。その考え方は、東大が支配する東日本全体の医学部に影響を与えているらしい。一方、これも噂の域を出ないのだが、西日本では京大医学部眼科の初代教授が東大に対抗して色覚異常者には絶対に入学を許さないと言う方針を堅持した結果、西日本全体の医学部は色覚異常者の入学を許していないと言うことであった。実際に、当時の京大医学部の募集要項にも、そう記述されていた。それで、我が家の三男は東大を中退してから東北大医学部を受験、無事入学し、国家試験にも合格、何とか医師となることができた。

今日のTBSテレビの放送では、文科省が学校での色覚検査は無用な差別を生じるので、14年前から中止としたらしい。それで、今の若者は、自身が色覚異常との認識が全くなく、絶対に色覚異常を認めないパイロットなどの職業への道を突如絶たれることが大きな問題になっているらしい。そうした、問題を避けるために、文科省は、一昨年から、再度、小学校での健康診断で色覚検査を復活したようだ。しかし、子供達は、「皆と違う」と言うことだけでイジメの対象とするので、検査のやり方には、やはり注意が必要だろう。

私自身は、色覚異常とは言われなかったが、兄弟二人が色覚異常と言われたので、この問題には昔から大きな関心を持っている。石原式色覚検査シートをよく見てみると、正常者に見えるチャートと異常者に見えるチャートが並んでいる。本当に、厳格によく出来た検査ツールである。世界に、これほど厳格な検査ツールは類を見ないと言う。

大体、私の弟二人が異常なのか?私が異常なのか?一体、誰が決めるのだろう。多数派が正常で、少数派が異常だと言うのも少しおかしいのではないか?ひょっとしたら、「色覚異常」と言われている人たちは、色感覚の天才なのかもしれない。皆んなと同じ、平凡な人間なら「正常」。皆んなと異なり、あまり見ない人間なら「異常」。こういう考え方しか出来ない社会で、きっとイノベーションなど生まれない。今日のTBS放送を見て、色覚異常について、久しぶりに考えさせられた。

378 スマート農業について(3)

2017年11月22日

11月16日、広澤里佳富士通マーケティング静岡支社長のお世話により、富士通がオリックス、増田採種場とともに立ち上げた、静岡県磐田市のスマート農場 SAC(スマートアグリカルチャ) iwata(磐田)を見学させて頂いた。大変失礼ながら、私の事前の予想を遥かに上回る本格的な操業をしている実態に本当に驚いた。高さ6m、面積は12,000平米(ほぼ1ヘクタール)という巨大なハウスが6棟、パプリカ、トマト、パクチーなど単価の高い野菜を中心として見事な生育を成し遂げている。しかも、創業してからたった1年半で、これだけの事業を立ち上げているのは本当に驚きでしかない。

大体、一つの作物をまともに仕上げてから、品種を増やすのが一般的なのに、一遍に数種類の作物を同時に立ち上げするなど、無謀な事だと近隣の農家は助言したらしい。そうした常識に反して、SAC iwataは見事に、その複数種同時立上げを、やり遂げたところが凄いと言わざるを得ない。私は、SAC iwataの須藤社長に真っ先に質問した。「なぜ、最初に始めたのが磐田市なのですか?」と。須藤社長は、「結果的に見て、磐田市は全国一の日照時間を誇る地域なのでハウス栽培として最適地であることは間違いないのです」と言う。確かに、新幹線に乗って東京から名古屋に向かうと、この磐田市付近に近づくと、やたら太陽光発電設備が多くなることに気づくだろう。

須藤社長は、全国各地の自治体を訪ねて、スマート農業の設立を説得したが、総論賛成だが具体論になると、自治体側は簡単には実現出来ない理由を山ほど出してくるので、心底落胆したのだと言う。しかし、磐田市だけは違った。実現に向けて、地元の農協や、農家を説得して、全力で富士通の助けになってくれたのだと言う。須藤社長に言わせると、大体、磐田市役所に行くと殆どの職員が職場にいないらしい。多くの磐田市の職員は、東京を始め、日本全国を回って地場の振興の為に何が出来るか奔走しているとのことだった。

そうした、磐田市の全面的なサポートがあって、こうしたSAC iwataの垂直立ち上げは実現した。さらに、このSAC iwataでは、富士通がシステム設計と農場運営を担い、オリックスは物流と販売、増田採種場は苗の提供と技術指導を分担している。私も、初めて知ったのだが、農業は生産物を、どこに出荷すると言うのが一番難しいらしい。特に、単価の高いパプリカやパクチーなど、どこで買ってくれるか普通はわからない。これを、オリックスが全て担ってくれている。こうした付加価値の高い食材を、日本全国のどこのレストランや食品スーパへ提供したら良いかはオリックスが全て手配してくれる。さらに、私が、驚いたのは、野菜ハウス栽培の技術ノウハウは農家ではなくて、今や種苗会社が全て把握していると言うことである。

現在、野菜のハウス栽培では、農家は種や苗を自家培養してはいなくて、全て種苗会社から購入するようになった。それで、種苗会社は、単に、優れた種や苗を提供するだけではなく、どのように育てるかと言う綿密なレシピを用意しないと、他の種苗会社と差別化出来なくなっている。ところが、その種苗会社が提供する育て方のレシピ通り育てると言うこと自体が、そう簡単ではなくなった。実は、最近の激しい気候変動により、外気の変動があまりに大きく、ハウス内の環境を、どのように制御して、種苗会社のレシピ通りにするかは、決して簡単ではなくなっている。

そこは、富士通が一番得意なところである。自然光、温度、湿度を測定し、点滴灌漑で供給する栄養分の量の管理や、ハウス内のCO2濃度のコントロールなど、レシピ通りにハウス内の環境を整備するなど、今、流行りのIoTを使って行うことは、まさに富士通の得意中の得意の領域である。元来、昔から、農家には代々受け継がれてきた農作物栽培のノウハウがあったはずである。しかし、それは暗黙知の領域を出ることはなく、後継者に引き継がれることもなく、また、近年の急激な気象変動によって全く役に立たなくなってしまったのである。

そうは言っても、レシピ通りにやれば、うまく行くほどに、植物の栽培は、そう簡単なものではない。それで、このSAC iwataでは、植物の健康状態をリアルタイムで監視することにした。健康な植物こそが、良い果実を作るはずである。その健康状態をMaxにするための環境条件を整えないと、何のための環境コントロールかわからない。それでは、どのようにして、植物の健康状態をリアルタイムに測定するかである。

富士通は井関農機と共同で、日中に光合成で生産した澱粉が植物の葉に、どれだけ蓄えられているかを夜間に紫外線を使って測定するシステムを開発した。植物健康管理装置という自走ロボットが夜間にハウス内を走り回り、葉っぱの残留澱粉を測定し、健康状態を測定するのである。こうした植物の健康情報を、ハウス内の位置情報と結びつけて、さらに、どのように採光量、温度、CO2濃度や肥料量を変えて行くか?あるいは、負荷を減らすために、適切な摘果をするかなど、フィードバックの処置として行くかを決定して行く。つまり、種苗会社が提供する栽培レシピに、いかに忠実に実行して行くかが、美味しい果実と、その収量拡大の鍵となる。

21世紀の農業は、もはや、経験と勘で最適化できるほど簡単ではなくなっている。それほどまでに、気候変動は激しく、また種苗会社を含むトータルなエコシステムは高度化しているのだ。本当に、私は、この富士通のスマート農業の拠点である、SAC iwataを見学させて頂き感動した。ただ、極めて残念なのは、この世界最先端の設備の殆どがオランダ製だということだった。先日、北海道の牧場で見学した全自動搾乳ロボットも、またオランダ製だった。オランダは、日本より遥かに狭い農地しかないのに、米国に次ぐ世界第2位の農産物輸出国である。

今後、世界の人口は70億人から90億人へ増加して行く。今でも、今後とも、飢餓問題は世界の中心命題である。一方、オランダは、半導体製造装置や半導体検査装置でもダントツの世界一であり、キャノンやニコン、東京エレクトロンやアドバンテストなど日本メーカーの大きな脅威となっている。液晶や半導体など、規模に依存する産業は、中国や韓国、台湾など政府の支援を有するメーカーと対抗しても無駄である。むしろ、その産業を支える設備産業の方が、よほどに価値がある。オランダ政府の産業政策の基本的な考え方は、生産量より付加価値にある。

食料生産に利するための、AIやロボットを駆使した、農業関連産業こそが21世紀の花形産業になるであろう。日本は、オランダから、もっと多くを学ぶべきである。もう、単一品種の大量生産は、日本じゃなくても良いじゃないかと私は思う。それは、中国、韓国、台湾に任せておけば良いではないか。もはや、それは日本がやる仕事ではないだろう。21世紀の日本は、これから何をなすべきなのか?今回、富士通のスマート農業拠点 SAC iwataを見学して考えさせられることは本当に多かった。

377 光り輝く女性たちの物語(18)

2017年11月1日

先月、私は全日本能率連盟主催のコンファレンスで「働き方改革」の講演をさせて頂いた。何しろ、著名なコンサルタント200名の前でお話をするわけだから、いつも以上の緊張感で話していたが、正面数列目に座っておられた一人の女性が笑顔で私の話に頷きながら聞いて下さっていることに心から救われたばかりか、講演が終わった後も、その方は、マトを得た質問をして頂きフォローもして頂いた。しかしながら、当日、私は体調が優れず、自分の講演が終了した後、すぐに帰ろうとしたところ、その女性が玄関まで見送りに来られて「挨拶だけでも」と仰るので、お互いに名刺交換をさせて頂いた。

それから数日後に、その女性、つまり、これからお話しをさせて頂く、田原祐子さんから、ご自身が書かれた著作「マネージャーは人を管理しないで下さい」が自宅に送られてきた。その本の内容こそ、先日、私が祐子さんに講演した話と殆ど同じだった。つまり、私が米国駐在中に経験した中で、アメリカにはプロジェクト・マネージャーとかプログラム・マネージャーとか部下のいない管理職が大勢いるが、この人たちは、人ではなく仕事(業務)を管理しているという話をしたからだ。それ以外にも、祐子さんの著作の中で述べられていることには、逐一、頷かされることばかりだった。

そして、その本の末尾にあった祐子さんの経歴は、株式会社 ベーシック 代表取締役、外資系人材派遣会社の教育トレーナー、経営コンサルティング会社の新規事業室長を経て、1998年に起業。これまで、東証一部上場企業から零細企業まで、1,400社 述べ13万人の人材を育成。コンサルのテーマは、人材育成・営業改革・組織開発・業務革新・研究開発・特許開発と記されていた。これは、一度、お会いしてお話を伺う価値があると、お願いしたところ快くお受けして頂いた。

祐子さんは、広島県のご出身で、広島大学附属高校を経て、関西学院大学を卒業された後、直ぐにご結婚、二人の娘さんの母親になった。ご両親から、病弱の妹さんを近くで看て欲しいと懇願され、大学時代に交際していた、今のご主人とは「結婚後、広島に住む」という条件でプロポーズを受けた。祐子さんのご両親も教育者であったし、ご主人も教育者としての道を歩まれて、現在は、名門、広島修道高校の校長を務められている。私も、そうだったが、若い時は、皆、誰しも薄給で二人の子供を育てるというのは大変なことである。

そこで、祐子さんも、自分も働いて、娘さんたちにお稽古など人並みのことをさせたいと、人材派遣会社に登録し働き始めた。だが、何しろ職歴が全くないため、任せられるのは営業の仕事だけだった。しかも、人件費の高い派遣会社に持ち込まれるのは、売れない高いサービスや商品ばかりだったそうだ。そして、その一つに、「オール電化」があった。当時、才覚を認められて派遣社員の教育トレーナーとして活躍し始めていた祐子さんに白羽の矢が立ち、経営コンサルティング企業で新規事業室長に就任。ここで、素晴らしい機会に恵まれることになる。

地元の電力会社である中国電力では、発電所や変電所の効率化で、技術系の担当者が職種転換で「オール電化」を広めるために営業部門に回されていた。しかし、今まで、長年、ひたすら設備と向き合い、無言で仕事をしてきた人々を、営業に出すというのは、そう簡単なことではない。祐子さんは、現場の担当者と一緒に、一軒ずつお客さまや、ハウスメーカーをたずねた。そして、営業とは、お客様に、どのように話を進めて行くのか? どういうメリットを訴えるのか?など、業務マニュアルを作成するとともに、職種転換する人たちに、どうやって自信をつけてもらうかに執心していった。

結果として、このプロジェクトは大成功となった。この成果を聞きつけて、お隣の四国電力から、そして九州電力から商談が舞い込んできた。やがて、祐子さんは独立し、現在の会社を起業した。話は、そこで止まらず、遂に西の雄である関西電力からも話が来た。そして、とうとう日本一の電力会社である東京電力からの大商談を受けるために広島から東京へ進出したのだった。

ここまで、読まれた方は、家庭を持ち、お二人の娘さんを育てながら、起業して大成功を収めた祐子さんは、まさに「光り輝く女性たちの物語」に相応しい辣腕のキャリアーウーマンと思われるに違いない。しかし、人生は、そう簡単に順風満帆には進ませてはもらえないものだ。私が、つい最近読んだ本に、アン=マリー・スローター著「仕事と家庭は両立できない?」がある。原題は「Unfinished Business」。直訳すれば「終わりのないビジネス」とでも言うのだろうか? 著者はプリンストン大学終身教授で、女性初のプリンストン大学公共政策大学院院長を経て、ヒラリー・クリントン国務長官の元で政策企画本部長を務めたバリバリのキャリアーウーマンである。彼女が、2012年 アトランティック誌に発表した論文「なぜ女性は全てを手に入れられないのか」が大反響を呼んだので、この本を執筆したのだった。

スローター女史が立案する外交政策が、あまりに秀逸なので、ヒラリー・クリントン長官は、彼女を認証官である国務次官補に昇格させようとした。しかし、彼女は、その直前に息子が警察に補導されたことを知り、クリントン長官の有難い申し出を断り、ワシントンの単身生活に終止符を打ち、ご主人や息子さん達が住む、ニュージャージー州プリンストンに戻ったのだ。スローター女史は、自問自答する。もし、自分が父親だったら、こうした事態が起きても、そのままワシントンにいて、プリンストンには戻らなかったのではないか?と。

祐子さんにも、同じような不幸が襲って来た。自宅で起業してから四年目、仕事は増え続けて、毎日睡眠時間は3時間、月の大半は日本全国へ出張、子供のことは二の次で授業参観にすら全く参加できなかった。そしてある日、娘さんが中学校で倒れたとの連絡を受けた。当時はイジメの全盛期で、娘さんは心の病になり、まもなく学校に行けなくなった。それからというもの、全国のあらゆる病院を訪ねて医師と相談したが、娘さんの病状は、一向に良くならなかった。そして、祐子さんは、遂に気がついた。この病気を直すには時間がかかる。そして、どんな薬より愛情こそが妙薬なのだと。現在、娘さんは立派に回復して、クリエイティブで独創的な仕事の道を自ら切り拓き、着実に歩み続けている。

祐子さんは、このことを1冊の本に表わしている。表題は「家族の病気は、あなたへのメッセージ」。この本の中で、祐子さんは、この娘さんに対して心から愛情を持って接するという姿勢が、本業における人材教育・職能訓練への姿勢に変化をもたらしたと言うのである。昔の自分は、娘達に対しても、クライアントの教育に対しても、今では考えられないほど厳しかったと言う。でも、それは決して良い効果を生まないことに気がついたそうだ。確かに、こうして対面でお話させて頂いていた間でも、祐子さんは「大成功した女性起業家」らしくない、謙虚で優しいトレーナーの顔だった。

女性にとって、仕事と家庭の両立は決して容易なことではない。しかし、その葛藤の中で、新たに学ぶことも沢山ある。肉親の苦しみや痛みを心から理解したことによって、他人にも優しくなれた祐子さんは、まさに、日本を代表する人材教育コンサルタントとして光り輝く女性の一人である。